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クリスマス前夜
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一時間に数本、鈍行しか停まらない小さな駅でも、街路樹に電飾が巻かれ浮かれた様相を呈している。首をすくめて暗い夜道を歩くと、派手なイルミネーションが施された住宅をいくつも目にした。
インターン先から水瀬さんの部屋へ向かう途中、ポケットの中でスマホが震えた。スマホを握りしめたままポケットに突っ込んでいた手を出し、電源を付けて通知を確認する。水瀬さんから「卵買ってきて」とラインが入っていた。
何故卵が必要なんだろうと首を傾げる。今日は独り身のゲイ4人で早めのクリスマスパーティーという名目の集まりだ。「他に必要なものはありませんか」とメッセージを返し、進路をスーパーに変更した。
部屋のインターフォンを押すと、中から足音が聞こえて鍵の解錠音と同時に内側からドアが開いた。
「お疲れ様。寒かったでしょう」
出迎えたのは滝沢さん。俺の一個上の大学3年生。遅れて水瀬さんが玄関に顔を出した。同じく大学3年生で、この部屋の家主だ。
「卵ありがとー」
俺から卵を受け取ると、さっさと部屋の中に戻っていく。良くも悪くもマイペースなのだが、要領が良く世渡り上手。インターン先の受けが良く、すでに内定が貰えそうだと聞いている。
「氷河ー、卵来たよ」
水瀬さんに続いてぞろぞろと部屋に入る。外は雪が降り出す前の底冷えする寒さだったが、暖房が入り、こたつの上に卓上コンロと煮えた鍋が設置されている水瀬さんの部屋はじんわりと氷が溶けるみたいに温かい。こたつに入って寝そべっていた氷河さんが遅かったな、と言いながら身体を起こした。俺に対する労いだったのか、卵が来るのが遅いという文句なのかイマイチ判断が付かない。氷河さんも大学3年生。
3年生3人の中にひとり2年が混じるという、一見関連が希薄なこの集まりは、大学非公認のゲイ・コミュニティであった。元々は3年生だけの集まりだったが、1年ほど前、大学から離れたゲイバーで飲んでいた時にたまたま会った滝沢さんに声を掛けられ、いつの間にかメンバーに加わっていた。
「水瀬さん、服借りていいすか?」
「いいよ-。その辺にあるやつ適当にどうぞ」
部屋の片隅に荷物を下ろし、コートを畳んでネクタイを緩めた。その辺に落ちていたスウェットを拝借しラフな格好になると、楽に呼吸ができるようになった気がした。やはり、慣れないネクタイは息苦しい。就職したら毎日これかと思うと窒息しそうだ。
「霧島くんはビールでいいよね?」
すでに缶ビールを用意している滝沢さんに、はい、と返事をする。誰も座っていないこたつの一辺にビールが置かれたのを横目に見ながら、手を洗いに廊下へ出た。
寒い廊下から温かい部屋へ戻ると、すでに鍋の蓋が開いて各自皿に取り分けていた。俺が戻る1,2分も待って居られないのかと思うが、鍋の中身を見て納得する。すき焼きだ。
いそいそと空いている一辺に腰を下ろすと、氷河がいい肉持ってきてくれたんだー、と水瀬さんが自分の手柄のように自慢した。
「ありがとう、氷河」
「ご馳走様です」
口々に言われるお礼に、氷河さんはおう、とだけ応えた。氷河さんの実家は金持ちらしく、親が医者だとかどこかの社長だとか憶測がされている。しかし氷河さん自身は家の話をされるのが好きではないようで、実際のところは分かっていない。着ている服を見る限り、金持ちなのは間違いないと思う。親が金持ちで、顔が良い。ぼんやりとした性格なのがもったいない。
4人で集まるのはだいたい月に1回程度。水瀬さんか滝沢さんが気分で招集をかけ、都合が付く人だけ集まるという緩い集いだ。最初の頃は彼氏が欲しくてゲイバーに通っていたが、次第に足が遠のいた。ゲイバーなんかに行かなくてもここではありのままを受け入れてもらえる、楽に呼吸ができる唯一の場だった。
「そういえば、氷河と付き合うことになった」
卵を割って混ぜているとき、肉を取りながら水瀬さんが言った。
「へーよかったじゃん。おめでとう」
大して驚いた様子もなく滝沢さんが祝福を口にする。あまりにもただの世間話のひとつだったので、それに対する明確な言葉を持てず口を挟む余地がなかった。すぐに話題は別の物事に移る。
当事者であるはずの氷河さんは我関せずというように歌番組を見ていた。人気の女性アイドルグループが、露出の多いサンタのコスプレをして踊りながら歌っている。
やっぱりな、と思いながら充分混ざった卵をかき混ぜ続ける。俺や滝沢さんの扱いがぞんざいな水瀬さんだが、氷河さんに対してだけはわかりやすくぶりっこだった。
水瀬さんの好意に胡座を掻き、来る者拒まずで、何も考えずに氷河さんがOKする場面がありありと浮かんでくるようである。
なんだか面白くない。別に、この集まりは恋愛禁止だったわけではない。かといって出会いの場でもなかったため、自分を良く見せる努力が必要なくて、駆け引きや遠慮もなくて肩肘張る必要がなかった。水瀬さんと氷河さんが付き合うことになっても、集まり自体がすぐになくなるわけではないと思う。だが、ふたりに遠慮する場面は近いうちにあるだろう。もし別れたりなんかしたら、集まり自体も自然消滅するに違いない。
就活や年末に実家に帰るのかといった色気のない話をしながら、大学生の男4人の胃袋は早々にすき焼きとホールのクリスマスケーキを平らげてしまった。
滝沢さんが皿を回収し、流しに持って行く。滝沢さんの、みんなが一番嫌がる仕事を進んで引き受けるところがオカンと言われる所以だ。年上の滝沢さんにばかり働かせられないので、ガスコンロの片付けを始める。
水瀬さんと氷河さんはまったりと寛いでいた。テレビを見ている氷河さんの膝の上に、こたつ布団の上から水瀬さんが頭を乗せている。水瀬さんから一方的に甘える姿は珍しくないが、氷河さんの手が水瀬さんの頭に添えられていて、一方通行じゃなくなったんだとまざまざと見せつけられたような気がした。空き缶を袋に回収していると、テレビを見ていた水瀬さんがぐるっと俺の方を向いた。
「霧島ぁ、買ってきて」
ケーキを食べたばかりなのに、まだ甘いものが欲しいのか。充分に暖まった部屋で適度にアルコールも回っていて、冷たいものを欲しがる心理は理解できなくもない。緩い集まりではあるが、体育会系なところがあり買いっ走りは年下の役目だった。煙草も吸いたかったしちょうど良いと思うことにする。
「スーパーカップのバニラね」
「ついでにつまみ買ってきて」
渋々コートを羽織っていると、水瀬さんと氷河さんが好き勝手言う。煙草とライターをポケットにねじ込むのを忘れなかった。
「あれ、霧島くんどっか行くの?」
部屋を出ると、ちょうど洗い物を終えた滝沢さんが手を拭いていた。
「コンビニ行ってきます。滝沢さんも何かありますか?」
「僕はいいかな。気を付けて」
一歩外に出て、安請け合いしたことを後悔した。断ったら断ったで、延々とネチネチ言われて結局行く羽目になるのだが。乾いた冷たい風が強く吹いて、暖まった身体が一瞬で冷やされた。上空は雲が少なく、星が綺麗に見える。風が強いのが難点だが、乾いた空気の元で吸う煙草はきっと旨いだろう。
「霧島くん」
水瀬さんのアパートを出て少し歩いたところで、急に後ろから呼び止められた。振り返ると、滝沢さんが息を切らせていた。
「僕も一緒に行くよ」
「おつかいだったら連絡入れてくれればよかったのに」
そうだね、と滝沢さんが曖昧に返事をした。並んでコンビニに向かって歩き出す。煙草を吸いたかったので、本当はひとりの方が都合が良かった。四人の中で煙草を吸うのは俺だけだったので、その点においては肩身が狭い。
水瀬さんの部屋から一番近いコンビニでアイスとつまみ、それから酒を買い足した。水瀬さんは場所を、氷河さんは肉を提供してくれたので、ここの支払いは滝沢さんと折半した。外の喫煙所を名残惜しく見つめてから帰路に着く。
ただいま、と一声掛けて玄関に入る。玄関はひんやりと寒々しいが、外より幾分かマシ。部屋と廊下を隔てるドアは閉じており、テレビの音が漏れて微かに聞こえる。廊下を突っ切って、部屋のドアノブを押し開けた。そこで衝撃の光景を目にする。
氷河さんが水瀬さんに覆い被さっていた。
音を立てないように、静かにドアを閉めた。
「え、何? どうかした?」
後から来た滝沢さんが、俺の背中に声を掛ける。
「行きましょう」
「えっ、え? 行くってどこへ?」
混乱する滝沢さんを押し退け玄関へ戻る。靴を履いて滝沢さんと外へ出ると、当てつけのように思い切りドアを閉めた。
「ちょっと、どうしたの?」
行く当てもなく水瀬さんの部屋から遠ざかる俺の後ろを、オロオロしながら滝沢さんが付いてくる。
「あいつら、部屋でヤってた」
それだけで説明は十分だったようで、あー……と力なく言葉を濁していた。
「とりあえず、うち来る?」
現金やICカード、家の鍵は水瀬さんの部屋にあるバッグの中だった。
滝沢さんが住んでるアパートは、水瀬さんのアパートから徒歩20分の距離にあった。部屋はこざっぱりしていて物が少なく、本や服が隅で山になっている水瀬さんの部屋とは大違いで物寂しく映る。今暖房付けるね、と滝沢さんが慌ただしく動き回るのを横目に、どっかりとテーブルの前に腰を下ろした。氷河さん用に買ったワンカップを開け、ぐいっと呷る。
「ちょっ、霧島くんそんなにお酒強くないでしょう」
どこからかブランケットを出してきた滝沢さんが慌てて駆け寄ってきた。日本酒独特のむせかえるような風味が鼻から抜け、実際咳き込んだ。咳が治まった頃、鼻が熱くて顔の中心から外側に向かって熱が広がっているようだった。それから、用心してちびちびワンカップを傾ける。意外にも滝沢さんは止めなかった。なんとか一本開けると、今度は水瀬さんのお使いで買ったスーパーカップの蓋を開けた。身体は寒いのに顔だけが熱く、頭がふわふわしている。店員が付けてくれたスプーンで大きく一口分をすくうと、躊躇わず口に入れた。一口でぶるっと身体が大きく震える。酒で生じた熱が一気に氷点下まで冷やされたみたいだ。
「何やってんの」
凍ったみたいに硬直していると、滝沢さんが肩にブランケットを掛けてくれた。両端を持って手繰り寄せ、背中を丸める。歯の根がガチガチ鳴りそうなほど寒いが、まだ部屋は暖かくならない。
「ごめんね……って僕が言うことでもないけど、あいつらのこと許してやってほしい」
「確かに滝沢さんが謝ることじゃないですね」
滝沢さんのお人好しに苦笑いを浮かべるが、滝沢さんはいたって真面目だった。
「僕がふたりきりになれる時間を作ってほしいってお願いしてたとしたら?」
その言葉が意味することを理解するよりも早く、ノコノコ付いてきてしまったことを後悔した。
年下をパシリに使うような人たちではあるが、常識が欠落しているとは思わない。俺がここに来るよう仕向けるために演技していたと言われた方がしっくりくる。
「引いたよね? ごめん。でも、話したいことがあって」
「好きだとか言い出さないでくださいよ」
先制攻撃を食らわすと、滝沢さんは目に見えてシュンとした。やれやれと溜息を吐く。母に似た顔つき、鍛えても筋肉が付かない貧相な身体。俺の容姿は、女ウケはするもののゲイ界隈では好みが真っ二つに分かれるらしい。滝沢さんが、俺に気があることは気付いていた。
お茶を淹れようかと独り言のように言って滝沢さんが席を立った。物理的な距離が生まれてホッとする。滝沢さんのことを信頼していないわけではないが、不思議なもので、相手の気持ちがわかった瞬間にこれまで通りでは居られなくなる。さっきまで何とも思わなかったのに、尻の座りが悪い。
湯気が立ったマグカップふたつを持って滝沢さんが戻ってきた。テーブルを隔てて対面に座る。目の前に置かれたマグカップから立ち上がる湯気の誘惑には勝てず、両手で包むようにして暖を取った。滝沢さんはそんな俺の様子を見てフフッと笑う。
「初めて会った時のことは覚えてる?」
「はい」
あの時は、誰かに愛されることが自分の存在価値だと思い込んでいた。初めての男と駄目になった日、バーカウンターで飲んでいると珍しくマスターが話し掛けてきた。今日みたいな無茶な飲み方をしていたから気に掛けてくれたのだと思う。初めての男にとっての自分は自分が都合良くヤれるセフレのひとりでしかなかった。普段べらべらと喋る方ではないのだが、マスターの人の良さと酒の勢いが手伝って、その男の愚痴を延々と聞かせていた。
「隣、いいかな」
話に割り込んできたのが滝沢さんだった。返事をする前にグラスを置き、椅子を引いている。その隙にマスターは俺の前から居なくなっていた。ようやく仕事の邪魔をしていたことに気付く。
少し醒めた頭で隣に来た男を観察した。愛想良くニコニコしていて、お人好しそう。一見気が弱そうに見えてナンパしてくる根性はある。丸眼鏡で、清潔感はあるがノーブランドで地味な服装。ないな、と一瞬でジャッジを下した。その印象は今でも変わっていない。
「君、○○大学だよね?」
いきなりプライベートに切り込まれ、当然警戒した。滝沢さんはすぐにその気配に気付いて、僕もそこの学生なんだといって在籍証明書を見せて安心させた。
「同じ学校にゲイの友達がいて、今度一緒に遊ぶんだけど君も一緒にどうかな。あ、僕、滝沢って言います」
流れで自己紹介をして、その友達を紹介してもらうつもりで合流することにした。そこで初めて水瀬さんと氷河さんと顔合わせをする。悪い遊びをするつもりで行ったので、ただ普通に街中で買い物をしてご飯を食べて解散するだけで拍子抜けしたことを覚えている。
「実は、その時より前から霧島くんのこと知ってたんだよね」
そういう滝沢さんもきっと同じ日のことを思い出していたに違いない。
「何度かあのバーに通ってたでしょ。僕もそうで、何度か見かけて気になってたんだ」
言われてみれば、眼中になかっただけで店内で見かけたことはあったかもしれない。
「すごく綺麗な人だなと思ってて、一目惚れだった。聞いちゃ悪いなとは思ったんだけど、マスターと話してるのが聞こえてきて。失恋したばかりだったみたいだから今はまだ告白する段階じゃないと思ってとりあえず遊びに誘ってみたけど、そうしたら君は水瀬のこと好きになっちゃうし」
「えっ」
遮ると、滝沢さんも目を丸くした。まさか気付いていないと思っていたのかと言わんばかりに。
「え、水瀬のこと好きでしょ?」
念押しされて、正直に頷いた。誰にも言ったことがないのに気付かれていたなんて。滝沢さんにバレていたということは水瀬さんや氷河さんも気付いていたのだろうか。俺に対してだけ水瀬さんの当たりがキツいと思っていたが、そういう理由だったのだろうか。
「そのうち僕のこと好きになってくれないかなって思ってたんだけど、そううまくはいかないね。さて、それ飲んだら車で送るよ。今日は酒飲んでないし」
少々乱暴に滝沢さんが締めた。あくまで口調は穏やかだったが、少し早口だったのでヤケになっているのだと分かる。
途中で水瀬さんのアパートに寄り、滝沢さんに荷物を取りに行ってもらった。決して腹を立てているというわけではないのだが、内心は少々複雑で水瀬さんと氷河さんと顔を合わせづらかった。戻ってくるのが少し遅かったので、立ち話でもしていたのだろう。荷物は後部座席に積み込まれた。
たまに一軒家の電飾がギラギラしている以外、夜の町は静かなものだ。気まずい雰囲気を誤魔化すBGMはラジオで、トークテーマはクリスマスの思い出。世間の浮かれっぷりを感じながら心は薄ら寒く、クリスマスソングの定番に失恋の歌がある理由がわかった気がする。
「氷河さんと水瀬さんって、いつから付き合ってるんですか?」
「正確には僕も知らない。氷河から告白して何回か振られてるとは聞いてたけど、僕が知り合った頃にはあんな感じだったし」
前を向いたまま、淡々と滝沢さんが答える。氷河さんから、しかも振られ続けていたのは意外だったが、水瀬さんがのらりくらり躱す様は容易に想像がついた。
「あのふたり、すごくお似合いですね」
「そうだね」
嫌味を込めて言ったのに、滝沢さんは空返事だった。自分ばかりが一方的に失恋して、みんなに裏切られたような気持ちになっていたが、滝沢さんも俺相手に失恋したばかりだった。張り合いがなくて口を噤むと、車内はエンジン音と空調の音と、ラジオだけになった。まるで冷たい夜が、音を吸い取っているようであった。
水瀬さんの見た目と服のセンスは好みだったが、横暴だし冷たいし、一体どこが好きなのか自分でもずっとわからなかった。氷河さん以外の人間に対しては、人懐っこそうでいて実は打算的で、相手との距離を計るのもうまい。別れた男は口先ばかりうまい男だったから、水瀬さんの裏表がはっきりしているところに惹かれたのかもしれない。
渋滞に嵌まることもなく、車は最寄り駅に滑り込んだ。ありがとうございました、と声を掛け、助手席を降りる。後部座席のドアを開け、ルームライトの明かりを頼りに上着を羽織り荷物を纏める。
「気を付けてね」
運転席からこちらを振り向き、作り笑いで滝沢さんが言う。もう関わることもないのだろうと思ったら、全部が急に惜しくなった。
「やっぱり俺達付き合いませんか」
「え?」
死んでいた滝沢さんの目が、大きく見開かれる。心の片隅では、何を口走っているのだろうと冷静に思っている。
A very merry Christmas and a happy new year.
スピーカーから流れている曲は、トークテーマに因みやはりクリスマスソングだった。小さい頃から何度も聞き古した定番の曲ではあったが、タイトルは覚えていない。
クリスマスが過ぎればあっという間に正月が来る。ひとりで初詣に行くことを想像したら寂し過ぎた。理由なんて、そんなもんだ。
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