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球体水晶
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確かにしりとりをしようと言い出したのは碧だった。
もちろん桐生は『罰ゲーム』の条件付きで応じてくれたのだが、結果は碧の惨敗。
『る責め』の後の『ろ責め』をされ、最後は焦った碧が『ん』をつけて自爆した。
それはしょうがないとしても問題なのは、どうしてこのワンピースが桐生の車にあるのかということだ。
「一度しか着ないのも勿体無いし、もし何かあったらの為に持ってきておいたんだ」
とニヤリと笑う桐生は相変わらず安全運転の姿勢を保ったまま、なんてことは無いような口振りで語るのだ。
嘘つき…と渡された紙袋を覗き込んだ碧は心の中で呟く。
念の為くらいの気持ちで、碧の買ったワンピースに合わせたようなサマーニットのカーディガンとヒールの無いサンダルまで用意する訳がない。
あまつさえもうひとつの紙袋には可愛らしい花のコサージュの付いた麦わら帽子まであるのだ。
大体もしもの時に必要になる女物の衣装って何なのだろう?
「そっちはその格好に似合うと思って浴衣と一緒に買ってね」
どうやら桐生は自分の買ったものを碧に着せたがる趣味があるみたいだ。
着衣にそんなに執着のない碧には別にそれ自体は構わないけど、女装はやめて欲しい。
「これ…本当に着て…水族館…行くんですか?」
「もちろん、罰ゲームだからね?」
「でも…こんなの…変…ですよ」
「変じゃないよ、良く似合ってたよ。碧だってそれが似合うと思って自分で選んだんでしょ?」
「っ…!」
桐生を振り向かせたい一心で自分で買ったワンピース。
似合うと思って買ったわけではない、そのデザインが限界だっただけだ。
しかし事情はどうあれ女装などという酔狂な真似を初めにしたのは碧の方だった。
きっと言い逃れは出来無いのだろう…と碧は肩を落とした。
「碧、ちゃんと見てるの?」
水槽の中で大きなサメが悠然と泳いでいる。
見たいのは山々だが顔を上げられない。
俯いた状態でさえガラスに映るワンピ
ースとそこから出る肉の無い見慣れた細い足がとても女の子のものには見えなくてドキドキしてしまう。
こんなのバレてしまうに決まっている。
一応女の子らしい格好をしているだけで、化粧をするわけでもなく、何か女性らしさを思わせる要素を持ち合わせているとは思えない自分の身体はいつもの碧と何一つ変わっていないのだ。
『女装をしている男』だと自分だけが好奇の目に晒されるだけならまだしも『女装をしている男を連れている』と桐生が思われてしまうのは嫌だった。
自分のせいで桐生が奇異の目で見らるようなことだけはしたくないのだ。
「ほら、見てごらん、すごく大きなサメが泳いでいるよ」
桐生が碧の肩を抱いた。
「!」
こんな昼間に人前で手を繋いでるだけで緊張してしまうのに、ぐっと抱き寄せられて頭をつけるような近さに完全に身体が固まってしまう。
「せ…誠一郎…さんっ…!」
隣で小声で話し合うカップルがこちらを見てしまわないかと心配でならない。
声だってそんなに太くも低くも無いが、女の子の声とは到底思えるものじゃない。
しかも今日は少し枯れてしまっているから、おちおち会話だって出来ない。
「ちゃんと上を向いて、碧」
「…で…出来ない…です…」
「大丈夫、すごく可愛いから自信を持って…こんなんじゃデートが楽しめないよ」
そんなこと言われても…と更に俯き、下唇を噛んでいるとふわっと髪に風を感じてはっとする。
帽子!?
目深に被っていた碧の帽子が桐生の指先でくるくると回っている。
「か…返して…下さい…っ」
碧は小声で桐生に抗議する。
これでは顔が隠せない。
「この帽子すごく似合うんだけど、そんなに深く被ってたら碧の顔が見えなくてつまらない」
つまるとかつまらないとかの問題ではない。
碧にとってはこんな変態じみた行動が誰かにバレてしまわないかが問題なのだ。
碧は帽子を奪い返そうと背を伸ばすが、そんな碧を弄ぶかのようにひょいっと上の方へと持ち上げられ空を掴かまされる。
「…あっ…!」
空振りした腕のせいで重心がずれ、履き慣れない女性用のサンダルが碧の身体を支えきれずに身体を前に傾けた。
っ…転ぶ…っ!
バランスを崩した身体がカクンと揺れ、重力に引き摺られるまま床に吸い込まれる感覚に思わず目を瞑ると、碧の腰が力強い腕に引き寄せられた。
一瞬身体を冷やす浮遊感が去りほっとしたのもつかの間、
目を開けると桐生の笑顔がいつの間にか間近に迫ってる。
先生…?
「ほら、無くても十分可愛い」
!
微笑まれて息が止まった。
他人に使うキラースマイルとはちょっとだけ違う、碧にだけ見せる『対碧撃退用キラースマイル』。
本人は無自覚かも知れないが、これは威力が通常より数倍強い。
ただの桐生の顔の造形の美しさだけではない、溢れ出る甘さと色気と慈愛。
どこか他者と線を引いて見える桐生が時折見せる手放しの愛情。
それがこの笑みの主成分なのだ。
「……っ…」
そんなものを至近距離でぶつけられ碧の思考は思わずショートする。
優雅に細められる琥珀色の瞳。
まるで夜の夢を見ている時のような心地よい薄暗さが、現実なのか夢なのか一瞬わからなくなる。
桐生の形のいい唇が笑みに合わせて薄く引き上げられた。
「…ふふ…どうしたの?そんな赤い顔したまま固まって…キスでもせがんでいるの?」
キス…
………キス…?
「…せ…っ!…」
大きな声を出してしまいそうになって口をつぐむ。
転倒の恐怖と目の前の美しい桐生と妖しい遊びのスリル、それぞれがない交ぜになって刺激し合って、碧の鼓動を早くさせている。
何してたんだ、今。
急に引き戻される水族館のサメの水槽の前。
人々のざわめき、身体に感じる体温。
不慣れな女の子の格好。
!!
こんな人が多いところで、抱き合うような真似。
碧は桐生の身体を強く押し返し、肩を震わせて俯いた。
「か…からかうの…やめて…下さい…っ!」
そう声を振り絞ると、しばらくしてぱさっと碧の頭に帽子が戻った。
「…からかっては…無かったけどね」
桐生が小さな溜め息を溢す。
空を舞うように泳ぐ魚たちを眺める人々は、整った容姿の桐生とその彼女を交互に見ては何事もなかったかのように通り過ぎていく。
「ごめん…怒ってるの?」
心配したような桐生の声。
ただ帽子を取られたくらいで何があると言うわけでは無いのだけど、気持ちのやり場がわからない。
「………少しだけ」
碧はぎゅっと拳を握り、まだ治まりそうにない胸の鼓動に為す術もなく立ち尽くしていた。
珍しい碧の態度に桐生は困った様子で自分の頭を掻く。
「悪かった…もう無理はさせないから」
申し訳なさそうに言う桐生の声に嘘はない。
だけど碧は頷いただけで、そこから動けずにいた。
どうしていいのかわからなかったのだ。
桐生はしばらく間を置いて、小さく咳払いをする。
「手…を握ってもいい?」
優しい碧の大好きな声色。
少し迷ってまた頷いた。
その態度に桐生は少し安心したのか、短く息を吐いて硬く握られた碧の手を優しく握り、再び手を引いた。
「…嫌な気持ちにさせたのは悪かった。でもからかってなんかないんだ…本当に碧が可愛いと思っただけだから」
ゆっくりと歩きながら小さな声で囁かれて、頬が熱くなる。
碧だって本当に怒ってたわけじゃない。
ただ桐生が自分のせいで変な目で見られたくないだけだった。
でももうそんな気持ちをこの不自由な状態でどう伝えて良いのかわからず、碧は結局顔を上げられずに水族館の床を見ながら歩き続けた。
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