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二十二話
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「……帰りたないわけやな」
茶倉が嫌悪に顔を歪めて吐き捨て、玄が怒りを込めた拳を握りこむ。
「練、お前どこで」
「お前が夢の話した時」
意外な返答に瞬けば、茶倉が左手首に巻いた数珠を回す。
「詩織さん、なんで『助けて』やなくて『止めて』いうたんやろな」
「自殺を警戒してんなら『止めて』でも不自然じゃねえだろ」
「『止めて』じゃどっちが被害者で加害者かわからん」
まさか。
「粗大ゴミの解体なんて大噓、苦しい言い訳。裏口のマットレスは練習台」
「自殺の予行演習?」
「思い出せや玄」
これ以上とぼけるのは無理だ、既に気付いてしまった。だって吉田はハッキリ言ったじゃないか。
『何がおかしいもんか、アイツらは自分の子どもが無事だから平然としてられるんだ』
両手で顔を覆い、冷えた汗を拭い、おそるおそる提案する。
「駐在に連絡……」
「証拠はない」
「裏口のマットレスは」
「粗大ゴミうんぬんで切り抜けられたらしゃあない」
「運営にチクるか」
「娘が神隠しに遭うた男がトチ狂て血祭り計画しとるて?誰が信じんねん」
そうだ、証拠がない。
これは全て茶倉と玄の妄想に過ぎない、全部杞憂ですむかもしれない。
そうであってほしいと切に願うが、そうならなかった場合は……。
「親父に協力を頼む」
「おっさんなら信じるかもな」
「でもって寸前で取り押さえる。凶器を没収すりゃ事は丸くおさまる」
「吉田に同情しとる?」
「まさか。けどさ、肝心のみどりがいなけりゃどんなに懲らしめたくたって真相は闇の中だろ」
どうするのが正解なのか。
詩織の警告を役立てられないもどかしさに押し黙る玄をよそに、立ち上がりざま神社の後ろに迫った十江山を振り仰ぐ。
「俺が行く」
「どーゆー……」
「俺は山で権現と交渉、お前は神社で吉田の見張り、二手に分かれるんや。吉田が神隠し信じんのは自分の目で山神見てへんから、ほな権現連れてきて脅かしたれ、娘が食われたて信じ込ませろ」
無謀な作戦にあっけにとられ、同じく立ち上がる。
「権現は人食いじゃねえ、居場所のねえ子供たちを守ってんだよ」
「知っとる」
「~~ッ、それでよくンな鬼畜な提案できるな人の心ねえのかお前!」
「それ以外にどないせえっちゅうねん、文句いうなら対案出せ」
警察や運営を説き伏せるには吉田の犯意を裏付ける証拠がいる。ボロボロに切り裂かれたマットレスだけでは弱い、いくらでも言い逃れができる。
よしんば変人扱いは確定だろうが、人殺しとして捕まるのとでは雲泥の差だ。
「稚児行列は権現のご機嫌とりの催し。ここまできたら嘘をホンマにするしかない」
「権現を担ぎ出して……そのあとは?大人しく山に帰ってくれんのか、みどりはどうなるんだ」
真実を知った今、断じて親元には帰せない。
児童相談所に持ち込むのが正しい判断にせよ、既にみどりは普通の子じゃなくなってしまった。
かといって権現のもとに帰すのが正しいのか答えが出ず、混乱しきって食らい付く。
「俺が行く」
「腕と脚イカレとんのに?大人しゅうるすばんしとれ」
「山歩きは慣れてる」
十五年前と同じ後悔を味わうのはまっぴらごめんだ、一人で行かせてなるものか。
「十江山は成願寺の庭、俺は権現とタイマン張った男だ。ここでケツまくれねえよ」
「足手まといはいらん」
「どっちが。ていうか権現の居場所わかんの」
玄の問いに不敵な笑みを返し、指に挟んだ式札を翳す。
「ぬかりなし」
太鼓の低音と笛の高音が呼応する祭囃子が最高潮に達し、カラスが飛ぶ空が暮れなずむ。
「権現かてみどりの親父や村の連中に言いたいことたまっとるんちゃうか。ええ機会さかい洗いざらいぶちまけたれ、見せ場は作ったる」
「ひとりで突っ走んな、どうしても行くってんなら一緒に連れてけ」
茶倉は哀れむように玄を見下し、衒うでもなく禁句を口にした。
「俺は天童やで」
十五年前、茶倉練は稚児の戯を制した。
最終課題できゅうせん様が暴走し、そのせいで多くの子弟が深手を負い、術者の将来を絶たれた。
霊感を失った者がいる。
内臓にダメージを負った者がいる。
目玉を抉られた者がいる。
「嫌だ。代われ。権現は悪いヤツじゃねえ、話せばわかってくれるかもしんねえ。アイツの記憶を、過去を見たんだ。ずっとずっとお袋代わりにガキども守ってきた優しい神様なんだ」
「すっかり絆されてもてホンマお人好しやな、誰かさんに似とる」
「練!!」
心配なんだお前が。
守りたいんだ。
それだけの本音が喉に閊えて出てこず、伝える資格がないと逸る気持ちを戒め、全てをねじ伏せる傲慢さでもって弱さを克服した嘗ての少年に縋り付く。
「土地勘も体力もねえくせにツマんねえ見栄張んな、別行動とるよか組んで当たった方が勝率上がんだろ、なんで俺だけ蚊帳の外なんだ今さら知らんぷりできねーよ、権現の過去も吉田の本性もみどりの事情も全部知っちまったんだ、頼むからおしまいまできちんと関わらせてくれよ!」
相棒にしてくれなんて言えねえ。言えるわけねえ。
もうておくれだ。
「腕と脚が折れたって知るか、這いずって行くからな!」
あらん限りの憎悪と侮蔑に端正な顔が歪む。
「十五年遅い」
おもむろに玄の顔を手挟み、噛んで含めるように言って聞かせる。
「自分のオーラの色知りたないか」
「……何色?」
「|迦楼羅炎《かるらえん》の赤。不動明王が背負うた炎の色」
すべての諸金剛に礼拝する。
怒れる憤怒尊よ、砕破せよ。
「今まで見た中で二番目に綺麗な色」
「二番目どまりかよ」
「せやで。選ばれるのはお前やない」
「一番は豆狸か」
打ちひしがれた玄の唇に唇を寄せ、吐息を絡めて囁く。
「先に裏切ったのはそっちやろ」
そうだ。
見捨てた。
「覚えとるで。忘れへん。瞼に焼き付いとる」
やめろ。
やめてくれ。
「最初の時も恥ずかしかったけど二番目の方がこたえたな。言うにことかいて人呼ぶんやもん、うっかり露出の趣味に目覚めかけたわ」
許して。
暴かないで。
「布団からでてこなかったわけ、知っとるで」
障子越しの笑いと揶揄。大事な友達が隣の布団で犯されているのに、それを見世物にしている連中がいるのに、どうして飛びかからなかったのか。
「勃っとったんやろ?」
あの時、玄の股間は痛い位テントを張っていた。
「信じてくれ、わざとじゃねえ」
姿を見ずとも切ない喘ぎだけで体が火照り、股間が勃起した。
「あん時はどうかしてた。俺、怖くて。金縛りで、体動かなくて、なのに勝手に……ッ、本当に助けたかったんだ」
あの夜に戻れたら、迷わず陰茎をねじ切る。
「ごめん練。友達が化けもんに滅茶苦茶されるより、お前に軽蔑されるほうが怖かった」
十五年前のあの晩、自分がどれだけ浅ましく惨めで最低な人間か思い知らされた。
玄は狡くて弱い人間だ。
だから真っ先に保身を考えた。
今障子を開けたらなんて言われるか。祖父の面目は丸潰れ、両親は息子を恥じ産まなければよかったと後悔する。
悶々と考えを巡らすあいだも股間は限界まで昂り、あとほんの少し立ったり歩ったりの刺激が加われば、皆の前で不始末をしでかすのは確実に思えた。
「きゅうせん様がお前に好き放題してる間、心ん中で狂ったみてえに文殊滅淫慾我慢陀羅尼を唱えてた。全然利かねえ。嘘っぱちだ。仏様の教えはインチキだった」
玄の下半身に手を移し、股間を捩じる。
「最終課題で小便もらしたろ」
全身が羞恥に燃える。
「玄くんのちんぽ狂っとるね」
いっそ無邪気なまでの嗜虐に酔って股間をまさぐり、十分仕置きしてから離れ、ひらひら両手を翻す。
「小便たれは連れてけん。ま、そういうこっちゃ」
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