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ホスピタル
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目が覚めると、知らないベッドの上に寝かされていた。
見たこともない天井、明るすぎる電気、ベッドを囲むカーテン。保健室を連想させる。
ここはどこなのか、わからないままではなんだか気持ち悪い。とりあえず、視界から情報を得ることにした。
周りを見渡してみると、寝心地の悪いベッドその周りには、酸素ボンベや手元を照らす電気や電源があり、ヘッドレストにはボタンつきのリモコンがかけられている。
フォルムからして、ナースコールだろう。
なにより、酸素マスクが口に当てられ、自分の左腕に点滴が刺さっている。それを見る限り、ここは病院なのだということがわかる。
そして、今、誰かを呼ぼうにも、声が出ないことに気づいた。
とりあえず、何がどうなっているのかが、理解できていない。
自分の名前はわかる。年齢もわかる。記憶を整理しないと状況がわからない。
数学の計算では答えが出るように、状況がわからないことが気持ち悪いのだ。横になったまま、意識を失う前の記憶をたどる。
今、現在の僕はまもなく16歳で、近所の大学を飛び級で卒業をした、まさにそんな日だった。
講義や学会といった名目で、ティティーが教授と準教授という立場で、不倫旅行に出かけた。
長期の不在となることがわかっていたので、キッチンもそれように対応はしてあった。
だから、腐るものなど何も置いていない。
いい機会だと思った。
母は長期に渡っての『アルコール中毒』と『セックス依存症』そして、精神的に不安定だった。
一度、カウンセラーに会わせてみると、『鬱』の兆候が強い、といわれていた。
向精神薬を飲むには、アルコールを絶つ必要があった。
だから、アルコール専門のホスピタルに何度も入れた。
けれど、逃げてくるのはいつものことだったが、今回は長期の休みを使って、本格的に治療させるつもりでいた。
帰宅すると、普段にも増してアルコールを大量に摂取していた。
母は美人だが、食事を怠る人だったので、骨と皮しかないのでは?というくらいやせ細っていた。
その姿に病気を怖がる人や、実年齢よりも老けて見えるその容姿に、以前の美しさは消え、自然と街角に立っていても、ふらついている所為もあり、客足が遠のいたのだ。
それも、母を荒れさせるには充分な要素だった。
アルコールの量が増え、仕事にも行かなくなり、父からの養育費兼慰謝料はすべて酒に消えているのではないか、と思った。
そんなこともあり、食事と金銭的な援助はできる限りしてきた。
それでも、不安になる気持ちを抑えられるほど、強くもなかったのだろ。
以前よりも、酒に溺れることが多くなっていった。
だからこその、今回の帰宅はありがたかった、と僕は思っていた。
ところが、そのアルコールを取り上げただけで、僕は母に馬乗りになられ、首を絞められたのだ。
そこまでが僕の頭の中に残っていた記憶だった。
とりあえず、身体中が痛くて、起き上がることも躊躇われた。
どのくらいの時間、首を絞められていたのかは、わからないが、血流停止による、全身の筋肉が収縮したことによる症状だ。
短時間でも血流が停止すれば、意識を持ちながら、死後硬直の疑似体験が出来る。
可呼吸に多い症状だ。
話には聞いていたが、こんな全身を襲う筋肉痛を体験することはなかなかないだろう。
別に楽観視しているわけではない。
手を動かすのも苦痛だったが、自分の今の状況を確認する為に、自分の体を隅々までペタペタと触ってみた。
すると、頭には包帯が巻かれているようだ。
そして、首にも包帯が巻かれている。
バイタルを図る装置の音が聞こえてくるが、耳もなんだか聞こえづらい。なにかを詰めているようだった。
ペタペタと身体中を触っている動きに点滴交換に来た看護師が気付いて、意識が戻ったことを、医師に知らせに行ったのだろう。
案の定、医者が僕の元へ来て、耳に詰めた綿を取り除いてくれた。
綿には血液が付着している。耳からの出血があったようだった。首を絞められた時に出る出血は耳や鼻からも出てしまう。生死の狭間を彷徨ったのは明白だった。
たいしたことがなかったのもあり、止血のために綿を詰めていたらしい。もう、新たな出血はないので、綿を取り除いても問題ないようだ。
綿を取ってもらったおかげで耳は良く聞こえるようになった。
医師がいくつかの質問をするも、僕は頷いたり、首を振ったり、返事をするのが精一杯だった。
「今のところ、MIRに問題もなかったし、レントゲンでも問題はなかったから、現段階では脳に障害はないみたいだけど、しばらくは、脳障害の心配があるから、リハビリも兼ねて入院してもらうよ。
それと声が出ないのは、たぶん、頸部圧迫と心因的な一時的なものだと思うから、そのうちにしゃべれるようになると思うよ。焦らず治療していこうね」
若い医師は、そう告げたかと思うとすぐに次の患者の元へ行ってしまった。
残った看護師が
「丸3日間、ずっと意識がなかったので、心配していたんです。このままずっと意識が戻らない可能性もあったので・・・・」
脳障害が残ってもおかしくない状態で、記憶障害もなく、今のところ、何の問題もなさそうではあったが、これから、色んな検査をしていって、初めて障害が残ってるかどうか、を調べていくわけだ。脳に血液が回っていなかった、というだけでも何らかの障害があってもおかしくはないのだ。
今は、話せない、というか、声が出ない。もしかしたら言語障害がでるかもしれない。
手を動かせた、ということは、手には問題はないかもしれない。
だが、足はどうだろう。感覚はあるし、動きもする。けれど、まだ、歩けるかどうかは、わからない。
『後遺症』がどのような形で現れるのかが、わからないのだ。
入れ替わるように入って来たのは、数人の私服の警官だった。
そこで前もって、話せないことを告げられていたのか、警官はあらかじめ、紙とペンを用意してくれた。幸いなことに、点滴は左手に刺さっている。
どちらでも字は書けるのだが、書き慣れた右手の方が、それなりに読みやすい字で書けるだろう。
そしてその警官は、僕に残酷な「現実」を突きつけてきたのだった。
いずれは知らなくてはならないことだし、母がどうなったのか、聞く義務があるのは間違いなかった。医師や看護師から母の話が出なかったには、理由があることに違いないし、少なくとも同じ病院にはいないだろう。そして、警官は、静かな口調で、
『ショックを受けるかもしれないが』
という前置きをしてから、そのままの口調で語りだした。
筋書きとしては、こうだ。
母が僕を道連れに心中事件を図ったのだ。僕はかろううじて一命を取り止めたものの、精神的ショックと強度の首への圧迫が原因で、しばらくの間、言葉を失った。
僕は白目をむいて、口から泡を吹いていた状態で発見された。当然、心肺停止状態で、だ。
蘇生処置をとると、奇跡的に息を吹き返した僕は早々に病院に運ばれて、気を失ってるうちに、検査を受けた。
部屋の惨状からして、僕も助からない、と思ったらしい。血の海の中に2人寄り添うように倒れていたという。
その時には、母は自ら頸動脈をバッサリと切り裂き、自分の身体に血を残さないほどの、出血多量で息絶えていたという。
病院のベッドの上で淡々と話す警察官の話を虚ろに聞き流していた。
頚動脈に包丁で深く切り込まれた首筋は、まるで他人が切り裂いた、と思わせるほど、躊躇い傷もなかった、のだそうだ。
吹き出した血液でアパートメントはダイニングの壁から天井から、真っ赤に染まるほどの惨状に、
駆けつけた警官も、新人は外へ出て吐き、ベテランでも一瞬呆然としたらしい。
実際、僕はそれを他人から聞かされてるだけで、目にしてるわけでもないから、どうしても語尾を「らしい」としか表現出来ないのだ。
母が心中を図った理由を問われたが、答えることは出来なかった。はっきり云って、理由なんて僕が聞きたいくらいだった。
たぶん、付き合っていた彼氏に捨てられたのが引き金になったのは間違いないだろう、と筆談で返す。
よくも悪くも、あの家には僕の荷物は、ほぼない。元々ものに執着心を持つ方ではなかったし、貧しく育った環境下で、食料以外の買い物をする余裕すらなかった。母の私物も服以外には、何もなかった。唯一、父からプレゼントされた物が数点あるのみだった。
僕は実家からそれほど遠くない学生用のアパートメントで、大学の先輩ティティーとルームシェアという名のアルバイトをしていた。衣類と参考書、教材、それらに付随した筆記用具以外に、やはり僕の荷物はなかった。同居記念に同居人が買ってくれた個人用のシングルベッドと机が僕の唯一の大きな荷物だった。
逆を言えば、それ以外のものは必要ないのだ。
毎日のように、ティティーの食事を余分に作り、夕食をタッパに入れて、母の元へは食事は運んでいた。寝ているときもあれば、家にいたり、いなかったりの生活だ。
放置をすると、アルコールしか口にしない母だったから、母親にまともな食事を摂らせないと摂食障害を起こし兼ねない状態だったからだ。実際、大学も後半になると、母と顔を合わせる機会も減ってはいたが、食事を毎日タッパに入れては、冷蔵庫へ運んではいた。
食べていたのか、捨てていたのかは不明だが、次の食事を持ち込んだときにはシンクに放置された前のタッパをそのまま持ち帰ってはいた。
僕を若くして、産んだ母だったが、年齢を重ねる毎に、仕事も段々と減り出していたが、父からの仕送りはあったはずだ。父は定額を振り込んでくれていたものの、ドルや円が変動するたびに入ってくるお金の金額が違うことも不安に感じていたようだ。
そこで問題が生じた。自立していたとはいえ、僕は未成年だ。そして養育権は母にあったが親権は会ったこともない父親にあった。
僕が未成年だったのと、母方の身内の存在を知らなかった僕は、紹介された弁護士を通じて調べてもらうも、
絶縁しているので関わりたくない、
と一蹴されたという。
母の両親のことを聞こうとするが、弁護士は先方に硬く口止めされているのか、所在さえ教えてもらえなかったが、ヨーロッパのとある国の小さな町に住んでいる、ということだけ教えてもらった。
ティティーが、僕の名前をドイツ系だと言っていたので、たぶん、ドイツのどこかにいるのだろうと予測できた。
完全に絶縁状態だった、父のことなど、すっかり頭になかったが、しばらくのして、父方の代理人という東洋人が現れた。
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