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春に鳴く
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先輩が卒業した。
3月の良く晴れた日のこと。
長い式の中、部活の先輩たちの姿を見詰めながら、来年は俺たちの番なのかと少し、しんみりとした。
(4月から、三年生か)
追この間、入学したと思えば今年からは晴れて受験生。部活だって半年。夏が終われば引退だ。そろそろ、将来の事を考えなくてはいけなくなる。
(…この歳で、将来を決めなくてはいけないのか)
早すぎる、なんて思うのは可笑しいかな。
他の奴らはもう見据えているのだろうが。
見つけているのだろうか。
…俺だけが、遅いのか。
どうなのかな。
柄にも無く、こんな事を考える。
なぜかって、それは1月に配られた進路希望の紙は白紙のままだから。
適当に何だって書けば良い。
光太郎が最もらしいことを俺に言った。
…んなの、分かってるよ。
適当に進学為るつもりだ。
やりたい事や、なりたい職業が有るわけじゃない。みんなが行くから。ただなんと無く、だ。 何と無く大学へ行って、卒業して、程々の会社に就職して。
…そんな、極平凡な当たり前の未来を何と無く想像してる。
(…春が来る、すぐそこに来てる)
春は何時もわくわくした。
心が踊って、何だか新しい事に出会えるかもしれないって。緑が茂り、地面が顔を出す。
何だか力が湧いて来てどんな事も怖くない。何だって出来てしまえる様な、そんな。
だけど。
…今の自分はどうだろうか。
暖かく柔らかな陽だまりも。
心地よく身体を通り抜ける微風も。
ひらりと散らつく桜の花弁も。
鮮やかに彩り始めた景色すら、この瞳の中では何故か霞むんだ。
其れは色褪せてゆく様に。
…まるで、灰色に染まる様に。
小さい頃は早く大きく為りたいと思ってた。
大きく為ったら、大人に為ったら、自分の足で何処へでも行ける。何だってきっと出来る。きっと好きな事を何でも出来るから。やれる事も増えるし、誰にも文句なんて言われないのだと。…そんな、輝く未来を描いてた。
歳を重ねるに連れ、其れは嘘だと気付き始めた。…成長為るたび、大人に近付くたび、社会のルールと言う"常識"がチラつき始めた。
勉強しなくてはいけない。
友達と上手く付き合わなくてはいけない。
良い高校、大学へ行かなくてはいけない。
…就職して、働いて真面な社会人に成らなくてはいけない。
餓鬼の頃、考えもし無かった悩みが増えた。
幼い頃、許された事が赦された無くなった。
…社会の秩序を乱してはいけなくて。
其れは学校の中でも。はみ出してはいけない。ルールは絶対守らなくてはいけない。其れを破れば、はみ出せば、堕ちてゆくのだから。
(……大人に、成りたくないなぁ)
其処にはきっと思い描いた"自由"なんて、何処にも無いだろう。
月日を重ねるごとに、身体を縛る鎖はきつく為るのだから。
あの頃は良かった、なんて振り返って思い出して嘆く事はしないけど。…あの頃の様に未来をわくわくした純粋な気持ちで追い掛ける事も出来ない。
…もう、遅い。遅過ぎた。
其れに戻るには大人に、成り過ぎたから。
餓鬼の頃みたいに、無知で要られたら良かったのか。あの頃みたいに、馬鹿演ってたら良かったのだろうか。
…でも、そんな事出来やしない。この世界は無知で要られる程、綺麗じゃない。知識を付けなくてはいけないのだ。知恵を持たなくてはいけないのだ。
社会が其れを必要と為せる。
秩序やルールとやらが其れを強制為せる。
知る由も無かった。
残酷だろうか。
其れは正しい事だと教わって来た俺たちは、何も云えやしない。
…それじゃあ、俺たちが無知だったのが悪かったのか。
平凡で当たり前、だけど平和で安らかな日々が何時迄も何時迄も続くと疑わなかった俺たちが、馬鹿だったのか。
『早く春に成らねぇかなぁ』
「何言ってんだよ。まだ夏だろーが。来年迄未だ未だ先だろ?つーか、御前冬の方が好きなんだろ?」
『…そうだけどさー。……んー。冬も好きだけど、ハルトと桜見に行くって約束したじゃん?なんか、待ち切れなくってさ』
「はぁーっ?!御前餓鬼かよっ。…ンなの、直ぐだろ。ンな待たなくたって、来年なんてモンは直ぐに来るんだよ、バーカ」
『そうかな〜…。ハルト忘れっぽいから、今直ぐ行きたい位なのに。…ちゃんと憶えててよ?』
「てめぇ馬鹿にしてンのか!……御前こそ、忘れるンじゃねーぞ」
『はは、忘れないよ。だってハルトが始めて誘ってくれたンだもん、勿体無くて忘れらンないよ』
「……っ、馬鹿じゃねェのッ?ンなの、勿体無くなんて、ねぇよ」
『ううん。そんな事無い。ハルトと見るもの為ること、全部俺にとって大切で綺麗な宝物になるんだ』
"全部、大切、本当に全部"
あんたは、嬉しそうに微笑んでそう言った。
酷く退屈な世界だった。
成長するに連れ、世界は綺麗では無いことを知った。
平和で平凡で当たり前な日常が巡るこの世界に。
あんたと出逢った。
酷く退屈で詰まらなかった世界は、少しだけ耀いて見えたんだ。
俺が好きだとあんたは言った。
俺はそんなの、信じられなかった。
其れでもあんたは俺の隣に居たいと言った。
…俺はそれが少しだけ嬉しかった。
見返りを求めないあんたは、ただ俺と居たいとだけなのだと理解したから。
その感情はとても純粋で綺麗で汚れ無き曇り無き感情だったんだ。
あんたは俺が好きだと言った。
ただ、好きなのだと云った。
俺はどうだったのかな。
俺とあんたの感情は同じだったのかな。
確かに、俺もあんたを想っていて、
確かに、あんたは、俺を想ってた。
ただ、其れだけだった。
それだけで、良かったのだ。
二人肩を並べて、只下らない会話を交わして、馬鹿やったり出掛けたり、勉強したり、遊んだり…。
少し退屈な日常を送れていれば其れで良かった。
あんたが、この世界に隣に居てくれるただそれだけで良かったんだよ。
「…あんたは、違った…?」
自然と漏れた言葉は虚しいほどに、俺の耳に届く。当然、応えなんてもんは返って来る筈も無い事は重々承知だ。
3月だけあって、日中だと言うのに風はまだ何処か冷たい。度々吹く突風は、砂埃を巻き上げ、視界の自由を奪うのだから。
先輩たちの卒業式も終わり、一人穏やかな天気の中、蒼く澄んだ雲一つ無い淡い水色の空を見上げては家路を歩く。
陽に溶けた水色は柔らかくて暖かな春の空。
時折吹く風すらも、音が遠退く程綺麗で思わず見惚れる。
(こんなに、空は綺麗だったんだ)
忘れて居た。
長い間随分と。
冬の空はと全く異なるこの空を。
俺は今迄随分と忘れていたようだ。
通る道端には桜並樹が並び、蕾を付けた桜たちが春の温かな陽気を待ち詫びている。
堅く蕾を綴じたこの桜は、確かに春の訪れを確信しているみたいに思えた。
きっとこの蕾が開き咲く頃、俺は三年に成る。其れは確かな事で、極僅かな時間。
(春が来る…、約束の春が)
春が来てしまったら、もう本当に戻れないのだろう。…俺たちはきっと。
春が来て過ぎてしまえばあの約束はきっと果たされる事無く、跡形も無く消えて仕舞う。
忘れ去られて仕舞うだろう。
きっと、其れは最初っから無かったかの様に。存在すらもし無かったかのように。
……それが、酷く怖かった。
恐ろしかった。
人間は忘れ易い生き物だから。
永遠なんて、存在しないから。
俺たちが笑い合ったことも、馬鹿したことも、隣に居たことも、出逢った事ですら全てが薄れて行方ようで。跡形も無く消えて無くなって仕舞うと思ったんた。
果たされなかったこの約束。
果たす事が出来なかった約束。
忘れたく無いと願っても。
…薄れてゆくんだ、あんたが。
悲しい気持ちがずっとずっと続く事は無いんだ。前に進もうと為る俺が、酷く無責任で酷く冷めた人間だと思い知らされる。
見詰めた先の桜の蕾は、きっときっと美しく咲くだろう。
きっと皆其れを待ち侘びてる。
誰もがきっと。
(…春がくるな、なんてなんて我儘なんだろう)
美しく咲く桜を見て。
この桜を隣であんたと見る筈だったのだと、後悔して惨めに成りたく無いだけ。
…傷付きたく無いだけなんだ。
「……最低だな、ッ俺は…」
囁きにも似た其れは情け無いくらい、震えていた。揺ら揺らと揺らいだ視界は、ぼんやりとぼやけ、眩しい程の暖かなで柔らかな陽射しを反射為せたあの、水色の空をより眩しく為せる。
熱い目蓋の裏には何時も隣で笑って居てくれたあんたの笑顔が酷くこびり付いて離れない。
春の訪れを鳴くのは、此れで最期だと自分に言い聞かせる様に、強く強く胸を摑んだ。
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