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虜囚
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僕が答える前に、階段を上る足音が聞こえ、ドアのカウベルが鳴り、マスターが帰ってきた。
「いい雰囲気のところ、お邪魔」
潤は、彼を振り返った。
「別に。コウさんの方の首尾は、どうだった?」
「ウブな高校生にはちょっと聞かせられない話だね」
マスターは、僕の方を、ちらと見た。
「俺には、いつだって、無理やり聞かせるくせに」
潤は、媚びるようにすねて見せた。コウさんは苦笑した。
「無理矢理だなんて、人聞きが悪いなあ」
「だって、そうじゃないの」
「友達を道連れにするのか? 潤は、全く、しょうがないなあ」
「だって」
二人は、お互いの髪や肩を触り合い、いちゃつき戯れた。甘ったるくて恥ずかしくて、見ていられなかった。潤は、どこか、それを僕に見せつけているようでもあった。
「帰ろうかな?」
僕は、二人の関係を見せつけられて、僕の甘い恋のロマンスに、現実の冷や水を浴びせられた思いだった。夢想から覚め、己の立場を自覚した。所詮、僕は、添え物に過ぎないんだ。二人の甘い関係に、いろどりを添え、多少の刺激も与えるような。
「だったら、俺も帰るよ」
潤は、僕という獲物も逃すまいとするように言ったけれど、
「またね。きっとだよ? ふふ。くすぐったい」
とコウさんと、腕をからめ指をからめ、甘えた仕草で、別れを惜しんでいた。喫茶室から出て、僕は潤の後について、黙って階段を降りた。
階段の下で、書店のあるじが、本棚に本を入れている後ろ姿が見えた。主は、作業の手を休めて僕らを振り返った。黙っている僕らの表情を見ると、主は、ふっと笑って、作業に戻った。見ただけで、僕と潤がキスしたことが、わかるんだろうか? と僕は恥ずかしくなった。
家に帰っても、家族と顔を合わせたくなかった。潤とキスしたことが、ばれるんじゃないかと思ったからだ。
眠るために、ベッドに横たわっても、今日あった色々な刺激的なことが、ぐるぐる頭を巡って、なかなか寝付けなかった。
寝苦しい中、僕は夢を見た。
人形の潤が、ひだ飾りの、古いアンティークのフランス製の手刺繍のレースに包まれた潤が、剥き出しにされていくのを。
その心臓は、えぐりとられたように血を流して、レースが包帯のように胸を覆っていた。
薄紅色の花の蕾の先端のような乳首が、ちらりとのぞいていた。僕が突起に触れると、潤の人形は、ふふと妖しく笑った。
人形の潤の妖しい笑いに包まれて、僕の身体が溶けそうに熱くなった。
目が覚めると、僕の肌は、びっしょりと汗で濡れていた。おまけに、下半身の一部が熱を帯びていた。僕は、手で慰めた。布団の中で、声を殺して、潤の幻影に、責めたてられ、身をよじった。潤の唇によってなされた、かすかな僕の唇への接触の記憶が、僕を絶頂へと導いた。
急いて、僕を貪ろうとした潤の意志が、僕に喜びをもたらした。
僕がとっさに唇を背けたことで、潤は、手に入りそうで入らなかった僕を、躍起になって求めるようになるだろう。潤も今、僕の幻影に苦しめられていればいいのに。僕は、また、美少年とのロマンスを夢想した。
潤に愛されたい。
あの美しい、少女より気丈で気位の高い精神と、しなやかでストイックな少年の身体と、恋をしたい。
日に日に成長して大人になってしまう、うたかたの、この少年の身体と心で、彼と愛し合いたいと思った。
そんな風にはっきりと思ったのは、その時が初めてだった。それまでにも、漠然と潤を思って身体を熱くすることはあった。なんとなく潤に似た面影や、肢体を見つけては。
どっちが先だったのか、わからない。理想の面影が潤に当てはまったのか、潤を求めて潤に似た面影をコレクションしていたのか。
潤だったら、プラトンのイデア論では、と言い出すだろう。完璧な美、理想の、イデアへの希求の衝動が、僕を駆り立てているのだと。
僕には、そんなことは、どうでもよかった。僕は、イデアを捕えようと苦しむ虜囚にすぎなかった。ただ狂おしく、潤の面影が、僕の胸に強烈な印象の刻印を押した。
潤の実体は、ふふ、と妖しく笑い、飛び去ってしまう、そして僕の胸に印画された像は、千年の齢を保つ年老いることのない人形のように、僕の胸を焦がし続けるのだろう。
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