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その6
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役員全員が勢揃いしているという僕の予想に反し、生徒会室には司しかいなかった。
会長のデスクで一人黙々と仕事をしていたらしい司は、ドアが開く音に反応して視線を上げた。僕の姿を確認すると眉間の皺がより一層深くなる。ああ、やっぱりまだ不機嫌だ。決心したはずの気持ちがしおしおと萎れそうになる。頑張れ僕。
「……何の用だ」
普段より一回りも二回りも低い声に思わず後退りしそうになるのをなんとかこらえた。どうしよう、何から話せば良いだろうか。とりあえずは誤解を解きたいところだけど。
じっとこちらを見据える鋭い視線に居心地の悪さを感じながらも、まずはドアを閉めて自分の退路を塞ぐ。それから、僕は冷静な声音になるようこっそり深呼吸してから口を開いた。
「司、話を聞いてくれ」
あまりに唐突だったからか、それとも僕から話を振ることが珍しかったからか、或いは両方か。とにかく、司は一度目を見開いて、すぐに訝しげな顔を見せた。
司は何も言わない。けどペンを持つ手を置いてくれたので、話を聞こうとしてくれているんだろう。デスクに歩み寄る僕の靴音が室内にやけに響いた。
ああ、緊張する。
「……まず、誤解を解きたい」
「あ? 誤解?」
「ああ。古谷に関してだが」
「……ッチ、またあいつかよ」
「は?」
順を追って説明しようとしたら、どういうわけか司の機嫌が更に悪くなってしまった。舌打ちする顔はおよそ品行方正なお坊ちゃんとは思えない。
え……ど、どうしたんだろう。
思わず口を噤んだ僕を見てどう思ったのか、司が苛立たしげに持っていた書類をデスクに乱雑に投げ置いた。瞳に剣呑な光が過る。睨みつけられた僕は、情けないけど竦んでしまった。
「そんなに気に入ってんのかよ、あの転入生を」
「え」
「はっ、当然か。キスまでしたんだろうが? 周りに興味無えって顔しといて、ああいうのが好みとはな」
え、好み? ……何の話?
いまいち状況が掴めていない僕を余所に、司の機嫌は益々悪くなっているらしかった。ど、どうにかしなければ。このままじゃ余計に拗れてしまいそうだ。
好み云々の話はよくわからないけど、とりあえず司がいろいろ誤解していることは確かだった。ならまずその辺りから話さないと。
そのために、だんだん語気が荒くなっていく司をまずは黙らせないといけない。柏木と喧嘩するような勢いで向かってこられたら多分太刀打ちできないから。
えーと、えーと……どうしよう。
ほんの短い時間頭を悩ませた僕が、咄嗟の判断でしたことは。
「副会長が転入生ごときにうつつを抜かして良いのかよ、」
「――司」
――パンッ!
猫だましでした。
大股で司の元へ歩み寄り、目の前で両手を思い切り打ち鳴らす。乾いた音が室内に響き渡って、思った通り司は目を真ん丸に見開いて硬直した。
うん、びっくりするよね。僕もたまに朔夜にやられるからわかる。心臓止まりそうだよね。頭真っ白になるよね。
でもとりあえず落ち着いてくれ、司。
ぱちぱちと数回まばたきをした司は、次第に状況を理解し始めたのか、さっきとはまた別種の苛立ちを瞳に滲ませた。つまり、「なにしやがんだてめえコラ」って感じの怒りである。気持ちは分かる。
容赦なく睨みつけられて、目を逸らしたくなるのをなんとかこらえた。ここで話さなきゃ殴られてもおかしくない。
「僕は話を聞いてくれ、と言ったはずだ」
猫だましの件は後で謝るとして、今はこっちの用件を早く済ませたい。あくまでも冷静な口調を崩さないようにして話すと、司も不機嫌そうではあるけれど、黙って話を聞く態度になった。剣呑ながら視線が続きを促している。
さっきより幾分か話しやすくなった僕は内心でほっと息を吐いて、それから、再び口を挟まれる前に言いたいことを捲し立てることにした。
「まず、僕が古谷……転入生を気に入っているという前提からして誤解だ。僕は彼を気に入ったと言った覚えはない。まして、初対面の相手にキスをするほど無節操な人間ではない。どこから湧いた噂か知らないが、それも君の誤解だ」
わかったか、と最後に繋げて深く息を吐く。一気に喋ると疲れるなあ。
気を取り直して司に意識を向けると、さっきの猫だまし以上にぽかんとした表情になっていた。
「…………は?」
たっぷりと時間を取ってから司が吐き出したのは、あまりにも間抜けな声だった。きっと司の親衛隊の子はこんな姿見たことないんだろうなあ、なんてどうでもいいことが頭に浮かぶ。
更にたっぷりと時間を使ってようやく僕の言葉を呑み込んだらしい司は、怒りの薄れた、というよりは間抜けな表情でまじまじと僕を見つめた。
「……誤解?」
「ああ」
「気に入ったんじゃねえのか」
「何度言えば良い。僕はそんなこと一言も言っていないだろう」
「……キスも?」
「していない」
きっぱりと言い切ったのにも関わらず、司はまだ納得がいかないようだった。訝しむ視線がぐさぐさと突き刺さってくる。そんなに僕って信用ないのかな……ちょっと悲しいぞ。
眉間に皺を寄せたまま司が腕を組む。それだけで妙な貫禄があるのはやはり会長だからだろうか。そのまま視線を余所に移して唸りながら考え込んでいた司は、何かに思い至ったように瞬き、鋭い視線で僕を捉えた。なんだか尋問されている気分になる。
「お前、キスしたんじゃねえかって話になった時に『どうして広まっているんだ』って言ったじゃねえかよ」
え? ……ああ、そういえば言ったような言ってないような……よく覚えてるなあ、そんなこと。流石、記憶力が抜群だ。
いや、でもあれは。
「……だから、そんな根も葉も無い噂がどうして広まっているんだ、と言ったんだが」
あれ、……もしかして伝わってなかった?
なるほど。だから誤解してたのか。ようやく納得した。それならそうと早く言ってくれれば良いのになあ。
内心でそうかそうかと頷いていると、僕の返答を聞いた司がまん丸く目を見開いて、それから一拍の沈黙を置いて。
「――はあ!?」
すっとんきょうな声を上げた。
普段悪戯する双子や里桜に怒鳴ったりはするけれど、こんなに無防備な声は珍しい。思わず僕まで目を見開いてしまった。え、ていうか何にそんなに驚いているんだろう。昨日から司はちょっと変だぞ。怒られそうだから言わないけど。
信じられないものを見るような顔で司がじろじろとこちらを見ていた。なんだか居心地が悪いけど、とりあえず見つめ返すことにする。心なしか司の口元が引きつっているような気がした。
「……お前……それは無いだろ。端折り過ぎだ。そんなんでわかるわけねえ」
「そうか?」
「当たり前だ阿呆!」
何だか知らないけど怒鳴られてしまった。そんなに端折ってたかな? よく覚えていないから何とも言えない。でも司が言うってことはきっとそうなんだろう。
その時の状況を必死に思い出していると、司は大きな手で自分の顔を覆った。盛大なため息付きだ。入室した時のピリピリした雰囲気が嘘のように、すっかり脱力してしまっている。呆れているとも言える。
指の隙間から覗く司の目が僕を捉えた。じっと観察する視線だ。何だろう、と思ったけど、また変なことを言って機嫌を損ねるのもまずいから黙っておくことにした。
お互い動かない状態でまた暫く時間が流れて、流石に気まずくなり始めた時、司が微かな声で呟いた。
「……引っ掛かるんだよな……」
それは僕に向けられたものじゃなくて、明らかに独り言だったけど、でもこの流れだと僕に関することを言っているんだろう。現に視線はまだ僕に固定されたままだった。
「……まだ疑っているのか」
「違う」
てっきり誤解が解けてないのかと思ったら、それははっきりと否定されてしまった。良かった、誤解はされていないらしい。これで一安心だけど……あれ、じゃあ司は何のことを言ってるんだろう。
司は顔から手を離して軽く髪をかきあげ、デスクに視線を落とした。
「どうした?」
「…………いや、別に」
珍しく歯切れが悪い。何か言いたげな目をしているけど、何を言えば良いかわからないって顔だった。僕は読心術なんて心得てないので当然ながら司が言いたいことなんてわからない。
結局、司は軽く首を振って黙ってしまった。自己完結した、のかな?
次に顔を上げたときは、いつもの会長らしい自信が溢れた表情に戻っていた。僕もそれを見てほっとする。
そして数秒間沈黙してから、司は少しだけ言いにくそうに口を開いた。
「…………まあ、悪かったな」
「……は?」
今度は僕が間抜けな声を上げる番だった。
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