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「あーうーあー」
朝方の神社は空気の波が穏やかだ。そろそろ散歩に訪れる早起きの人間が出歩く時間、雨戸を開け放つと閉じていた本殿に光が入る。
神社の境内よりも中にある本殿の真ん中に大の字に寝転がっている不届き者がいる。普段この場所には、御祭神がいるのだが、今は神無月のため不在だ。
「おい、もうやめとけって」
「ういー」
確かに神無月は全国の神がとある地域に集まり神議を行う…が、津々浦々の神々というわけではない。
「だってぇーお酒がおいしーんだもーん」
飲み干して氷だけ残っているグラスを取り上げる。
仰向けになってふにゃふにゃの力の入っていない顔面を見下ろす。
「ったく!御祭神がいないとこれかよっ!」
この神社の御祭神は、神在月に参加できるほどの古く尊き神で格式が高い。
だから普段は、そんな神がいる本殿で酔っ払った挙句に大の字で寝るなんてことが許されるわけはない。
「いいじゃーん!1年に一回ハメ外すくらいーっ!」
彼は末社に祀られており、神無月になると留守番を任される。
「しゃんとしろよ」
鬼の居ぬ間になんとやら…
御祭神は鬼のように気性の荒い神と言うわけではないのに。
「えーっ!いーじゃーん!」
口を尖らせながら、両腕と両足をジタバタと動かして抗議する。鬱陶しさが増す。
「あっ…そういえば、なんだっけこういうの?」
「はあ?」
ぴたりと動きを止める。
末社とはいえ、神は神なのに本殿の畳の上に寝転がり、あろうことか人間がその姿を見下ろす。普段は決して許される行いではない。
例えば、諸説あるものの家にある神棚を自分の目線よりも下に置くのは無礼に当たるとそれ用に棚を設けることもある。神棚に祀るのは、社で御霊を分けた分身といわれているお札なわけで、それを目線よりも下げないことが礼儀とされている。だから、目の前のくだを巻いているのを見下ろすということは無礼にあたる。
「ほら、こないだ言ってただろ?若者がよく言ってるカタカナの…」
考えが若いというべきか、柔軟性があるというか、浅はか…いや、ここは端的に言いたい。
「莫迦か?そんな言葉使ったら口が腐るぞ」
腐っても神は神。
いくら言語に流行り廃りがあるからといって、今時の若者が使うようなわけのわからないカタカナの言葉を使おうとするだろうか。
「いいじゃん!…あ!思い出した!パーチーだ!」
正確じゃないところが愛嬌あるというかなんというか…正直呆れる。
「だから、いうな」
「えー!いいじゃん!俺、ぱりぴダロ?」
発音がバラバラだし、思い出したくらいで得意げになっている姿に白い目を向ける。
「もうやめろって」
神の言葉だというのに聞くに耐えない。
「神の居ぬ間にパァりぃなイッだなっ」
ふふんと上手いことを言ったとばかりに得意げだった。
なんだか言葉に変な小節が効いているように聞こえてしまって体の変なところがむず痒くなる。
「変な言葉を使うな」
末社の神は、仰向けに寝ていた体勢を軽々と起こしてあぐらをかく。
後ろを振り返ってグラスを持って立っている男を見てまた表情を緩める。
「イツキのロングアイランドアイスティーが飲みたい」
神にお供え物をすることがあるように、例えば蛇だったら卵とか、お稲荷さんだったら油揚げとか…思いつく限りで、神饌の好みは様々にあるが、こうも断定的に好みを言われると人間臭くて神だということを忘れそうになる。
ただ、神も人間と等しく酔うのだということと、酔っ払ったら面倒くさくなるのだということは変わらないのだと思う。
「何を言ってんだよ酒ザコが」
「うわっ!!何それっ!新しい言葉!?酒に弱いってこと!?雑魚ってこと!」
そういえば、古事記に書かれている八岐大蛇は酒に酔って寝ている隙に素戔嗚に討伐され、ヤマトタケルは酒に酔った敵勢力の首長を殺した。酒にまつわる伝説は古より伝わっている。命を取られないだけでも御の字だというのなら、終電で乗り過ごしたことのあるサラリーマンでさえ同意と言える。
「すげぇな…そんな言葉あるのかよ。今度使ってみよー」
「いつ使うんだよ」
察しよく興味津々に目を輝かせるが、冒涜だという事に気づいているだろうか。
「イツキまた今夜も作ってよ」
八岐大蛇を倒すときに用意された酒も、ヤマトタケルが宴を利用して豪族を倒した時に出されていた酒も、どう考えてもカクテルなんかであるはずがない。
ましてや、ロングアイランドアイスティーなんて奇異な名前の酒を好む神がいてたまるか。手癖の悪い男が女性を酔わせる常套句で使われていた酒の代表的なカクテルとして悪名高い。やはり、酔っぱらうと何かを失うことになるのは神も人も…いや、今も昔も同じなのかもしれない。それを教訓に学びがないのはいつの時代もきっと変わらない。
「いいけど…深酒はするなよ」
「それはイツキ次第だろ」
カクテルの中でも酒の強いものを注文しておいて、その匙加減を委ねる。
ロングアイランドアイスティーなんて、四大スピリッツが入っているんだから酔わないはずがない。ちなみに、アイスティと名がついているがアイスティのように見えるだけで、実際お茶的なものは入っていない。だから、名前や見た目や飲みやすさに惑わされる人は多い。
「イツキ」
気の抜けた瞳で見つめられる。
「…やめろ、そんな目で見るな」
イツキは、末社の神から視線を逸らした。
「なんだよ、いいじゃねぇかよ」
イツキが視線を逸らしたことをいいことに近づいて手にしていたグラスを取り上げて離れた場所に置く。
「よくねぇだろ」
早起きな爺婆は、そろそろ犬の散歩にこの辺りを彷徨く時間だ。
「知らねぇのか?神だって子作りするんだぜ」
知ってる。
そうでなければ、今この土地は存在しない。
これは末社の神による戯れの1つで、自分たちのことをどれだけ人間が知っているかというのを試しているんだと思った。というかイツキはそう思いたかった。目の前にいるのが神である以上、言葉通りに受け取ることは自分がさもしい人間であると自覚させられるような気がして嫌だった。
「俺は余ってる部分はあるが、足りない部分はない」
古事記では、国生みがイザナミとイザナギによって行われた。
女性神であるイザナミは「私は成人していますが足りない部分があります」と言った。男性神であるイザナギは「私は成人していますが余っている部分があります」といった。そうして「余っている部分で、足りない部分を塞ぐことによって、国を産みましょう」といってイザナミは最初に淡路島を産んだことに、日本の国土は始まっている。
つまり神も人も等しく同じ身体の構造をしているのであれば、イツキには『余っている部分』はあっても、足りない部分はない。神と同じ構造であるなら、わかっているはず。
「野暮なこと言うんじゃねぇ」
末社の神は自分よりも格上の神の言葉を比喩され、挙句それが男性神であることからムッと下唇を歪めた。腕を強く掴んで体勢を崩したイツキを畳の上に押し倒して馬乗りになる。
「お前、神だろ?」
「だからなんだよ」
その自覚はどうやらあるらしい。
「不公平なことすんなよ」
神から与えられるご利益が、ある特定の人物だけに注がれたらどうだろう。他の人間は見向きもせずに、特定の人間だけにご利益が注がれたら、それを見た人間は嫉妬して不平不満を漏らすに決まっている。それに御祭神だって黙っていないはずだ。
「これは不公平なんじゃなくて選り好みって言うんだよ」
「屁理屈捏ねるな」
神を人として、神社を家とするならば。他人の家に入るときに『お邪魔します』と礼を尽くすのは当たり前ではないだろうか。鳥居をくぐる時に頭を下げて参道を静かに通り、手水舎で手を洗うのは、他人の家に行ったときに洗面所を借りて汚れを払う行為だと思うだろうか。
例えば自分が他人を家に招いた時に、土足でズケズケと上がり込んで、顔面に端た金を投げつけられて『金やったんだから俺の願い叶えろよ』と欲望を押し付けられるのと同じとようにゴミを撒き散らかされて知らんふりして帰られたらどうだろう。そんな人間の願いを叶えたいと思うだろうか。もしくは、それさえ許してくれるのが神であると、人間の都合の良い方向に考えていないだろうか。神は人間が思っているよりも、ずっと感情が豊かである。
「発情した」
「言葉は選べよ」
乗り気じゃないイツキに焦れた末社の神は強行する。
「交尾したい」
「もっと悪い」
もしかしたら、神が人間っぽいんじゃなくて、人間が神だったのかもしれない。
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