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あなたがそこにいるだけで
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黒川のことを考えながら帰途についている途中、駅のホームで電車を待っていると、ポケットに入れていたスマートフォンが震え始めた。
取り出して相手を確かめると、若木からだ。
嫌な予感がしながら電話に出ると、若木は単刀直入に言った。
「月城、今週いっぱいでエターナル社との契約は終わりだって話は聞いたか?」
「え……?」
「なんだ、まだ聞いてなかったんだな。なんでも、先方はうちとは違う清掃業者と正式に契約を結ぶつもりらしい。もともとうちは遠方の業者だからな、今回は近隣の業者に空きができるまでの仮契約みたいなものだった」
「……そう、ですか」
「ああ。でも月城の仕事ぶりは、エターナル社も高く評価していて……」
若木の話をどこか遠くで聞きながら、力なく相槌を打ち、電話を切る。
初めに若木が言っていた台詞を思い出した。「一時的にスタッフを雇いたい」そういう話だった。
半ばぼんやりとしながら電車に乗り込み、どこをどう歩いたか分からないながらも、なんとか自宅に帰り着く。
鍵を開け、部屋の中に入ってソファに座り込むと、頭を抱えた。
考えるのは、やはり黒川のことだ。
今日黒川が言いかけていた台詞も気になる上に、黒川に対する気持ちを自覚しつつある今、こういうかたちで急に離れなくてはいけないのは辛かった。
今週いっぱいとは言っても、今日はもう木曜日だ。気持ちを伝えるにも、明日を逃せば次は……。
思い悩みながら何気なく冷蔵庫を開けると、そこには黒川が夕に渡そうとしていた缶コーヒーがあった。あの後、どうしても勿体なくてすぐには飲めずに、そのまま冷蔵庫に取っていた。
それを手に取り、本当に何の気なしに缶をひっくり返した夕は、底を見て目を見開く。
「これ……」
そこには、綺麗に折りたたんだメモ用紙が貼り付けられていた。
黒川がメモ用紙のことを言っていたのを思い出し、逸る鼓動を感じつつメモ用紙を取り、開いて読む。
そこに書かれていた11桁の数字を目にした夕は、迷いなくスマートフォンを取り出していた。
翌朝、仕事が始まる時間より前に、夕はエターナル社の近くにある小さな公園に来ていた。
そこで、約束した人物が来るのを待っていると、数分後には足音が近付いてくる音を聞き、顔を上げる。
「……黒川さん」
よかった、来てくれたの言葉を口にしかけて、胸がいっぱいで言葉が出なかった。
その代わりに笑みを浮かべると、黒川は緊張で強張ったような笑みを返してくる。
「やっと、気付いてくれたんですね」
夕が腰掛けていたブランコの隣に来て、黒川もブランコに座った。
「はい。……でもあれ」
言ってくれないと分からないと言おうとした夕の言葉を遮り、黒川はゆっくりと本音を語り始めた。
「言わなかったのは、俺にもあと一歩、勇気が足りなかったんです」
「勇気」
「はい。だっていつも俺から話しかけてましたし、仕事の邪魔をしに来る俺が迷惑なんじゃないかって……」
「そんなことはありません」
強く否定すると、悲しみの色を深くしていた黒川の目が、驚きに見開かれる。
「じゃあ、今日呼んだのは、迷惑とかそういう話では……」
「違います。俺は」
こちらをじっと見てくる黒目がちの目を見返し、真っ直ぐに想いを打ち明けた。
「黒川さんが、好きなんです」
「は……えっ……」
「初めは正直、俺とは違い過ぎる黒川さんが苦手だとも思っていました。でも、黒川さんが、俺の仕事にありがとうって言ってくれた時、俺は初めて自分の仕事に意味を見出すことができて、仕事が好きになれました。それに、黒川さんが」
なお好きなところを挙げ連ねようとしたら、黒川の手が伸びてきて、口に当てて止められた。
「……?」
俯いている黒川の顔を覗き込むと、真っ赤に色付いていた。
「あ……の、あんまり、俺の好きなところを言わないで」
「?何でですか?あ、嫌とかなら……」
「ち、違います。だって月城さん、いつもあんまり喋らないのに、こういう時だけよく喋るのってずるい」
つまり、照れているというのか。黒目がちの目が僅かに潤んでいるようにも見えて、キスがしたい衝動を抑える。
その前に、確認しなければならないことがあるからだ。
「黒川さんは、俺のこと好き?」
「っ、……」
返事を口にする代わりのように、黒川の顔がぐっと近付いてきて、驚きに固まるうちにさっと口付けられた。
「……き、です。俺も、す……っん」
小さいながらも必死で返事をする黒川が可愛くて、堪らずに今度は自分からキスをした。
何度もキスをしたかったが、外ということを気にした黒川に止められ、代わりに手を繋ぐだけに止めた。
「月城さんは、エターナルにはもう?」
「……はい。寂しくなりますね」
「……」
自然と沈黙が満たした時、夕は黒川に笑顔を向けて言った。
「でも、離れていても、俺はずっと黒川さんのことを考えていますよ」
その言葉に黒川は笑顔を返してくれ、ぎゅっと夕の手を握った。
「月城さん、こんな汚れよく落としましたねえ」
「コツがあるので」
「ええっ、教えて下さい」
最後にエターナル社の掃除をしてからひと月後、夕はまた新たな場所で清掃の仕事に励みながら、ある目標を胸に日々頑張っていた。
それは、清掃のアルバイトを辞め、また再就職して正社員として働くことだ。
どの仕事に就くかは、まだ具体的には決まっていない。
それでも、もうただ日々を漫然と過ごすことはないだろう。
黒川のくれた言葉を常に胸に抱きながら、今もエターナル社で働く彼に思いを馳せ、心の中で礼を言う。
黒川さん、あなたがそこにいるだけで俺はこんなに頑張っていける。
黒川が振り返り、夕に向かって笑いかけてくる姿をはっきりと思い浮かべながら、希望のある未来へ向かって夕は歩き出した。
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