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謝ればいいだけじゃん?
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「近野!!お前、近野?近野だよな!?」
いつもならば、そう呼ばれても逸郎は気づかなかっただろう。
自分で名乗った時ですら、思い出すのに少々時間を要したくらい昔に捨てた名前だったから。
「よくわかったな…」
目の前の軽薄そうな男に向かって、逸郎は苦笑を漏らした。
「いや、自信はなかった…」
と、男は細い目を更に細めて少年の様な笑顔を返す。
「つーか、お前こそ俺の事わかってる?」
「わかるよ…健一(ケンイチ)だろ?」
「すげー、よくわかったな!?」
健一が大袈裟な声を上げた所で、彼の背後で電車のドアが閉まる。
逸郎が乗る予定だった電車だ。
健一は、それからたった今降りてきた。
すれ違い様に肩を掴まれるまで、逸郎は健一になど気付いていなかった。
そもそも、他人に興味自体なくて、普段は殆ど目にすら入っていない。
それでも健一の顔を見た瞬間、記憶が一気に蘇る。
髪型や服装は、あの頃から想像出来ないほどチャラチャラとした物になっていたが、細い目と、口角の上がった薄い唇は記憶の中の面影を強く残していた。
「いや、お前そのまんまだよ…」
懐かしさに思わず笑みを零す逸郎に、健一は不服そうな顔で後頭部を撫でた。
「マジか!?これでも、デビューしたつもりなんだけどなぁ…」
「デビューって…何デビューだよ……」
この調子のいい性格もまるで変わってないな…と、逸郎はどこかホッとしている自分に気付く。
英介の時は、あんなに重く捉えていたこの街の思い出が、急に単純な物に思えて来たのはきっと健一の人懐っこい笑顔と性格のおかげだろう。
「しかし、お前は変わったなー!」
言いながら、健一は馴れ馴れしく逸郎の肩を抱いた。
それには流石の逸郎も少し腰が引けた。
「いや…そんな奴によく声かけたな……」
少し迷惑そうに顔を歪める逸郎に構わず、健一は「あー…」と、間抜けヅラでホームの天井を仰ぐ。
「まあ、駅で何回か見かけてはいたんだよ、あいつ見たことあんなー…って…んで、さっき急に名前思い出したから、話しかけてみた!」
「違ったらどうすんだよ…」
「謝ればいいだけじゃん?」
呆れる逸郎に対し、健一は当たり前の事を当たり前の言葉に乗せてニカっと笑う。
その笑顔を見て、この街の人間はシンプルで純粋だな…と逸郎は感じた。
戻って来てからは、この再会以外に英介と英介の母にしか会っていないけれど、思えば、小さい頃の自分もそうだった。
ただ幼いからと言うだけじゃない。
この街自体が、きっとそうさせていたのだ。
たらればを考えるのは、遠の昔にやめていた。
だが、どうしても、頭に浮かんでしまう。
もし、自分がこの街で——
「イツロー。そうだよ!イツローだよ!」
明るい声が沈みかけた逸郎の気持ちを払拭した。
「な、イツロー、折角だから、どっかで話でもしようぜ!」
「別に…話すことなんて…」
——ないと言い終わる前に、健一は逸郎を無理矢理引っ張って改札へと向かった。
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