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気持ちの行方 3
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俺が何も言い返せないでいると、八澤はクックッと笑い出した。
相変わらずの嫌な笑い方に、虫唾が走る。
「それにしても案外しぶとかったなぁ、お前の母親は。もっと早くくたばるかと思っていたが」
なにがおかしいのか、笑いながらの八澤の言葉に怒りの感情がうずまく。
「まぁ、母親が死んだらお前を縛る契約は意味がなくなっちまうな。ま、人質としては十分使い物になったがな」
「…っ、てめぇ…!」
俺はギュッと拳を握りしめる。
「お前だってホッとしてんじゃねぇのか?お荷物がいなくなったんだからよ」
「──っ!!」
カッと頭に血が昇った俺は、八澤に向かって拳を振りかぶった。
だけどその拳はあっさりとかわされ、腕を掴まれそのまま体をベッドに押さえつけられる。
「どうした?キレがねぇぞ?ヤりすぎで体が鈍ったか?」
力ではかなわない。抜け出そうにも、押さえられた体はビクともしない。
せめてもの抵抗に、俺はキッと睨み付けた。
「ガキがいっちょまえにまぁ」
楽しそうに俺を見下ろす態度に、悔しさが募る。
「ぐっ……ぁ……っ」
突然、腹に強い衝撃。八澤の拳が腹に入った。
「とりあえず病院から母親を引き取る手続きはしてやる。火葬だのなんだのは、自分でやれ」
八澤が俺の腕を離し、体から重さが消える。俺はじくじくと腹を押さえながら立ち上がった。
そんな俺を見て、八澤はニヤリと笑う。
「商売も好きにしろ。母親が死んだ今、どんな方法でもかまわねぇ。毎月50万収めてくれりゃそれでいい」
「……急に、なんだ」
腹に食らったダメージが思うよりも大きく、弱々しい声しか出ない。
突然の八澤の申し出に、訝るように睨む。
「なんだ、不満か?他の方法で金が工面出来るってんなら、売春する必要はねぇって言ってんだぞ?」
俺は探るように八澤をじっと見る。なにか企んでいるはずだ。
すると、八澤は意味深な言葉を放つ。
「まぁ、お前を縛る必要はもうないんでな。ホント、いいタイミングでくたばってくれたもんだよ」
「……何だと……?──どういう意味だ」
八澤は俺を見たあと、嫌な笑顔を浮かべ背を向ける。
「じきに分かるさ。
さて、俺は手続きをしてきてやる。おとなしく待ってな、坊や」
それだけを言い残し、病室を出て行った。
この場から居なくなったことで、少し力が抜ける。
八澤の言葉に、考えを巡らせる。
縛る必要がなくなった……?
何か意図があって、あんな契約を交わさせたのか──?
ベッドに腰掛ける。腹がズキンと痛んだ。
唇を噛み締めていると、突然扉が開き、身構える。だけど入ってきたのは奴ではなく、リュウだった。
「起きたのか」
そばまで来たリュウは、顔を覗き込んできた。
「……唇を噛むな。血が出てる」
リュウの指先が、唇に触れた。優しく指を滑らせ、血を拭う。
俺は無意識にリュウの服の裾を掴んだ。それに気づいたリュウは、優しく俺の手を握る。
その温もりにホッとした瞬間──、扉の開く音がしてハッとなる。
俺はすぐさまリュウの手を振りほどいた。
そんな俺をチラリと見た後、リュウを見やる八澤。
──最悪だ。
ほんの一瞬品定めをするように目を細めた八澤は、すぐに笑顔を作る。
「聖夜、友達か?」
作られた声と、表情。
「……先輩です」
「そうか。いつも聖夜が世話になっているね。聖夜の後見人の、八澤です」
「本田です」
「本田、くんだね」
確認するように名前を繰り返す八澤に、嫌な汗が流れる。
「聖夜、手続きはしておいた。アパートへ運ぶことになったから、今日はアパートに帰りなさい。
それから、病院側が火葬の手続きや段取りをしてくださるそうだ。すぐにここに来られるそうだから、待っていなさい。
木宮先生にお礼を言っておくように。
すまないね、一緒に居てやりたいんだが……仕事なんだ。一人で大丈夫か?」
「俺がついてます」
俺が頷くよりも先に、リュウが答えた。八澤はじっとリュウを見たあと、笑いかける。
「……そう。じゃあ、本田くん。よろしく頼むよ」
「はい」
「聖夜、辛いならいつでも家に来なさい」
装った態度に、吐き気がする。
「ありがとう、ございます……」
リュウがいる手前、口にしたくもない礼の言葉を告げる。
「それじゃあ、これで。本田くん、失礼するよ」
八澤が病室を出て行く。俺は力が抜け、その場に座り込んだ。
「大丈夫か?」
腕を引っ張り上げてくれたリュウは、俺をベッドへと座らせてくれた。
「…今のが後見人か。随分と若いな」
俺は頭で軽く頷いただけ。
リュウはずっと黙っている俺を気にする様子もなく、木宮センセイが来るまで俺はただ窓の外を見つめ続けていた──。
木宮センセイとの話も終わり、俺は明日の朝母さんと一緒にアパートに帰ることになった。
センセイから、人の死後には様々な申請手続きをとらなければいけないと説明を受けた。
死亡届け、火葬許可、保険に関する申請、そのほか細かいものまで、たくさん。
俺はどこか他人事のように聞いていた──だけど、紛れもなくこれは母さんに関係することばかりで。
悲しみに暮れる間もないんだな……と思った。
そんな様子を見たセンセイは、手続きに代理人をたてるかと聞いてきた。
未成年の俺には、”大人”の署名と捺印が必要なものばかりで、その”大人”とは八澤を指している。
代理人をたてると、必要な手続きはその人が八澤と連絡をとり、進めてくれるらしい。
それなりの費用はかかるようだが、俺は代理人をたてることに了承した。
どうせ八澤からきっちり請求されるだけだ。今さら借金に数十万円加算されたところで、変わらない。
何より、八澤と関わりたくない。関わらずに済むのなら、幾らでも払う。
それに今は、母さんの事だけを考えていたかった。
今日は学園に帰りなさいと言うセンセイの言葉に頷き、俺は再びリュウが呼んだ車に乗り、学園へと帰ってきた。
時刻は既に日付が変わる時間を過ぎている。
生徒の姿は見当たらないけど、一応フードを目深に被り寮へと入る。
リュウはずっと、俺のそばについていてくれた。
エレベーターを待つ間、横にいるリュウを見上げる。
「……今日はありがとう。明日からは一人で大丈夫だから……」
これ以上、迷惑をかけるわけにはいかない。
「今のお前をひとりにしておけない。落ち着くまでそばにいる」
「……でも、仕事……」
「大丈夫だ、指示は出しておいた。お前が心配する必要はない」
──甘えて、いいんだろうか。
エレベーターが到着し、乗り込む。
「余計なことは考えるな。今はただ甘えろ」
俺の心を見透かしたようにそう言うリュウに、俺はしばらく考えたあと頷いた。
俺の部屋に入り、リュウに言われるがまま手続きに必要なものや、しばらくアパートに帰る用意をまとめていく。
そのままここでリュウも寝るのかな?と考えていると、リュウに促され部屋を出る。
そして向かったのはリュウの部屋だった。
「俺が荷物をまとめる間、シャワーを浴びてこい」
そう言われバスルームへと連れて行かれる。両頬を包まれ、まるで言い聞かすように声色が優しくなった。
「同じ部屋にいるから、ひとりじゃない。安心しろ」
そのリュウの言葉に、俺をひとりにしないようにしていることが分かった俺は、コクリと頷く。
頭からシャワーを浴びていると、ふいに母さんの最期を思い出す。
”ありがとう、だいすきよ”
その言葉を言うためだけに、母さんは最後の力を振り絞り、目を開けたんだろうか。
そう思った瞬間、突然俺を襲う絶望。ーーーーー母さんは、もう居ない。
母さんが倒れてから、約1年と8ヶ月。
最初、医者の診断では、母さんは1年も持たないだろうと言われていた。
何度も生死の境をさ迷った。
そのたびに、”ひとり”になることを恐れた。
……本当にひとりになってしまった今──いっそ俺も死ねたら、楽になるのかな。
そしたら、母さんと父さんのところに行ける?売春からも八澤からも──俺を煩わす全てから、解放される……?
無意識だった。
──目の前にあるカミソリに、手を伸ばしたのは。
俺はどこかそれを他人事のように眺めながら、左手首にカミソリの刃をあてた。
すっと横に滑らせると、皮が切れ、うっすらと血がにじみはじめる。
──あぁ、もっと強く力を入れないと。
カミソリを握る力を強くして、再び手首に刃をあてようとした──瞬間。
「──っ!お前……っ」
後ろからカミソリを持つ手を掴まれ、押さえられた。
「……っ、なに、してる!」
カミソリを奪い、放り投げるリュウ。俺は放物線を描き落ちていくカミソリを目で追った。
「……邪魔、するな」
「白川……?」
なんで、邪魔をする。
「……もう、誰もいない」
落ちて転がるカミソリに手を伸ばそうにも、その手をすぐさまリュウが掴み、俺を羽交い締めにした。
「離、せ…っ、いやだ、」
いやだ。いやだ。
「ひとりは、いやだ……っ、もう誰も、いない!母さんが唯一だった、母さんが全てだった……っ!
もう俺にはなにも無い!母さんのとこに行きたいっ。ひとりはいやだ!」
俺の叫びが、バスルームにこだまする。
「白川、」
「離して、離せ!」
「白川っ」
「いやだ、もう!死に──」
死にたいんだ!
俺のその叫びは、リュウによって消された。ーーー欲望を伴わない、キスによって。
──息が苦しい。
激しく絡められたら舌が、やがて宥めるように口内をくすぐり、キスが優しいものに変わっていく。
唇が離され、ギュッと抱きしめられた。
「死ぬなんて、言うな」
いつも自信たっぷりの、威圧感のあるリュウの声が…震えている。
「考えろ。お前が死んだら、悲しむ奴がいるだろう」
「……そんな、奴、」
「いないか?本当に?」
「……っ、」
頭に浮かぶ、亮平、純。相楽先輩に、木宮先輩。真吾さん、ルイやレン、ミツ。
そして、今、俺を抱きしめる──。
「お前はひとりだと言うが、お前が死んで、悲しむ奴がいる。そいつらはなんだ?
そいつらに、お前が”俺はひとり”だと言えば、”そうだ”とあっさり答える奴らなのか?
悲しい顔はしないか?怒らないのか?」
──っ。自分本位な考えかもしれない。
でも、きっとみんなは、悲しんでくれて、怒ってくれて、言ってくれる。お前は──、
「お前は、ひとりじゃない」
「……っ」
俺の心の中の声と、リュウの声が重なった。
「ひとりだなんてそんな悲しい事を言うな。俺がいる。ずっといてやるから」
その言葉に、目頭が熱くなる。
「それに……自ら命を絶つことを、お前の母親はどう思う」
母さん、が。俺が死にたいと、言ったらーーー。
「そんなことを、許す母親なのか?」
俺は首を横に振った。
きっと母さんは、烈火のごとく怒って、そして顔をぐちゃぐちゃにして泣くだろう。
「確かに、もう母親はもう生きてはいない。だけど、お前の”ココ”にちゃんと”いる”だろう?」
リュウは俺を離し、指先で俺の心臓の辺りに触れた。
「母親を忘れずにいれば、お前の中で生き続ける。
母親が生きれなかった分、お前が生きることがお前の出来ることだ」
母さんの分も、俺が──。
その後リュウは、ベッドの中寄り添って俺をずっと抱きしめ、いつまでも頭を撫で続けていてくれた。
その優しい温もりに、俺は声が枯れるまで泣き続けたーーー…。
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