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幽憤
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目の前に、長椅子に座る、忘れるはずのない憎き兄の姿があった。そして、その膝を枕に目隠しをされた伯岐が静かに横たわっている。私を見て、兄は口角を上げた。
「久しぶりだな、良よ」
「……兄上」
兄は伯岐の頭を撫でながら楽しそうに言った。伯岐は静かに横たわり、抵抗もしない。眠っている訳ではなさそうなのだが。兄になにか、なにかされたのだろう。
「伯岐になにをしたのですか」
「軽い暗示をかけただけだ。目隠しされている間は私の言う事に全て従う」
兄は伯岐を抱き起した。その首筋に見える真新しい紅い跡。かっと、頭に血が上るのがわかった。兄は、伯岐を抱いたのだろう。横からぐっと手を押さえられ思わず隣を見る。子珱が私を制した。その眼は雄弁に、冷静になれと語っていた。
「ははっ、御馳走様、お前の愛妾は堪能させてもらった。最初は始末してしまおうかとも思っていたが……とても、気に入ったよ」
「それで、私から奪う、つもりですか」
「違うな」
意味ありげに笑う兄は私に見せつけるかのように伯岐に口付ける。冷静に、冷静にならなければならない。伯岐は暗示によって抵抗できなくされていて、今現在の私の立場は兄よりも弱い。ここでいらつくのは兄の思うつぼだ。
「お前から奪うのではない。お前もろとも私の支配下に置く、それだけだ」
「……できるものなら。伯岐の心までは奪えないでしょう。だから暗示をつかった」
「ははっ、よくわかっているじゃないか。とても抵抗されたから、暗示を使って従わせた。大人しく従順ならば随分可愛いじゃないか、お前の愛妾は」
やはり、私と兄は相容れない。伯岐の魅力はそんなものでは十分に発揮されないのだ。自惚れかもしれないが、私の傍らで、私の為に咲くから伯岐は美しく魅力的になる。
庇護されるだけではだめなのだ。心底愛する者の為にと咲くから伯岐は美しいのだ。やはり兄に芸術的な感覚を求めることは無理があるらしい。
「伯岐の心は渡しません。私はあなたには屈しませんから」
「くくっ、そうでなければ面白くない。良よ。ならば賭けでもしようか」
兄は、心底この状況を面白がっているらしい。伯岐は渡さないし、私自身も兄にまた負けるなんてまっぴら御免だ。昔の……あの頃の状況に戻るなどと言えば、正直死を選びたい。
「そうだな……その、お前の連れているその男と、こちらから一人、曲剣の使い手の男を出そう。その立ち合いでいい。その男が勝ったら、お前の愛妾は返してやるし、お前にも手は出さない。負けたら……わかっているだろう?」
子珱をちらりと見る。彼はこちらを見て頷いて見せた。……さっきから私はこの男に頼りきりだ。それに、なぜだかわからないが、この李子珱という男に素直に信頼を寄せることができた。
「わかりました。それでいいでしょう」
「場所と日時は追って連絡しよう。それまでお前の愛妾は預からせてもらう」
それだけ告げると、兄は私たちを鬱陶しそうに手で追い払う。私と子珱は席を立った。後ろで見ていた伯修殿が扉を開け、早く部屋を出るようにと促す。来た時と同じ道を歩いていくと、伯修殿が口を開いた。
「私がなぜこちら側か、不思議だったかな」
「……ああ」
「私はね、伯岐が欲しいんだよ」
伯修殿はくすくすと笑ってこともなげに言った。この男は親以上の感情を、ずっと伯岐に向けていたというのか。そして伯岐の母親はそれに嫉妬し、伯岐を虐待した……そう考えれば、すべての説明がつくのではないか?
「最低だな」
「商家の男に、道理など説いても無駄だよ」
くすくすと笑った伯修殿はなぜだろうか。どこか壊れているように見えた。なにか、大切なものを喪失してしまったような空虚な感じがある。あの時の、苦渋の判断で私に伯岐を売った彼とはまるで別人のようだ。
「さて、それじゃあね。仲影殿」
「……ああ。子珱、行こうか」
「はい」
待たせていた馬車に戻ると、邸に戻るよう指示した。馬車が動きだし、子珱が大きく溜息をついた。安堵によるものだろうが……私は、私たちの命運をすべて背負わせてしまった。
「気にしないでください。俺は、勝ちますから」
「……有難う」
その言葉を、どうしてだか素直に信じることができた。この男ならなぜかそれをも可能にできる、そんな気がする。その後は無言だったが、馬車の中はとても居心地が良かった。
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