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無の世界
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ここは、どこだろう。
何も、ない。
上も、下も、前も、後ろも、あるのは、暗闇だけ。
自分の姿すら、見えない。
足を一歩前に踏み出す。
どっちが前なのか。
どっちが後ろなのか。
だけど、何かに惹かれるように、ただただ──足を動かす。
時間の感覚が、ない。
随分経ったようにも思えるし、ほんの数秒しか経っていないようにも思える。
ふいに、懐かしい気配を感じた。この、感じは──……
『──……父さん……?』
暗闇の中、俺の声が響いた。
『……いや……』
微かに響いてくる声。
その声の方へ向かって、走り出す。
『聖夜』
俺から五メートルほど離れた場所に、父さんの姿を捉えた。
真っ暗闇の中、何故かハッキリと父さんの姿が見える。
『父さん!』
俺は嬉しくなり、一度止めた足を再び踏み出そうとした。
『駄目よ、聖夜』
唐突に、母さんの声が辺りに響く。
そして、父さんの横に、母さんが現れた。
『母さん!』
『来ては、駄目』
母さんさそう言って、俺を見つめた。
『なんで……嫌だよ、傍に行きたい!』
『駄目だ、聖夜。おまえは、こっちに来てはいけない』
『父さんまで……!』
俺は哀しくなり、眉を寄せる。
『なんで……なんでっ?ひとりは、嫌だよ!俺も父さんと母さんの傍に行きたい!』
二人の言葉を無視して駆け寄ろうとした──けれど、俺の両足は貼り付けられたらように、動かない。
なんで、なんで動かないんだよっ!
そばに、行きたいのに。
ひとりに、なりたくないのに。
『聖夜。あなたは、ひとりなの?』
母さんの問いかけに、俺は噛みつく。
『そうだよっ!父さんも、かあさんも、俺を置いてった!』
『聖夜、本当に?』
『なんっ……何でそんなこと言うんだよ!
父さんも母さんもいないのに、ひとりじゃないなんて……っ……』
その時ふいに、言葉が頭を過ぎった。
”──ひとりじゃない”
『……え……だれ……』
”──聖夜”
俺を、誰かが呼んでる。
”──聖夜”
ひどく、心地の良い、声。
──この、声は………
『りゅ、せい……』
名前をつぶやいた瞬間、真っ暗闇だった世界が、真っ白に変わった。
父さんと母さんを見る。
辺りは明るくなり、さっきよりも姿がよく見えるはずなのに。
二人の姿が、ぼやけている。
『父さん……母さん……?』
『大丈夫。
私たちは”白の世界”では、留まれないの。私たちがいるのは、”黒の世界”だから』
母さんの言う言葉は、理解しがたいものなはずなのに。
なんでか俺は、理解していた。
母さんたちがいる世界と、俺がいる世界は、違う。
”死”と”生”。
『聖夜。すまなかった』
突然、父さんから放たれた言葉。朧気ながら、父さんの顔が苦しみで歪んでいるのが分かる。
『父さんが、弱かったから。お前たち二人に、苦しい思いをさせた』
父さんの声が震えている。
『父さんは弱くないよ』
そう。父さんは弱くない。
一番、辛かったのは、父さんのはずだから。
それに─……
『俺が悪いんだ。俺が、あの人の罠にはまっちゃったから。
……俺が、父さんを──……』
『それは違う。聖夜は、悪くない。
お前は、ただ人を好きになっただけだ。だから、お前に罪は、ないんだよ』
『──…っ、……』
『ずっとずっと……自分のせいにしてきたんだろう?苦しかったな。
すまなかった。
もう、苦しまないでくれ。自分を、蔑まないでくれ。
父さんを許さなくていい。恨んでくれていいから……だから、頼む』
父さんの言葉に、涙が溢れていく。
『……本当を言うと、生きていて欲しかった。
父さんの苦しみを、言って欲しかった。
だけど、俺は守られてばかりの子供だったから…。
さっき、置いてったなんて言って、ごめんなさい…っ。
父さんだって、置いていきたくなかったはずなのに。
ごめんね、父さん…。
苦しみを、分かってあげられなくて、ごめん…。
気づいてあげられなくて、ごめん…。
恨んでなんかないっ、恨んだりしない…っ。
父さんは、ずっと自慢の父さんだから…っ』
だから。父さん。
泣かないで。
『……っ、聖夜……ありがとう……っ。お前は、自慢の、息子だよ』
『……俺も、ありがとう……っ。父さんの息子で、良かった』
そう言うと、父さんはボロボロ涙を流して──そして笑った。
俺の、大好きな、笑顔だった。
『聖夜……ありがとう、母さんを支えてくれて』
父さんが母さんの肩を抱く。
『ううん……俺が、母さんに支えられてた』
『そんなことないわ。聖夜には、たくさん助けてもらった。
あなたは、母さんの誇りよ。ありがとう、聖夜』
『……っ、母さん……っ』
俺も。俺も──…
『ありが、と……っ』
それから、三人でたくさん話をした。
あの、幸せいっぱいだった思い出。
そして、母さんは歌ってくれた。
母さんの歌声が、優しく耳に届く。
『母さん。俺、見つけたんだ。”ひとりじゃない”って言ってくれるヤツを。
そいつは、”ひとりで泣くな”って。俺が泣いていると、優しく涙を拭ってくれた』
『そう。その人のことが、好きなの?』
『うん……だけど……』
『聖夜?』
『……俺は、そいつに相応しくないから……』
『相応しくない?どうしてだ?』
俺は、少し躊躇う。
だけど、二人を見ているうちに、父さんと母さんは、もう総てを知っているんじゃないかと、そう思った。
だから、告げる。
『俺は、汚れてるから……』
すると二人は目を見合わせ、そして笑った。
俺は、二人が笑う意味が分からなかった。
『聖夜。あなたは、バカね』
『は?』
『あぁ。バカだな』
『え?』
二人して、バカって……何なんだ。
『聖夜の好きな人は、あなたを相応しくないと言ったの?』
『……言って、ない、けど……』
『なら、聖夜。相応しいとか、相応しくないとか、誰が決めるんだ?』
『……それ、は……』
言葉につまる。
そんな俺を見て優しく微笑んだ母さん。
『聖夜。あなたのその気持ちを、隠さず伝えてみなさい』
『え?』
『今母さんたちに告げたように。その人に、伝えなさい』
『そうだな、それがいい』
父さんも頷き、微笑む。
『聖夜。
人の”想い”っていうのは、決してちっぽけなものじゃない。
どんな過去もそして未来も、総てひっくるめて”人を想う”。
それが、”愛する”ことだと、父さんは思う』
『消せない過去、忘れてしまいたい過去。
色々あるかもしれない、だけど過去に捕らわれて……未来を諦めてしまわないで』
『父さん、母さん……』
突然、世界が歪んだ。
そして、朧気だった父さんと母さんが、だんだんと消えかかっていく。
『時間だわ』
『そうだな』
その言葉に、二人はもういってしまうことを悟る。
『もう、会えない……?』
頭では分かっていても、そう言葉にしてしまった。
『……あぁ。もう、会えない』
その言葉に、胸が痛む。
『だけどね、聖夜。母さんたちは、いつもあなたを見守っているわ』
二人の姿が完全に見えなくなり、声だけが空間に木霊する。
『あなたの心にある想いを、大事にしてね。そして、自分に正直に生きて』
『うん……っ、母さん……っ』
『そして、幸せになれ』
『父さ……っ、』
『聖夜』
『聖夜』
『母さんたちの元へ産まれてきてくれて』
『父さんたちに幸せをくれて』
『『ありがとう』』
……俺も。
たくさん、たくさん……ありがとう。
帰らなくちゃ。
みんなが……あいつが、待ってる。
「……ん、……」
ながいながい、夢を見ていた。
まだぼやける視界の中、白い天井が映る。
白いカーテン越しに、日差しを感じた。
そして。
右手にある、温もり。
頭を動かしながら、視線を下へとずらしていく。
俺の手を握りしめながらベッドに顔を伏せ、寝ている人物が目に入る。
黒い髪、整った顔、強い光を放つその黒い瞳は、今は閉じられていた。
やっぱり、待っていてくれた。
右手に力を込める。
その瞳で見つめて欲しい。だから、起きて。
「……りゅう、せい……」
俺のつぶやきに反応し、瞼がピクリと動く。
「……りゅうせい……」
もう一度名前を呼ぶ。
するとゆっくりと開かれていき、黒い瞳が露わになった。
「…せ、いや……?」
俺の姿を目にとめ、瞳を見開いた。かと思えば、泣きそうに歪む。
「……聖夜……」
隆盛の手がゆっくり伸びてきて、確かめるように頬を優しくなぞる。
指先が、少し震えていた。
「聖夜……」
名前を呼んで、そして優しく孤を描いた瞳。俺の好きな、笑顔があった。
「りゅ、せ……ふ、…ぅ…」
俺も笑いたい。
なのに、視界がぼやける。
溢れる涙。
「聖夜」
ふわり、ふわりと頭を撫でられ、指先が髪を梳いていく。
そして反対の手は、優しく優しく涙を拭う。
何だよ。
余計に止まらない。
「……ふっ、く……うぁ……っ」
指では拭いきれない涙。
隆盛が、ふわりと優しく俺を抱きしめた。
匂い、体温。
そして、鼓動。
溢れる涙は、今度は隆盛の服が吸い取っていった。
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