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その日、三日月様の社の前に、当番の者達と一緒にお供え物を持ってきたミズハは呆然とした。
三日月様の社の前には、最近――とはいってもすでに村のものすべてがそのものの名とその気性とを知り尽くしているという程度の『最近』ではあるのだが――この村に飛来した、異国より来たりし紅き竜、暁丸が、仮初めに人間の少年の姿を取り、その片足で、鋭い何物か(おそらくは、竜のかぎづめ)により、見事に頸動脈を掻っ切られ、綺麗に血抜きされた殺したての猪の死骸を踏みつけて、にらみ据えるようにしてこちらを見つめていた。
「お、おはようございます」
「なあ、それ、三日月のメシか?」
呆然としながらも、なんとか挨拶の言葉を発したミズハに、暁丸は無遠慮にそう問いかけた。
「え? あ、ええと、そ、そうですね、これは三日月様へのお供え物ですから、だから、まあ、その、そ、そういうことになりますね、はい」
「餅、ある?」
「え?」
「お餅。三日月が食いてえんだって」
「え、えーと、お餅は、その、今日はないですね、すみません」
「なんでねーんだよ?」
「え? いや、その、今日はそういう予定じゃありませんでしたので……」
「――チッ」
眉をひそめて舌打ちをする暁丸の姿に、ミズハは震え上がった。ミズハは、白蛇神や紅竜の『力』のほどが、なんとなくわかってしまう体質に生まれついている。眼前の、幼い少年の姿を仮初めにとっている異国より飛来せし紅竜は、こう言ってはなんだが、この村の守り神たる白蛇神、三日月よりもはるかに『強い』のだということが、知りたくもないのに察せられてしまうのだ。
「んじゃ、これやるから、餅つくってこいよ」
暁丸は、猪の死骸をコツンと軽く蹴った。
「俺が狩ってきた。だから、これと、餅と、交換しようぜ? な?」
「え、えーと……」
「暁丸、暁丸」
社の入り口から、三日月がヒョコリと顔を突き出した。その、面やつれしているのに、目元だけボゥッと赤く染まった顔に、ミズハはわけもなくドキリとした。
「あんまり無理を言っちゃだめだよ。村のみんなにも、都合とか予定とかいうものがあるんだから、ね?」
「なあ、餅ってそんなにつくるのが難しいのか?」
「ええと……いや、まあ、そんなに極端に難しいわけじゃないけどね……」
「だったらいいじゃん! 俺、なにもただ働きさせようとかそういうことは言ってねーぞ? 猪と餅を交換しようって言ってんだぞ? 俺、別に悪くねーぞ!」
拗ねた子供のようなふくれっ面でそう叫ぶ暁丸のその姿に、ミズハは、まだどこかに根深い怖れを感じながらも、それでもなんとなく、微笑ましいような思いを抱いた。
「ああ、ごめんよ暁丸。別に、君が悪いと言いたかったわけじゃないんだ」
三日月は、苦笑と共に小さくかぶりをふった。普段だったら、村の者がお供え物を持ってきたりしたらいつも、すぐに楽しそうに社の外に歩み出てきて村の者達と談笑する三日月が、今朝に限って何故だか、社の入り口から上半身だけをヒョコリとのぞかせただけで、そこから一向に動こうとする様子がないのを、ミズハはひどく不思議に思った。
「ただ、その、突然の話だから、ほら、村のみんなもびっくりしているだろう?」
「びっくり?」
暁丸は、きょとんと目をしばたたいた。
「びっくり、してるのか、おまえら?」
「…………」
暁丸の無遠慮で無造作な問いかけに、村の者達が、ミズハも含めて無言でコクコクとうなずきを返す。
「……ふーん」
暁丸は、大きく鼻を鳴らした。
「……餅、ダメか?」
口をとがらせ、上目づかいにそう問いかけてくる暁丸を、ミズハはその強大な力を恐れながらも、それでもなお、ひどく可愛らしく感じた。
「だめ、じゃ、ないですけど」
村の者達と目と目で少し会話を交わしてから、ミズハはなんとなく一同を代表してそうこたえた。
「ええと、あの、すみません、でも、なんでいきなりそんな――?」
「俺、昨夜、こいつと番いになったんだ」
暁丸はあっさりと、とんでもないことを言い放った。
「だから、こいつ、今すっげー疲れてるの。あのな、俺は竜だから、抱いたやつ――っていうか、俺の一部を体の中に取り込んだやつの体を変えちまうの。だから、俺ら竜の血肉だの精だのっていうのは、俺が産まれたとこじゃいろいろと、狙われてたりもしたんだぜ? ま、今はそんなことどーでもいいけど。こいつ、三日月、俺の雌になって、俺の子孕んで、産んで、育てるの。そのために、今、俺の精がこいつの体をいろいろと変化させてるとこなの。だからこいつ、今すっげー疲れてるの。だから、好きなもん食わせてやりてえの俺は! わかった? 肉とかでいいんなら、俺、いくらでも狩ってくるけど、俺はその、餅とかいうもんのつくりかたは知らねーんだよ!」
「……………………」
ミズハを含め、軒並み全員、ポカンと口を開け、ガクンと肩を落とし、呆然と立ち尽くす村人達の耳に、
「あ、あの、あ、暁丸、いや、あの、べ、別に秘密にするつもりは全くなかったんだが、それでもあの、な、なにもいきなり、そんなあけすけに、むきつけに、何もかもを話す必要は別になかったんじゃ――」
という、しどろもどろになった三日月の、幾分かすれたあわてたような声と、
「えっ? だって、言わなきゃわかんねーじゃん? こいつらだって、事情がわかったほうがいいだろ? え、それともこいつらには事情が全然わかんねーほうがよかったのか?」
という、暁丸の不思議そうな声が響いた。
「いや、まあ、私だって何もそんなことは言わないがね」
三日月は苦笑しながらそう言った。
「ああ、ええと――」
三日月は、すまなさそうな、面映ゆそうな、だが、それと同時にこの上なく誇らしげな顔で、ミズハを含めた村の者達の顔を順繰りに見回した。
「実はそういうわけなんだ。急な話で驚いただろう? ごめんね? だが、安心してくれ。どういうことになろうと、私はこの村のことは全力で守るから」
「…………」
「――まあ、とはいえ」
三日月の言葉に、呆然と顔を見あわせる村人たちを見て、三日月はどこか悪戯っぽくクスリと笑った。
「暁丸を番いの相手に選んだのは、これはその、実をいうと村云々とは別にあまり関係がない、私自身の想いのなせる業、なのだけれどもね」
「おい、俺、ちゃんと事情も説明してやったぞ!」
暁丸は、傲然と胸を張ってそう言った。
「それに、ただとは言わねえ! 猪をやる! 猪じゃダメなら、何がいいか言ってくれたら他になんか狩ってくる! だから、三日月のために餅つくって来い!」
「暁丸、だから、あんまり無理を言っちゃ駄目だよ?」
「無理なんか言ってねーし! ……なあ、おい」
暁丸の金の瞳が、ほんのわずか、不安げに揺らいだ。
「頼むよ、おまえら……」
そう言って、ほんのわずか、ほんのわずかだけ、自分達に向かって頭を下げてくる、誇り高き異国よりの客人を、ミズハはひどく、好ましく思った。
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