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敗北 -7-
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「えッ」
急に、喉が締まる。拍子で漏れ出た空気が小さな音を鳴らした。
「あっ?」
同時に、櫻井の身体は意図していたのと反対方向に、強く引っ張られた。
喉が締まったのは襟元から引っ張られたからであるようだ。後ろに引かれた体はバランスを崩し、櫻井はそのままホームにドタンと尻餅をついた。
「っ……?」
状況を理解できないまま、櫻井は自分が引っ張られた方に首を回した。
まず目に飛び込んできたのは、まだワイシャツの首根っこを離さない腕。それを辿った先には、男の顔があった。
目が合ったのその一瞬、その大きく見開かれた瞳と、引きつった唇でできた、大袈裟なほどに怯えた顔を、櫻井は今でも鮮明に思い出せる。
この男は、自分のことを引き止めた。櫻井はその顔を見てそれを理解した。
「わっ……ちょ、ちょっと!」
目が合ってすぐに、掴まれたところから上に引き上げられ、櫻井はよろけながらも立ち上がった。
櫻井を掴んだ男は、そのまま電車の列とは反対方向へ、櫻井をズンズン引っ張っていった。周りが怪訝そうに、後ろへと向かう自分たちに視線を流してくる。
「おいっ!木田っ……何してんだよっ!!」
声に櫻井が視線を向けると、随分チリチリとしたパーマヘアで、肩に何か大きなものを抱えた男が、同じように列を逆走してこちらを追いかけてきた。
その背後には、電車が到着しているのが見えた。今しがた飛び降りようとしていたところなのに、櫻井は『乗り遅れる』と頭の中で慌てた。
それでも櫻井はヨタヨタと後ろ歩きで、ホームの真ん中に引きずられるままになっていた。
階段の陰になった場所まで来ると、櫻井を引っ張っていた男……木田という名前なのだろうか、彼は突然ピタリと止まった。櫻井も1度2度足踏みをして、バランスを整え止まった。
木田は浅く、小刻みに呼吸をして、若干震えているようだった。
若者のその怯えた姿に、自分が衝動で何を行おうとしたのか、じわじわと実感が蘇ってきた。
自分は自らの人生を絶とうとしたのだ、その人生となんら関わりない、彼の目の前で。
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