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解放 -5-
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「……さん、櫻井さん?」
「おぉっ!」
いつの間にか後部座席に乗っていた前島の声に、櫻井は我に返った。
「あぁ、おはよう……行くか」
慌てて踏んだアクセルに反応して、車がブォンと物言いたげな音を立てながらタイヤを転がし始める。
「今日もお疲れか?」
「いや……むしろ寝過ぎたくらいだ、逆にボーッとするな」
櫻井は嘘は言わなかったが、それ以上に思うところがあることは言わなかった。
解放感はある、もう黒宮たちとバカらしい駆け引きをすることも、無遠慮に体を弄りまわされることもない。
何より、絶望的な状況から一夜にして脱せたのだ。気持ちが晴れやかにならないはずもない。
ただこの急速な展開に心が追いつかず、どうにもフワフワとして身が締まらない。
少しの間とはいえ、時間と頭の大部分を彼らに費やしていたのだ。それらを失くしたことによる、一種の虚無感とでも言えばいいのだろうか、これも。
櫻井は木田の家へと走りながら、昨日の今日で彼にどんな顔を向けようかとも考え始めていた。
あんな風にボロ泣きして、また木田に余計な心配をかけさせているとしたら、それは自分の本意ではない。どうにか「もう平気だ」ということを伝えねば。
「前島、そろそろ木田に電話入れといてくれ」
「へいよ」
前島が木田を呼び出して、会話の途中で舌打ちを挟んでから騒ぎ出すのを聞きながら、櫻井は今日も「いつも通りの自分」のシミュレートを始めた。
車が家に着いたとき、丁度ダラダラとした足取りで木田が道に出てきたところだった。
「おはよう」
「おはよーさん」
木田はそれだけ言うと、前島の隣にドカッと座り、そのまま腕組みして目を閉じた。櫻井は一瞬拍子抜けしたが、すぐに何も言わずに車を出した。
いいだろう、いつも通りの木田だ。
前島にも、今日一日の自分を見せて、なんてことはないと教えてやらなければ。
3人はそのまま雑誌の取材と撮影のために現場に向かった。
木田と前島が白いスクリーンを背景に気取って佇むのを眺めながら、頭の中は次に自分がすべきことを考えていた。
とりあえず社長にもう一度頭を下げる必要があるだろう、それに新しいドラマーも探さなければ。時間も無いしじっくりと厳選もできないから、前々から知り合っておいた人間の中から、目星を付けて……
櫻井は、今そんなことを考えている自分が、ついおかしくなった。
昨日まではこの先のことなど考えられないくらい視界が暗かった。まだ本調子とはいかないが、それでも気分はずっといい。
やっぱり、彼らと一緒に仕事が出来るというのも、かけがえのない幸せなんだ。
櫻井が幸福に浸っていたところで、携帯がポケットの中で震えだした。すぐに途切れないということは着信だろうかと、櫻井は画面を確認した。
武上征爾。
その文字列にスッと血の気が引いた。
彼とは結局、一昨日の夜以降会っていない。しかし武上の事だから、昨夜自分と黒宮の間に起こったことくらいは知っているはず。
その上で、この男からどういう連絡があるというのか。
櫻井はスタジオの外に出て、心の準備を整えてから通話を繋いだ。
「……なんですか」
少し間を置いて、慎重に発声する。
『おはようございます。櫻井さんに、出来れば直接お会いしてお伝えしたいことがあります。ご都合はいかがでしょうか』
「勘弁いただきたいですね、あんたらとこれ以上話すことはないつもりだ。仕事中ですし、切ってよろしいですかね」
「そいつは残念だ」
櫻井が背筋を凍らせたのは、武上のその口調にではない。
その声が電波を介するよりもずっとクリアに、すぐ近くから聞こえてきたことだ。
「あんたの笑顔が見たいのに」
通路の陰からノンビリと現れた武上は、大袈裟な手振りで通話を切ると、ニヤリと笑顔を見せた。
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