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洋講堂再び 2 鏡像
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潤は、僕の手を離し、壁に掛かった、鏡の方へ歩いて行った。
鏡の向かって右側は手洗いのドアになっていた。
鏡は大きな四角い姿見で、枠は、茶色の革製だった。
潤は鏡の前に立つと、タイを緩め、制服のシャツのボタンを幾つか外して、
「ほら」
と、僕に胸元を見せるように鏡にうつし、振り向いて言った。
僕が近寄って覗き見ると、痣がいくつかできていた。
「これは?」
「キスマーク」
潤は、鏡の向こうを、うっとりしたような目で眺めながら、少し口元をほころばせて答えた。
「鏡の前で、つけられたんだ」
と言って、一歩下がった僕を誘惑するように、上半身を優雅にひねって言った。
潤の声色と様子から、僕は、潤が性的に昂揚しかかっているのを感じて、こわいような、逃げたいような、でも逃げたら悪いような臆病者のような気持ちがして、どうしたらいいかわからずに、その場に釘付けになっていた。
怖がっていると思われたくなかった。
「瑶も、やってみる?」
潤は、目を逸らそうとする僕の視線をとらえるように、首を傾げて、僕を覗き込むようにして言った。
「え、僕はいいよ」
僕は言われたことの意味もわからぬままに、ただ、潤の変わってきた表情に、不安と危険を感じて、慌てて遠慮した。
「つけられたって、誰に?」
僕は話をそらした。
「知りたいの?」
「コウさん?」
「さあ?」
コウさんとは、あやしいと思ったけれど他にも、まだそんな関係の人がいるのだろうか?
「自分の姿を見ながらするんだ」
「ああ、潤は、綺麗だから、自分の姿を見ながら、一人でしちゃえるんだ? 便利だね」
僕は、冗談に紛らわそうと、わざとクラスメイトが言っていた下卑たことを真似て、声をたてて笑った。
僕の笑い声が、そらぞらしく響いた。
潤は水をさされた様子を見せるどころか、さらに状況に追い討ちをかけるように僕の腕を、ぐいとつかんで言った。
「そうなんだ。おかしいと思われるかもしれないけど」
「え? 何が?」
僕は、潤の目つきに怯えて尋ねた。
「自分の姿を見てするのが、何より一番欲情するんだ。おかしいかな?」
「おかしくないんじゃない?」
僕は、恥ずかしすぎて、そうとしか言えなかった。
「本当に、そう思っている?」
「うん。潤ほど綺麗なら、それもあり得るんじゃない?」
僕は、恥ずかしさと恐れから逃れるために、半ば本気で、半ばなだめるように、言った。
「自分でも、おかしいんじゃないかとは、思うんだけれど、自分のことが、好きなんだ」
「それって、正常な自己愛の範疇なんじゃないの? フロイトは、自己愛にとどまるのは異常なこととしたようだけど、コフート以降は、そうでもないようだし」
と、やめてもらえない気恥ずかしい話題を、知性化で防衛して言った。
「そうは思えないんだよ。自分と結婚できるわけでもないし、いくら自分が好きでも、報われない恋だよね?」
「自分とは一生いっしょだから、それでいいんじゃない?」
僕は適当に言った。
「でも、そしたら、誰も愛せないし、孤独な一生だよ。何しろ自分しか愛せないんだから」
「ええと、自分が好きなんだから、一人でも満足できるんじゃないの?」
「そうじゃないんだよ」
「ううんと、じゃあ、つまり、やっぱり、結局、誰か他の人も愛したいってことなんじゃない?」
「それが無理なんだ。他の人を愛そうとすると、その人を殺してしまうんじゃないかと思って」
「どうして?」
「さあ?」
潤が、涙ぐんでいたので、僕はかなり驚いた。どこに涙ぐむ要素があるのか、わからなかったからだ。
「こんなことを人に言ったのは、初めてかも」
「そう」
僕は、困った。
潤の打ち明け話を、受け入れきれないと思ったからだ。
潤は、僕の腕をつかんで言った。
「僕は鏡の前で自慰をするんだ。裸になって」
潤が、つかんだ手の強さとはうらはらの、夢見るような口調で、僕の耳元に唇を近づけて、ささやいた。
「待ちながら」
夢見る天使を装った悪魔のように、潤は僕の耳元で繰り返した。
「待ちながら」
僕にとっては、ほとんど攻撃的なささやきだった。
僕は、胸がどきどきして、咽がひりつくように感じた。
待ちながらって何を待っているんだろう。コウさんが帰ってくるのを?
それとも、ほかの誰かを?
いや、僕がその気になるのを、待つという意味?
僕は、潤に呪文のような言葉を吹き込まれ、惑わされていた。
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