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述懐(3)
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松永は暗い専門教室のある棟の階段を登り始めた。
俺は気付かれないように後を追う。
松永はその棟の一番上の階の三階まで登ると理科室の引き戸を引いて中に吸い込まれ、またすぐに出て来た。
後を追っていた俺は慌てて、柱の陰に隠れた。
松永は俺のそばを通ったが全く気付いていない。そのまま、また階段を降りていった。
「ん?カバンは持ってなかったけん、理科室に置いとるな。いつも理科室で勉強でもしとったんか?」
と松永が去った理科室に入る。
明かりのない暗闇の教室は寒々しかった。
松永のカバンをそっと右手で撫でていた時に階段を登ってくる足音が響いた。
(戻って来たっ!!)
俺は慌てて教室と扉一枚で続いている準備室に隠れた。
隠れる必要なんてなかったのだが、その時は動揺していて、準備室の扉の上部のガラス部分から顔を出して中の様子を伺った。
扉の開く音がして松永が戻って来た。
胸に何かを持っている。
暗闇に慣れきった目はすぐにそれが何か分かった。
あの猫だ。
いつからかこの高校には猫が住みついていた。
可愛いという事で生徒も触ろうとしたり、エサをあげようとするが全くなつこうとしなかった。警戒心が強く、逃げてしまう。
こんな田舎の高校だから教師ものんきなもので、それを見て見ぬふりをして黙認をしていたがエサなんて誰があげても口にはしないし、エサが豊富にあるような環境でもないのに至って健康そうだった。
「あんなに元気そうだがエサはどうなっとるっちゃろなぁ」
と授業の合間に教師が言う位だから誰も知らなかっただろう。
その猫を松永は普通に抱いて撫でていた。猫も甘えるような鳴き声を発している。
それだけでも驚いたが、松永は机の上に猫を置くとカバンから何か取り出していた。
「小遣いあんまないけん、こんなもんやけどこうてきた(買って来た)。食べりー」
そう言って松永は猫の前にどこかで買って来たであろう、猫のエサを皿に盛り猫の前に押しやった。
猫は松永の顔を見上げて返事をするようにニャーと一声鳴くとエサを食べ始めた。
(食べた!?)
初めてその猫が人からエサをもらって食べているのを見た。
松永は猫に語りかけている。
「僕あと1年ちょいしかエサあげに来れんよ。他ん人間(他の人間)に慣れな生きていけんよ。やけん(だから)、僕がおるうちに他にもエサもらえる人作りー。生きていけんくなるけんね。みんなに愛されるようにせな」
松永の横顔は今まで見た表情とは全く違った。初めて見る顔付きだった。
(あんな表情も出来るのか....)
俺は優しい表情を浮かべた松永の横顔に見惚れた。
一通り食べ終わった猫をまた胸に抱いて松永は猫を撫でている。
真っ暗な理科室で明かりも灯さず、底冷えのする理科室の中、自分の身体で温めるように松永は猫を抱いて体をさすってあげていた。
松永は語りかける。
「ここ卒業したら東京行くつもりやけんね、エサあげられんけん。お前生きていける?一人で、あ、一匹で生きていける?誰かに頼らないかんよ」
優しい声が静寂の中に響く。
「早く福岡離れたか(離れたい)。一人で生きていたい」
なんとなく松永の顔がくもって見えた。
松永がしゃべる声色とたくさんの表情が見られた事がよかったと俺は思った。
今まで見たのとは違う松永。ギャップありすぎだろうよ、と胸が高鳴る。
今目の前にいるのが素の松永だと感じた。
(俺の目に狂いはなかった)
俺自身でもよく分からなかったがそうその時思った。
そして、体育会系にありがちな単純明快な答えを自分の中で出した。元来そういう性格なのだ。
「俺も東京に行こう。砕け散ってもいい。あいつのそばにいよう」
ただ、馬鹿正直に当たって砕けるつもりはなかった。試合と同じだ。勝たなくては意味がない。少しでも勝算がある戦いで当たっていかなければ。
高校の中では周囲の目がある。
ただでさえ、松永はいろいろと注目の的で俺自身は構わないが、松永がさらに陰口を言われるようになるだろう、と思案した。
そしてこの状況では松永も心を開いて話すら聞かないし、してもくれないのではないか。
ずっと見ていた俺には分かる。
松永はこの高校という囲いの中でそれを望んではいない。
さらに言うと福岡でそれを望んではいない。拒絶している。理由は分からないが、その気持ちは頑(かたく)なで切り崩せないだろう。
チャンスは東京にしかない。
サッカーの戦術や敵チームのボジションを計るように長野は頭を動かし今までの松永の動向を思い出し、答えを導き出していった。
まだ動いてはいけない。チャンスを作る土台作りを。
東京の大学に行く為、松永の志望大学に受かる為に猛勉強したが一歩及ばず、松永とは同じ大学には行けなかった。
だが、東京への切符は手に入れた。そして運良く松永の住む部屋の隣を確保した。
通う大学までは少し遠かったが構わない。
そばにいられるなら。
そして松永の部屋に明かりが灯っていたのに気付いて心臓が早鐘を鳴らした。
インターホンを鳴らして声をかけた。卒業式以来だが姿を現した松永に、久しぶりに会えたような感じで嬉しさが込み上げた。
玄関で話をしていく中で松永の表情があの囲い、高校の中の時のものに変貌しようとする変化を見逃さなかった。
(いかん!!また絶対拒絶発動しようとしよる!!)
意を決して、手を掴み引っ張った。
柔らかく細い手。
無我夢中だった。
だって初めて好きになったから当たって砕けてもいい。精一杯戦いたい。ただ、それだけだった。
「ふふ、靴で上がれって言われても。手が痛い」
松永に声をかけられて我に返った。後ろを振り返った時、松永の困ったような笑顔があった。
やっぱ笑うとかわいいなぁ。。。
勝った、とその時俺は確信した。引き分けじゃなく勝ちだ。松永の本当の根っこの部分を少し引きずり出せた。
この恋は絶対実るだろうとその時俺は確信した。
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