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話しかけられる
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参加者がぞくぞくと集まってくる。
音楽療法の盛り上がりはなかなかの様子で、予想していたよりもほとんどの子どもがすんなりと親から離れたらしく、予定人数に少し足りないくらいの人数が集まっていた。
空席を片付け、いよいよ始めようと、顔をあげて参加者の円を一周見渡した時だった。
・・・まさか。
知った顔がそこに並んでいる。
いや、知った顔というほど、知っているわけではないが、できれば二度と会いたくなかった顔だ。
まだ記憶に新しいその顔は、あのバーで俺を口説き、そして俺にキスしてきた男だった。
「楠木先生?」
担当者の小島さんに声をかけられるまで、放心状態になっていたことに気づかなかった。
「あ、すみません。えー、それでは、皆さんお集まりのようですので、これから開始したいと思います。まずは、簡単に名字だけでも結構ですので、自己紹介からお願いいたします・・・」
流れを説明している自分の声を、どこか遠くで聞いているような感覚に陥る。それもそのはずだ、男が明らかに俺に気づいていて、俺に視線を送ってきている。
動揺を押し隠すことだけで、いっぱいいっぱいで。自己紹介が続く間、あまり集中できなかった。
ただ、男の名前が、“橋本”だということだけ、妙に頭に残っていた。
そして、それが今回初参加の父子での参加者の名字だということにもすぐに気がつく。あの、子ども想いの後ろ姿が、俺がアキラを重ねてしまった姿が、まさかあの男だったなんて。
その後の進行を、なんとかこなせたのが自分自身でも信じられないくらい、俺は動揺してしまっていた。
「・・・それでは、時間ですので、今日はこれで終わります。皆さん、ほぼ初対面同士という状況で、色々と話しにくいことも話してくださって、本当にありがとうございました」
締めの言葉を言い、頭を軽く下げる。
・・・なんとか、終わった。
正直、思いがけない再会のおかげで、精神的な負担が多すぎて疲れ果ててはいたが、仕事が一つ終わった達成感は俺を浮かれさせていた。
「楠木先生、この後、少しだけお話し伺ってもよろしいでしょうか?」
そう、橋本と名乗った男に話しかけられるまでは。
「えっと、ですね。できれば皆さんお一人ずつお話しをすることができればいいんですが、時間の都合上難しい状況で、貴方お一人だけ、お話しを伺うというわけにも参りませんので・・・」
必死に平静を保ちながら、そう断る。
他の参加者に同じことを言われても、そう断るつもりだったし、問題はない。
それでもしつこく言われたらどうしようか、と考えていると男は、あっさりと引き下がってきた。
「すみません、勝手なことを言ってしまって。今日は、有意義な時間を過ごすことができました。ありがとうございました」
そう言って握手を求められれば、周囲の目もあり、断ることはできず、そっと差し出された手を握る。
その手を離そうとした瞬間、俺にしか聞こえないくらいの小声で、
「今夜、あのバーで待ってます、必ず来てくださいね」
その言葉の裏には、来なければどうなるかわからないような、暗いものを感じさせて、俺は男が去っていくのをただ見送っていた。
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