アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
その2
-
僕の返答が気に食わなかったのか、柏木はそれはもう不愉快そうに顔を歪めました。せ、せめて瑠依がいればこの状況も緩和されるはずなのに……! 王子様フェイスな彼はとっくに風紀委員室へ行ってしまっただろう。ヘルプミー。
「……雨宮」
「なんだ」
あれ、思ったよりは声が怒ってない。ほっとしながらも、内心の動揺が悟られないように眼鏡を押し上げた。何が柏木の怒りに触れるか分からないから一挙一動がドキドキだ。柏木は軽く思考を巡らすように視線をはずして、それからすぐに僕に戻して、軽く身を乗り出してきた。
…………。
……あのー、顔近くないですか。
鼻先五センチくらい?
そんなに睨まれても僕いま無一文なんですよね。カツアゲは良くないよ柏木。にしても意外に睫長いなあ。二重だし。なんだかんだで生徒から人気なだけはある。わあ、こんなに近距離だから柏木の瞳に僕が映ってるよ凄いね。いやいやいや、現実から逃避してる場合じゃなくてね。
そういえばチワワ君ならここで真っ赤になったりするんだろうな。そんな面白い反応を僕に求めちゃダメだけど。ただのビビりでごめんよ。
結局大した反応もできず、現実逃避をしながらぼんやりと柏木を見ていると、普段の半分くらいの声量で柏木が囁いた。
「……あんた、ネコで寝たことあんのか?」
…………は?
あれれ、柏木、助詞間違ってるよ。猫『で』じゃなくて、猫『と』でしょ。国語の成績良いくせに変なところで間違う奴だな。
ていうか、猫と一緒に寝るなんて潰しちゃいそうで怖くてできないって。そもそも僕の実家に猫いないし。
「……そんなこと、僕がするはずがないだろう」
大きな犬ならまだしも。自分の寝相が良いか悪いかはわからないけど、朝起きて猫を下敷きにしてたら多分僕は立ち直れそうにない。
……あれ、それにしてもなんで猫の話になっているんだ。しかもこんな近距離で話すような内容でも無いよね?
あ、そうか、実は柏木はかなりの猫好きとか。
「君は寝たことがあるのか」
想像したらちょっと面白いなあ、なんて思っていたら、柏木が「ばっ……!」とかなんとか言いながら物凄い勢いで顔を離した。ちょっと目尻が赤いのはもしかして照れているのか。
大丈夫、君が猫好きなことは黙っておくよ。いや、むしろみんなそれを知ったら親しみが湧くんじゃないか。強面風紀委員長から、強面だけど動物好きな風紀委員長になれるよ。
「馬鹿野郎! あるわけ無えだろうがっ!!」
柏木は青筋を立てて怒鳴ってきた。そんなに怒らなくてもいいのに……別に猫好きは恥ずかしいことじゃないよ。というか、猫好きだと思うと柏木が少し怖くなくなったな。いつまでもクラスメイトを怖がっていたら、生徒会役員として示しがつかないからいい兆候だ。
「……まあ、僕にとっても猫は愛でる対象だからな」
あんなに可愛いんだから、一緒に寝たくなるのもわからないではないよね。だから柏木も照れなくていいのに、なんて内心でほのぼのしていると、柏木は何か言いたそうに俺をじっと見た。
けれど、何かを諦めたような、物凄く微妙な表情を滲ませてさっきよりも重い溜め息を吐く。一気に老けたように見えるけど大丈夫?
それにしても……なんか最近、溜め息をはかれることが多くないか。結構傷つくんですけど。
「……ま、あんたの性格上ネコってのはあり得ねーな」
ええええなんで!? 愛でる対象って言ったのに! 聞いてなかったの!?
腹黒か。腹黒い人は猫を愛でちゃダメだっていうのか。ちくしょう、腹黒差別反対! ……どんな差別だそれ。
「何か問題でもあるのか」
「そりゃああれだ、不都合だろ」
「僕のことは君に関係無いはずだが」
「……あ?」
一方的に決めつけられれば誰だって腹が立つわけで、例に洩れず少し不機嫌になった僕は、無意識のうちに眉を寄せていたのに気が付いたけど放置した。朔夜いわく「お前が眉を寄せると怖さ三割増し」らしいけど、そんなこと気にしてられない。僕だって怒る時はある。
「君のことも興味無い」
もういいや、柏木が猫と戯れようが何しようが気にしないし。腹黒って言われ続けるこっちの身にもなってみろ。
睨みつけるように柏木を見ると、彼は軽く目を見開いた。そのままじっとこちらを凝視するものだから、耐えきれなくなって結局僕から目を逸らした。
柏木の眼力は人を殺せそうだ。びしびし突き刺さってくるのが分かる。視線が痛い。
なんだか疲れてしまったので、もう早くどっか行ってくれないかなあなんてぼんやり考えていたら。
突然物凄い力に引っ張られた。
「――っ!!」
「いい加減にしろよてめえ……っ」
辺りに低く押し殺したような声が響く。
引き寄せられた肩に、柏木の指が食い込んで鈍い痛みを感じた。今までに無いほど怒気を孕んだその瞳に、痛みで顔を僅かに歪めた僕が映る。同時に恐怖が湧きあがって体が硬直した。
何か、地雷を踏んだのか。
どうして。
「すかした顔しやがって。俺ごときは副会長サマの眼中には入らないってか?」
「……柏木、何を」
何を言っているか分からない。でも、物凄く怒っていることはわかる。
僕の言葉も聞かずに柏木は吐き捨てるように言葉を続けていく。
「この際てめえがタチだろうがネコだろうが関係無え! 俺は、」
……ん? たち?
なにそれ。太刀?
なんで猫から太刀の話?
「おい、柏木」
「んだよっ!」
ほとんどキレている柏木を前に、緊迫感の無い僕の声が響いた。
「……どうして猫の話から刃物の話になるんだ?」
「…………は? 刃物?」
柏木が力を緩めたのか、痛みが和らいだのが分かった。
「…………」
「…………」
なんとも言えない沈黙が、テラスを満たしていった。
柏木は僕の肩を掴む手からすっかり力を抜いているし、なんだか物凄く拍子抜けした顔をしている。ぽかん、という擬音がこれほど当てはまる顔もなかなかないんじゃないか。僕は僕で、全く話の流れが掴めないので微妙な表情になっているんだろう。
え、だって猫と太刀だよ? 全く関係ないよね?
……まさか学園に伝わる合い言葉とかじゃないだろうな。ほらあの、『山と川』みたいな。……いや、有り得ないか。意味わかんないしね。
柏木はどうやら言葉を探しているらしかった。間抜けな顔で僕を凝視したまま動かない。さっきまでキレていたとは思えないくらい大人しい。
……そんなに変な発言をした覚えはないんだけどなあ。
「……柏木、離してくれ」
とりあえず何かアクションを起こそうと思った僕は、未だ肩に置かれたままの柏木の手に恐る恐る触れた。
柏木はピクリと身じろぎして、呆然としたままその手を離す。強く掴まれていたせいか鈍い痛みが肩に残った。
互いに距離ができてほっとした僕が溜め息を零すと、それもじっと眺めていた柏木が、ようやく我にかえったのか数度瞬きをする。
「……雨宮」
「どうかしたか」
柏木は、例えるなら恋人の浮気現場にばったり遭遇したような、両親がサンタクロースの格好で枕元にプレゼントを置いて行ったような、そんな見てはいけないものを見たような顔をしていた。今の一瞬で彼の中でどんな革命が起きたんだ。
なんとなく聞かない方が良い気もするけど。
視線をゆらゆらと落ち着きなくさ迷わせてから、柏木は意を決したように口を開いた。
「雨宮、あんた、」
――ピンポンパンポーン
『久遠、至急生徒会室まで来い。寄り道すんなよ。以上』
「…………」
「…………」
柏木の言葉を華麗に遮って、聞き慣れた生徒会長の声が校内に響き渡った。
わー、凄いバッドタイミングだよ司。ていうか呼び出しならもう少しちゃんと喋ろうよ。これ校内放送だよね。呼び出された側が恥ずかしいってレアだよ。
思わず二人して天井を見上げてスピーカーを見つめてしまう。
「…………」
「…………」
そしてすぐにまた顔を見合わせる。
不意打ちの妨害を受けた柏木はさっきまでの強い意志が完全に瞳から消えていて、変わりに隠しきれない会長への不快感が滲み出ている。そんなに司が嫌いですか。まあ、僕も今は司に文句を言いたい。
何はともあれ、呼ばれた以上はすぐに行かなくてはならない。校内放送を使うならよっぽどの用事があるんだろう。柏木が言いかけていたことが気にならないわけじゃないけど、生徒会は優先しないと後で困るときが間々ある。柏木にはまた会ったときにでも聞いてみればいい。
「……それじゃあ、呼び出されたようだから僕は行く」
「あ、おい、」
「自分の力量に見合った仕事をすることだな」
無理して柏木が倒れて、風紀委員長不在なんてことになったら最悪だ。想像すると本当に洒落にならないなと背筋が震えた。瑠依も柏木が噴火前の火山だって言っていたし、頑張り過ぎないようにしてもらいたい。
とりあえず、僕は生徒会室に行かないと。
背を向けてさっさと歩き出した僕の後ろで、柏木が「嫌味か……!」なんて呻くような声が聞こえた気がするけど気にしていられない。嫌味なんて言ってないよ。
ちなみに、その後すぐに「……さっきのは幻聴か?」と彼が呟いていたことは、残念ながら急ぎ足の僕には気付くことができなかった。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
13 / 32