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第一話
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それは、関西方面では珍しく雪の降る日だった。
秦野潤(ハタノジュン)から見れば、御堂和臣(ミドウカズオミ)は「オオカミ」というよりは、第一印象は「大型犬」だった。
俺が自由奔放、「猫」みたいな性格だったから、きっと相性は悪いに違いない。
……勝手に思っていた。
猫の友達はやっぱり猫がいいに決まっている。
もちろん、和臣に出会うまでの話だ。
* * *
十二月半ば。師走。街の景色はクリスマス一色だった。
イルミネーションがキラキラと輝いて、通りを歩く人たちもどこか浮ついている。
この日、俺は勤めているIT関連企業『猫山アプリケーション』で忘年会があって、その帰り道だった。
俺の会社では、社内で猫を三匹飼っていて、自社のプロモーションでも猫たちを前面に推している。
猫がモチーフのゲームとか、会計ソフトとか、そんな感じ。
社内で猫を飼えば癒し効果で生産性が上がるよねって、女社長である佐伯は言っていた。
まぁ、単に社員全員猫が大好きなだけの会社だ。
そんな会社で、俺も猫には日々癒しと元気をもらっている。
生産性が上がっているかは疑問だけど。
オフィスにいる猫は、いつも社内で大運動会。取引先の電話を勝手に切ってしまうこともあった。どちらかといえば仕事の邪魔しかしていない。
でも可愛いから許されている。
そんな弊社のサラリーニャンは社長の飼い猫で、毎朝、佐伯と共に出社してくる。
名前はミケとトラとシャケ。
猫好きが集まる会社なので、自宅で猫を飼っている人間も多い。
だから、まだ夜の九時を回ったところでも、愛猫に会いたいからって忘年会は早々にお開きになった。
俺も例に漏れず、昔から猫が大好きだったし、社会人になったら、すぐに可愛い猫ちゃんを家に迎える予定だった。
が、未だにその夢は実現されていない。
なぜかというと猫と俺の相性が極端に悪いからだ。
社長には「猫が猫を飼えるわけないわ〜」なんて、よく、からかわれている。
俺は性格が猫っぽいと昔から言われていた。でも、猫の友達は猫なので、社長の説は俺的には納得していない。
(俺だって、猫飼いたいよ!)
忘年会は、猫好きの猫好きトークばっかり。ますます家に猫を迎えたくなった。
でも、多分、無理。猫が俺に全然懐いてくれないのだ。
会社の猫たちは、他の社員とは楽しそうに遊ぶのに、俺にだけそっぽを向く。
というか、そもそも見向きもしない。出社しても朝から夕方まで、完璧に無視だ。
「寒っ……雪降ってるし、あー、早く家に帰ろう」
自宅マンションに着いて、俺はカバンから家の鍵を探す。
けれど、リュックのなかにいれていたはずの鍵がどこにもない。
「え、な、なんで?」
鍵はカバンの内ポケットに入れていたはずだった。
――しばらくカバンの中を探して、オフィスに置いてきてしまったと気づいた。
昼間、会社の猫たちとキーホルダーの羽根じゃらしで遊んでいたのだ。
……言うまでもなく、今日も遊んでくれなかった。
「バカだ」
猫は、猫を飼えない。
社長が笑いながら言っていたことを思い出す。生き物を飼うには、責任感が必要だ。
こんなふうに抜けている俺は、やっぱり生き物を飼う資格がないのだろう。
もし今、俺がマンションで猫を飼っていたらって想像してみた。猫は今頃、部屋の中でお腹を空かせて鳴いている。
そんなの、絶対あってはならない。猫がかわいそうだ。
「はーー……」
俺は、長い長いため息を吐いて、玄関の前で扉を背にして座り込んだ。
会社のカードキーは持っている。でもビル自体がしまっているので、今日は、もう入れない。一晩寒さをしのげるところを探さなければいけなかった。
こんな日は朝まで飲みたい。
ーー今日は金曜日だ。
休日前となれば、少々の深酒をしたところで何も問題はないだろう。
「……ぅ、まって、金曜じゃん! 今日」
うめき声が漏れた。思わず頭を抱える。
明日と明後日は土日で会社は休日。
月曜日まで自宅の鍵が手に入らないと気づいてさらに落ち込んだ。
俺は、ため息と共に力無く立ち上がる。
雪の降る中、とぼとぼと、さっき歩いてきた川沿いの道を再び繁華街に戻った。
こんな日は、行きつけのバーよりも新しいお店を開拓してみようと思った。
「よっし、ここにしよう」
以前から気になっていたところだった。表の看板に『雅』と書いてある店。
川沿いの商業ビル、一階奥の店舗だった。落ち着いた雰囲気の店構え。落ち込んだ日は、こういう店が良い。
重い木の扉を開けると、面から見た店の印象そのまま。店内はおしゃれなジャズが流れ、ゆっくりとした時間が流れている。高そうな器がカウンターの奥には飾られていた。
お客は俺以外に三人。全員男性だった。
「いらっしゃいませ」
「あ、こんばんは」
磨かれた木のバーカウンターの向こうには、自分と同じ年頃か少し年上くらいの若いバーテンダーがいる。グラスを磨いていて俺を迎え入れてくれた。
「ここへは誰かのご紹介ですか」
「あ、えっと、すみません。紹介じゃないとダメですか」
「いえ、そんなことはないですよ。こちらへどうぞ」
そういって手前にある席をすすめられた。
「マスター、せっかくの新規のお客さんに、紹介か? なんて怖い声で聞いちゃ駄目でしょう、おいでおいで、寒かったでしょー」
お客の一人に快く迎えられて、ほっとした。
「紹介以外で誰かくることがめずらしいので。阿古田さんだって、隣の結城さんの紹介でしょう?」
「あら、そういえば、そうねぇ」
好立地にある素敵なお店なのに、繁盛していないのだろうかと不思議に思った。
「そうなんですか? 素敵なお店なのに」
スツールに腰掛けると、俺は思ったことをそのまま口にしていた。今日は静かに飲むよりは、誰かと話したい気分だったので、そのまま話の輪に入った。
「ありがとうございます。その……特殊なお店なので。紹介が多くて」
「え、特殊、なんですか?」
「んーっ、あたし達から見れば、このお店は普通すぎるから。逆に特殊よね。あとお酒も美味しいし」
美味しかったらいけないのだろうか? とさらに不思議に思った。
阿古田と結城と呼ばれた男性二人は友人同士のようだった。阿古田は底抜けに明るい上に、酒に酔っているのか、言葉遣いがオネエだ。結城は、その隣で静かに飲んでいる。
(楽しそうな明るいお店でよかった)
毎回新しいお店に行くときは、くじ引きをするような気分で楽しい。ふと奥の席に視線を向ける。
結城が座っている、さらに三つ向こうの席。バーカウンターの端、一人で飲んでいる男は話に混ざるつもりはないのか、一人で酒を楽しんでいた。
(あ……)
こっそり観察していたら、目が合い思わず目を逸らしてしまった。
(……なんか、すごく……綺麗な人)
涼やかな切れ長の瞳、キューティクルの整った清潔感のある髪。
仕事帰りなのかスーツを着ている。
男性に向かって綺麗、なんて表現は変かもしれない。まっすぐに伸びた鼻梁が几帳面そうな印象を与える。「甲斐性がある」を絵に描いたような人だった。もちろん話してもいないし、ただの第一印象だ。
俺みたいな、だらしない男とは対極にいるような、多分……一生友達にはなれないタイプ。
というか、俺なんかじゃ、友達になってくれないと思う。
(一緒にいたら、俺、怒られっぱなしだろうなぁ)
「で、名前なんていうの?」
「秦野潤です」
「潤ちゃんね。潤ちゃんは、どっち? 猫? 猫っぽいけどなー」
俺の会社が特殊で、猫好きばかりが集まっている特殊なところだったので、この手の猫派、犬派? という話は天気の話と同じくらい何度もしていた。
「阿古田さん、ちょっと酔いすぎですよ。――秦野さん、答えなくてもいいですから」
「いいえ、構いませんよ。俺、慣れてるんで。猫です」
「へー、見た目通りね。かわいいー」
「そうですか? 俺、猫に好かれなくて」
「なるほど、じゃあ、実際はどっちもいけるんだ」
「ん? そう、ですね。どっちも好きは好きです」
犬も猫も動物は好きだった。ただ、猫にだけ好かれない。実家にいるゴールデンレトリバーのサチコには懐かれるので、動物全般に好かれていない訳ではない気がする。
「お酒、何になさいますか?」
「えっと、苦手とかないので、マスターのオススメで」
「かしこまりました」
マスターは、手際よくシェイカーを振ると、潤の前にレモンの乗ったグラスを差し出す。
「スコッチコリンズです」
一口飲むとウィスキーベースにレモンの爽やかな味がスッと口の中に広がり好きな味だった。マスターはとても腕がいい。
「おいしいです」
「ありがとうございます」
「マスター、腕は確かよ、バーテンダーのなんとかって大会で、なんとか賞をとったって」
「阿古田さん、なんとかしか言ってないですよ。協会の技能競技大会です」
「それよ、それ」
「賞は、昔なので大したことないのですが、褒めていただけて嬉しいです」
控えめで人の良さそうなマスター。美味しいお酒。初めてだけど居心地の良さを感じていた。
「ところで、潤ちゃん。今日は、相手探しに来たの?」
「え、そんなガツガツしていないですよ。今日……家に帰れなくて、時間つぶし、かな」
バーに出会いを求める人もいるかもしれないが、俺はそんなつもりはなかった。それ以前に、俺は壊滅的にモテない。
甲斐性がないし、付き合っても弟の面倒を見ているみたいって言われる。そういうところが駄目らしい。
学生時代、彼女には文句ばかり言われていた。
俺が悪いのは自覚している。彼女とは「ワガママと気まぐれに付き合ってくれるのは、親と潤の家の犬くらいよ」って言われて別れた。
そのときは、その通りだと思った。未だにその言葉がグザリと胸に突き刺さっている。
(……なんで、こんなこと今更思い出すんだろう)
バーカウンターの端で飲んでいる男が、元カノが言った理想の完璧な男に見える。
なんだか、彼の姿を見て勝手に一人で落ち込んでいた。
(やばい、酔った、かな)
ここへ来る前に、忘年会でも飲んでいた。カクテル一杯で簡単に酔ってしまう。
「家帰れないの?」
「えっと……会社に鍵を……忘れてきてしまって、部屋に入れなくて」
「へぇ……そうなんだ」
俺がそう答えると、阿古田と結城は顔を見合わせた。何か変なことを言ったのだろうかと心配になる。確かに大の大人が、家の鍵を会社に忘れてくるなんて普通はない。
ますます落ち込みそうだった。
「ねぇ、潤ちゃんさ、このあと、私たちと……ホ」
阿古田が潤に話しかけたときだった。今まで静かに飲んでいた男が、突然席を立った。
呆れているような、それでいて苛立っているような顔で俺を睨みつけている。
「どうしたの急に、和臣くん」
「マスター。帰ります」
「今日は早いね」
「いえ、あぁ、そこの秦野さん……大分酔ってるみたいなので、私が家まで連れて帰りますよ」
「え? 気づいてなくて、大丈夫ですか? アルコール強かったですか」
マスターは俺の顔を心配そうに覗き込む。確かに酔っている。でも他人に帰り道を心配されるほどではないと思っていた。
「え? だ、大丈夫ですよ? 俺」
「酔って、ます、よね、秦野さん」
「あ、は……はい」
男の怖い顔に気圧される。
言葉にはスタッカートが付いていて有無を言わせずという感じだった。俺は反射的に、こくこくと頷いてしまった。
「お会計、彼と一緒にしてください、知り合い、なんで」
「えー御堂ちゃんと潤ちゃん知り合いだったの?」
「――はい」
阿古田に問われ御堂さんはニコリと微笑んだ。
その微笑みは女性なら誰でも落とせそうだった。甘いマスクに耳に心地よく響く低音。落ち着いた声。
「えぇ、私の取引先の方で。ね、秦野さん」
(そうだっけ?)
そう言われても俺は「ミドウカズオミ」という名の男に覚えがなかった。
けれど、本当に仕事の取引先の人だったら、ここで違うと言い切ってしまうのも問題がある。
考え込んでいるうちに、御堂さんは俺の会計まで終わらせてしまった。
「ほら、秦野さん行きますよ」
「あ、は、はい……」
御堂さんに腕を掴まれてドアの方まで歩いていく。自分では気づいていなかったが大分酔っていたらしい。足がもつれてまっすぐに歩けない。
「ねぇ和臣くん。分かってると思うけど、大切なお客様なんだから「無理強い」は駄目だよ」
「分かってます。――しませんよ、そんなこと」
マスターと御堂さんの会話に首を傾げる俺に、また御堂さんは呆れたような顔を向けた。
「秦野さん。足元危ないですから、腕どうぞ」
「え、あ、は、はい。あり、がとう、ございます」
そうして俺は、御堂さんに手を引かれバーから連れ出された。
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