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染才一隅
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「っ!?」
キレイなおひとが、あっしの前を通り過ぎる
その後ろ姿に、目が釘付けになった。
浅葱色の単に黒の…
―ああ。
確かにあの帯だ。
例えるなら、久方ぶりに我が子にあった親のような心持になった。
苦心してあっしが織った流水紋。
あんな風にキレイに締めて貰えるとは、夢にも思わなかった…。
―報われた。
今まで感じたことのない、清々しい気持ちが、快く何処からともなくコンコンと湧き出てきた。
無い頭を振り絞り、目をしょぼつかせ、手足をもう無理だというまで軋ませて
手間暇をかけた甲斐があったってもんだ。
―一目でいい、そのお顔を見てみたい。
その一心で、あっしは足を動かし続けていた。
「チョイとお兄サン。此処に何の用だえ?」
艶やかな声にハッと我に返った。
―此処は
…何処だ?
辺りを見回して、まごつきだしたあっしがよっぽど可笑しかったのか。
からかうようなクスクス笑いが、其処此処から聴こえてくる。
―廓?
普通の建物にはない、格子のようなその張り出した枠を見て、ようやく判った。
―ああ、そうか。
あのおひとは、此処の…。
そういえば、あの後ろ姿は只人には見えなかった。
―ならば。
それなりにやりようがあろうというものだ。
あっしはそう考えて、声を張った。
「もうし。この屋の方々。先ほど戻られた方は、なんと言われるお人か教えてくださらぬか?」
「あれは真鶴瀬太夫。この三つ輪屋の出世頭さ。」
若い声が投げるように告げた。
―まなせたゆう。
ツルは水流、か。
なぜかそう思った。
「有り難うございました。」
あっしが深々と頭を下げると、またクスクスとさざめくような笑い声が聴こえてきた。
「おや、まあ。もうお帰りかい?」
艶めかしい声を振り切るように、あっしは走り出した。
もう一度、あのおひとを見てしまったら。
―戻れなくなる。
そんな気がした。
それからあっしは、思い付いた新しい模様を織ることに打ち込んだ。
二月後
織り上がった反物を手に、あっしはとある呉服屋を訪れた。
「ほう、コレは…素晴らしい。」
主人は細い目を見開いて、頷いた。
「実は。コレを着せたいおひとが居るのですが…。」
「おやおや。染吉さんも隅に置けませんねぇ。」
むっちりとした主人から粘い視線が放たれた。
「いや。…あっしのはそんなんじゃあないんで。」
「だったら、どういうことですか?」
旨いものでも食べにきたような、そんな面持ちで主人が先を急かす。
「ただもう、お礼がしたい一心でさ。」
「御礼…?」
不思議そうに繰り返した主人にあっしは頷いた。
「旦那のご承知の通り、あっしはしがない職人です。反物は毎回言われた通り、お客様に満足して貰えるよう工夫を重ねて必死に織っておりますが、残念なことに今までそれを纏ったおひとを一度もこの目にしたことはございませんでした。」
「おお、なるほど!」
「それが、二月ほど前…あのおひとがあっしの前に現れて下さった。あっしの織った帯をしめて、通りを歩いていなさった。」
「どう、思いました?」
「それはもう。お綺麗の一言で…。ただただボウッと見つめたまま、そのおひとの後をついて歩いておりました。」
正直に話すと、主人はフフッと口を押さえて笑った。
「それで?その御仁の名はなんと言われる。」
「三つ輪屋のまなせたゆうとお聞きしました。」
また主人の目が見開かれた。
「真鶴瀬といえば、今評判の陰間のことですね。」
「か、陰間っ!?」
―あれが男!?
あんぐりと口を開けたまま、何も言えなくなったあっしを見て、主人は少し意地の悪い顔になった。
「ああ。染吉さんは、そちらのことにはとんと不案内でしたっけね。」
「ぁ、ええ。そんな暇があるなら、少しでも織り進めたいと思う性分なもんで。」
「…ふむ。よござんす。ここはひとつ、私が染吉さんの為に、一肌脱いで差し上げましょう。」
「有り難うございます!!」
額を畳に擦り付けんばかりにして、あっしは礼を言った。
「その代わり…この逢瀬は一度きりですよ?」
「はい。それはもう…!」
「では、一月後。これが仕立て上がりましたら、その夜に迎えをやります。それでよろしいですね?」
「はい!!」
願ってもないお話に、あっしは飛び付いた。
閻魔様の前でも、こんなにすまいと思うほど、ペコペコ頭を下げ倒して、あっしは自分の住む家まで戻った。
―あのおひとに逢える!
一目逢って、この幸せを頂いた御礼を言おう。
そしてまた、ひたすらに織り続けていくのだ。
あのおひとのような方に再び選んで頂けるよう…。
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