アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
人形
-
二人の間に流れた重苦しい沈黙に、少し言いすぎたと思ったのか、態度を軟化させて、潤は優しく誘ってきた。
「こっちに、きてごらんよ」
潤は、部屋の右手にある、腰程の高さの、楢材の本棚の前に、僕を連れて行った。木組の丸椅子と、年季の入って飴色になった四角いスツールがあった。どれも自然なワックスの艶があり、よく手入れされていた。マスターのコウさんが、磨いているのだろうか。
僕らの高校は、男子校だったせいか、ひどく汚かった。
潤は、いつも身綺麗にしていたし、よいところのお坊ちゃん風に見えた。超然としていて美しい潤は、僕に、ほのかな憧れの気持ちを抱かせた。
潤が、いったい、どんな家に育ったのか気になった。
青春期の汗と体臭のする教室の中、潤は、いつも涼しげな顔をしていた。そばによると、いい匂いさえしそうだった。実際、着替えのたびに、潤は、みんなに触られたり、そばに寄られて匂いを嗅がれたりしていた。僕は、批判的に見ているふりをしつつ、その実、そんな風に、自分の欲望に忠実な人たちが少し羨ましかった。自分には、そんな大胆で、直接的で本能に忠実で動物的な行動なんて理性が邪魔してできそうもなかった。
学校の、雑然として、囚人の収容施設のような鉄筋の灰色で四角い無機質で薄汚れた空間にいる潤は、いかにも不釣り合いだった。時々嫌そうに眉をひそめているのが、さもありなんと思わせられた。潤は、もっと美しい空間に置かれるべきだ、と僕は遠くから眺めていた。
潤にふさわしい静かで不可思議な空気の中で潤は、よりいっそう魅惑的だった。
潤は、学校にいる時より、ずっと柔らかく優しげに見えた。二人きりだったからかもしれない。潤は、男子校の野蛮で乱暴な生徒たちに囲まれて時おり迷惑しているようにも見えた。潤は、誰にでも愛想がよくて優しくて、みんなの気分を良くさせたから、みんなに好かれていたけれど。潤は、思春期の男子高校生の群れの中であまりにも奇跡のように美しかった。それら全てのことは僕の願望や妄想だったかもしれないが、僕は、潤の美しさを愛していた。
潤は、優雅に椅子の間を歩きながら優しく微笑んで、 僕に言った。
「いろいろ、綺麗な本があるんだ」
潤が指し示した本棚には、金箔押しや、ノスタルジーを誘う褪めた色合いの、さまざまな布地張りの、凝った装丁の背表紙が並んでいた。
僕は、その中から適当に、くすんだ薄紫色の布地張りの一冊を抜き出した。写真が多いのか、紙が厚くて、意外に重かったので、本棚の上部に本を置いて広げた。前の方の薄い紙の部分の文字ばかりの解説は飛ばして、厚い紙の写真の頁を開けた。
すると、潤に、冷たい面影や手足の長さがよく似た、綺麗な人形が、目の前の紙面に現れた。ビスクドールと解説にあった。潤は、僕の手元を覗き込んで言った。
「ああ、その本ね。瑶は、そういうの好き?」
潤は、何度も見て知っているような口ぶりだった。僕は初めて見た本だから、すぐには答えられなくて、
「潤に似ている」
とだけ言った。
「そうか、嬉しいな。俺、こんな風に見える?」
潤は、顔を寄せてきた。
「うん」
僕は、紙面に目を落としたまま言った。潤の吐息が耳にかかり、僕の心臓の鼓動は、高まった。
憂いを含んだ眼差しの、哀愁を帯びた表情の、はかなげな美少年の人形。少女のように愛らしいが少年らしく高慢で、己の所有する移ろいやすい美を、命を犠牲にすることで永遠にとどめることに成功した英雄のように勝利を誇っていた。
「これなんか、瑶みたいだよ」
潤は、甘ったるい口調で言って、ページをめくった。
その人形は、さっきの人形より優しい顔立ちで、少し微笑んでいるように見え、頬は薔薇色だった。
「僕って、こんなに子どもっぽい?」
僕は少し不満だった。
「え? そう? これ可愛いと思うんだけど」
「でも、さっきの方が、きれいで孤独っぽくて、かっこいい」
「孤独か」
潤は、唇を噛んだ。潤の冷たく無表情な顔が、さらに暗い顔になったので、僕は、何か悪いことを言ってしまったのかと不安になった。潤が唇を血がにじむんじゃないかと思うほど噛み締めているのは、泣きそうになって、唇が、わなわな震えてしまうのを、抑えて耐えているように見えた。
僕は心配になって潤の横顔をじっと見ていたが、潤は、見られたくないかのように、顔を背けたので、僕は、見るのを遠慮して、本の紙面に視線を戻した。
僕が、また、潤に似た人形を見ていると、ページの下の方に、後ろのページにも、写真解説があると、ページ番号が載っていた。指定のページを開くと、潤に似た人形がテーブルに寝かされている写真があり、僕は、頁をめくっていった。片側のページには字の解説があった。
次のページでは、人形は、服を脱がされて裸にされていた。
「ふふ」
と、ふいに潤が笑った。まるで、人形が笑ったかのように思えて、ぞくっとした。裸を皆に、さらされているというのに、人形は、さっきと同じ表情をしているのが哀れを誘った。
そして、その、自分に似た人形が、裸にされ、写真にうつされ、人目に晒されているというのに、平気で含み笑いをする潤の神経が、妖しかった。
さらに、人形は、細部が大写しになり、曲げられ、バラバラにされていった。最後は、まるで、バラバラ死体のようだった。
人形なのに、妙になまなましく感じてしまったのは、さっき、潤に似ている、などと言ってしまったせいかもしれなかった。
単に人形の構造を明かすための、写真解説であるのに、興味本位で残酷な、解剖写真のように見えた。僕は動揺した。 潤は僕の動揺を知ってか知らずか、
「おもしろいね」
といい、身体を寄せてきた。
「面白い?」
その感想は、狂気じみているように思えた。美少年の、バラバラ死体に対する感想としては。いや、人形なのだけれど。
でも、自分に似ていると言われた人形が、裸にされて、いじくりまわされて、捻じ曲げられて、バラバラにされたというのに、他人事のように、面白いだなんて。
潤の息づかいが間近に感ぜられた。
夕暮れの黄色い光が、窓から差し込んで、室内を染めていた。
僕は、落ち着かない、そわそわした気持ちで、本を閉じ本棚に戻した。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
5 / 788