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喫茶屋はかく語る。
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皆さんは、地上に舞い降りた天使というのを見たことがあるだろうか。
僕はある。
そう、立ち振舞いは凛としていて、雰囲気は慈愛に満ち、そこにいてくれるだけでマイナスイオンが発生するほどの、美しい人だ。
今日もまた、緑に包まれたテラスで優雅に本を読む美しい人に見惚れる。
僕は、気がつけば恋に落ちていた。
バリスタとしての仕事が手に付かなくなるほどに恋をしてしまったのは、ここ1ヶ月ほど喫茶店に通ってくれている長い髪を三つ編みにしている儚げな美人だ。
睫毛に縁取られた瞳は深い灰藍色で、テラスに光が射し込んだとき、一瞬色が淡くなる。
ビスクドールのような白い肌に、美の女神のような美しい顏(かんばせ)、折れそうなほどに華奢な体躯。
あぁ、巨匠が作る精巧な人形の最高傑作でも、ここまでの美しい造作は作れないだろう。
なんて毎日毎日あの人の美しさに惚けて、ため息をばかりをついて珈琲を溢しまくっていたら、常連客にバレてしまった。
「いや、マスター。分かりやすすぎ」
あの人が帰ってから大反省会が始まる。
「あの、すみません。溢してしまって。お詫びの一杯です」
「いや、もう毎日の事なので慣れましたけど。マスター、声かけてみたら?」
「いやいやいや、僕はこの店の主です。この店の珈琲や雰囲気を望んでくださっている方には、僕の存在は極力消えていた方が良い。むしろ、お声を掛けてお店に来訪しにくくなるくらいなら、僕は天使をそっと見守るだけで……!!」
「あの美人さんが来ている時のマスターの失敗率は80%越えてるもんね……」
「私、その時間帯だけはオーダーと会計諦めるもの」
近所の大学に通っている女子大生さんたちは的確に抉ってくる。
「むしろ告白してすっぱりフラれたほうがいいんじゃ……」
「よし、男は度胸だ。玉砕してこい! わしの若い頃の時なんざ」
「あ、その話三回目よ」
女子大生たちは定年後の楽しみに毎日通ってくださる初老の男性へは容赦ない。
「あの人、美人だけど作り物めいているというか……皆声をかける事すらできないほどの超美形だもの。マスター、逆にこんなチャンスないわよ。今のところライバルが少ないし、告白だけしてみたら? ダメ元ダメ元」
「えーー、珈琲を淹れることぐらいしか取り柄のない僕には話しかけるなんてそんな、相手に迷惑ですよ……!!」
「もう1ヶ月もぼーっと見惚れているだけなんだもの。そろそろ行動あるのみよ!」
「隣の花屋に花束作ってもらいましょ」
「この季節だと何の花かな。色味はどうしよう」
「彼女は白が似合いそうです。純白のブーケ、ロングドレス、協会の階段を花吹雪の中ゆっくりと降りてくるマイエンジェル……」
「え、妄想までしてるの気持ち悪っ。まぁ、白ならカスミソウかな」
「良いね。ユリとかはどうかな」
「聞いてみよっか~。ちょっと用意できそうか隣に聞いてくるね」
「あっちょ、まって」
あれよあれよと周りにお膳立てされて、僕は彼女に告白する事になってしまった。
「いつも喫茶店に来てくださっている、あなたに一目惚れしました!! 結婚を前提にお付き合いしてください!」
なんて、頭が真っ白になって色々順序をぶっ飛ばした告白してしまったのだけれど。
思ったよりも低めの声だった彼女は、「はい」と小さく頷いてくれたのだった。
◇ ◇ ◇
「え、これ夢? 僕、すべての運を使っちゃって死ぬんじゃないかな?? というか、すべての男性に嫉妬のあまりに刺されそう」
「マスター、吹き零れてます!!」
「おわっとと、ありがとう」
慌てて火を消すけれど、まだ実感が伴っていない。
「それでマスター、結婚を前提にしたお付き合いはどうなんです?」
「今日は、彼女の隣で……へへ、じっと横顔見てました」
「童貞ムーヴ過ぎて気持ち悪い……え、それだけ?」
「目が、二度も合ってしまいました! 幸せだなぁ。この幸せを皆にお裾分けしたい!」
「……」
あ、目で気持ち悪いと語らないでください。悲しいので。
「今度の水曜、確か定休日でしょ? デート行ってみたら」
「天使と!? 幸せすぎて死にます!」
「ひとまず誘ってみたら……」
しどろもどろになりながらもデートの約束を取り付ける事ができた。
何処に行きたいか聞かれたけれど、僕は女性とお付き合いするのも始めてだし、彼女が何が好きなのかが知りたくて、初デート先は彼女の行きたい場所に行くことなった。
「楽しみだな……」
「そうですね」
駅を下りた後、目を閉じてついてきて、なんて手を握られて誘導される。
か、かの、彼女の白く細い指が手に絡む。
彼女が薄手の手袋をしていてくれて良かった。僕は緊張のために少し手汗が出ている。
手を握ってしまった。
はじめてのデートで。
もう今日の幸せの全てをここに使ってしまった気がする。
「ついた。目を開けて良いよ」
「た、楽しみだな。ドキドキします」
「……うん。私もはじめて来た。楽しみ」
どこだろう、期待に胸を膨らませて目を開ける。
『寄生虫博物館』
ちょっと脳の処理がバグっているのかもしれない。寄生虫って見える。
「どう……?」
「驚きました」
「良かった」
表情があまり変わらない彼女の雰囲気が優しくなる。きっと微笑しているのだろう。
「寄生虫、好きなんですか?」
「うん」
君が好きだね、って言ったから僕も好きになった。今日は寄生虫記念日だね。
はっ! 思わずポエムを作ってしまった!!
彼女のうん、と言ったその言葉がどことなくあどけなく、僕はドキドキとしてしまった。
「見て、この瓶の中。珍しいものがある」
「はい、綺麗ですね」
並んだ展示物よりも、それを見つめる彼女の方が美しくて、綺麗ですね、可愛いですね、と5分に一回は言ってしまう。
展示ガラスを見つめる深い灰藍色の瞳に光が反射して、とても幻想的だ。
お土産屋さんで長いストラップを楽しそうに見ていた彼女に、思いきって寄生虫のどこが好きなのかを聞いてみた。
「うん。寄生虫は、誰かに寄生しないと生きていけないのに、その生が許されているところ」
「生が許されているところ、ですか?」
「宿主がいないと生存できないのに、今でもこうやって種が存続しているのは、凄いことだと思う。それは、この種も生態系の中に組み込まれているってこと。それが、少し羨ましい」
そうやってお土産を見ていた彼女は、どことなく儚げで胸が切なくなった。
「僕は、ちょっと寄生虫についてはよくわからないんですけど」
「うん」
「少なくとも僕は、この世界にあなたが生まれてきてくれて、本当に嬉しく思います」
「……」
こてんと、天使のような可愛らしさで首を傾げる。
「あなたのような“女性”と出会えて、僕は本当に幸せです」
彼女は少し考えると、僕の手を引いて男子トイレに連れて行った。
平日の昼間、人が少ないとはいえ男性用の方に迷わず入っていった彼女に内心パニックになりながら、狭い個室に二人で入る。
「ほわっぼぼぼ僕たちはまだデートで手を繋いでそのまだ早いというか!」
「見て」
「ほわわっ」
服をめくり、あまりにも白い腹がちらりと見えて脳が沸騰しそうになる。
「胸はないよ」
「小さくても大好物です!」
そんな、ピンクの乳首なんて、直視することが出来ない!
目を両手で覆っていたら、その片方を取られてズボッと彼女のボトムの中に入れられて!!??
あんっ何か柔らかなものが。
え、あっほぇ!!??
「下もあるよ」
「あああの、女性……ではなくもしかして男性?」
「うん。付き合うの、やめとく?」
「男の娘も大好物です!!」
こてんと、傾げながら聞いてきた彼女……いや、彼がどことなく悲しげで、思わず僕は叫んでしまった。
もちろん、彼の不安を取り除くべく、すぐにまた告白してしまった。
彼の悲しげな雰囲気が、一瞬にして嬉しそうな雰囲気に変わったから、尊さのあまり拝みそうになってしまった。
◇ ◇ ◇
記念に買ったフタゴムシのストラップが揺れる端末で「男性同士 結婚」と調べる。
「え、同棲かぁ……天使が家で出迎えてくれるとか幸せだ」
滅茶苦茶良い。色々と将来の事も考えてみたけれど、僕は彼が居てくれるだけで幸せだと改めて思う。
衝撃は衝撃だけど、それよりもミステリアスな彼の事を一つ知ることができた喜びの方が勝る。
今日は彼がなんとお友だちを紹介してくれると言う。
彼同様に美形だったらどうしようと思ったけれど、紹介されたのは優しそうな陶芸家の方だった。彼が席を外した瞬間に、ずっと知りたかった事を聞いてみる。
「あの、この機会に一つお尋ねしたくて……。彼ってどんな職業なんでしょうか……」
「ほげっ!?」
「前に手袋の下を見たんですが、指に指紋がなくつるりとしていたので……」
そう、普段薄い手袋をはめている彼の指先がつるりとしていたことを、この間発見してからずっと気になっていたんだ。
水をよく触る職業だと手荒れによって消えることもあるというし、専用洗剤や薬品などの影響で消えることもあるという。
「職業柄、なのかなって……気になって」
どうやら、友人の答え方では、僕の推理は間違っていなかったみたいだ。良かった~。もし手荒れによるものなら、軟膏や手荒れケアのものを贈りたかったけれど、仕事柄そういった薬用のものが使えない業種もあるから、勝手に贈って優しい彼を困らせたらどうしようと思っていたんだ。
水をよく扱う仕事はたくさんあるけれど、やっぱりお花屋さんか、髪を洗う美容師さんとかかな? いや、薬品で消毒を行う看護師さんかも。
似合う~僕の天使はどんな仕事でも似合う~。
たくさんお話して、幸せなまま彼らを見送る。
また彼の事を一つ知れて、僕は幸せだ。
◇ ◇ ◇
彼とのお付き合い1か月記念にプレゼントしようと良い香りのする薬用軟膏を準備していると、普段店に訪れないような強面の男たちがやって来た。
「あんたがこの店の店主か」
「はい、そうですけど……」
「よくここに来ている長い髪を三つ編みにした男……あいつが仕事中に倒れたらしい。病院まで一緒に来てくれないだろうか」
「えっ!? 倒れた!!? だだ、大丈夫なんですかその怪我とか!」
「車の中で話す。とりあえず乗ってくれ」
「わかりました!」
すごい、まだ登録していないのにパートナーシップ制度か何かでパートナーの僕にも連絡が来たのかな! 政府すごいな!
エプロンを外して火と電気周りを確認して店の看板を休業にひっくり返す。
ぎゅっと胸が苦しくなる。
神様、もしいるのでしたら、どうかどうか。
僕の大切なあの人が、無事でいてくれますように。
僕はそんな祈りを心の中で願う事しか出来なかった。
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