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「俺は名乗ってやったんだぜ、お前も名乗らねぇとフェアじゃねーよな?」
開いた距離をさらに広げ、窓に寄りかかった浅海は両手を広げ何も持っていないぞと危険性がないことを重ねてアピールしてくる。その顔もさっきのものに比べれば穏やかになった…とはいえ、視線の鋭さはそのままだから意味がない。
だが階段の傍に立っているのは危険だ、仕方なく浅海の方へ一歩だけ近づく。決して目を逸らさないように決して意識を他へ向けないように。フェア、なんて言葉を使われては名乗らなくてはならなくなる。しかしおそらく彼は俺の名前を知っている気がする。無視しても構わなかったけれど…これ以上、息苦しいのは勘弁だ。
窓から差し込む日差しで浅海の色素の薄い髪が透けて見える、その割に考えていることやら何やら見えなくて困る。死んでしまったかのように沈黙を続ける自分の声帯に発破をかけるように咳払いを一つしてから、口を動かした。
「瀧野、小虎です。1年A組。」
少しばかり小さく震えた声になったけれど静かな廊下ではちゃんと聞き取れただろう。浅海は笑みを深めながらパーカーのポケットに手を突っ込み頷いた。宣言通り何もしてこないつもりなのだろう、少しだけ安堵した。
用がないならさっさと引き上げてもらいたいもの、もう体育館へ行かせてもらいたい。安堵して生まれた余裕と勇気で言葉を選んでいると、浅海の声が遮った。
「たきのことら、ね…嫌な名前だな。」
「、え。」
「虎って、龍と並んでいること多いだろ?龍っていうと…アイツが思いつく。」
龍のつく名前の人。浅海が嫌う人…それは、と考えを纏めていると、浅海の手がポケットから抜かれた。
それを瞳で確認した瞬間だった、浅海の足が俺の方へ大きく踏み込んできた。
普通の歩幅にして5歩程度離れたところに立っていた浅海が、空白の距離をたった2歩で詰め寄り長い手で俺の襟首を掴んだ。そしてもう一歩、大きく踏み込み階段の壁に俺を押し付けた。
一体何が起きたのか、良く分からなかったが理解できたのは頭の痛みが最初。ガツン、と壁にぶつけられた後頭部に酷く鈍い痛みが広がっていく。衝撃に瞳を閉じたら他の感覚が鋭くなったのだろう、今度は首元に圧迫感を感じた。ネクタイを締めすぎた時やタートルネックを着た時のような布の優しい締め付けではない…人の手が直に首を握っている、生々しい感覚。
「っ…!」
バサバサ、紙が落ちていく音。それと叶野先輩の鞄が階段を転げ落ちていく音が遠くに聞こえた。
嘘だ。信じられない感覚に瞳が勝手に開いた、本当に俺の首は誰かに握られているのかを確かめるように上がった瞼。暗闇から抜け出した瞳が最初に捉えたもの…
「賭けは好きか?」
浅海の笑顔だった。
俺の首に右手をかけ、左手で肩を押さえつけられた状態で階段の壁に押し込まれたと理解したところで浅海の質問は理解できなかった。後頭部がジンジンと痛む中、俺は浅海の笑顔から目が離せなくなる…というよりも浅海以外視界に映せない。それほど近い場所へ詰め寄られていた。
確かに宣言通り、殺されてはいないけれど危機にさらされているのは違いない。鼓動の音がやけに全身にまで響き渡る、血管をとおって全身で鼓動を打ち鳴らす。こんなのは、初めてかもしれない。
賭けは好きか?…そんなこと今まで一度たりとも聞かれたことがなかった、普通の生活を営んでいればまず賭博やギャンブルと言ったゲームに参加する機会が限られるから。
俺はもともと友達も少なかったし勉強をするのが好きだったから遊ぶという事自体してこなかった。だから、好きか嫌いかという判断自体出来ない。何が言いたいのかと言うと…分からないという事。
そう言いたいところなのだが…いかんせん苦しい。首にかかっている手が、俺の息も言葉もまさに掌握しているのだ。おそらく力は入っていないのだろうけれど不思議と苦しくてたまらないのだ。あの時に似ている、事故にあった直後の霧がかった記憶と似ている。苦しくて痛くてどうしてこうなったのか分からないあの時に。思い出しては体が勝手にフラッシュバックを起こしているのかもしれない。
徐々に頭の中が酸欠のような状態に近づいていく、考えるという事が鈍ってくる、体がうまく動かなくなる、視界が揺らぐ。
「俺は大好きだ、金を賭けたゲームも人生を賭けたゲームも。」
視界が霞み浅海の顔が揺れ出した、と思った…それと同時に首にかかっていた手が外された。ただ外れたと言ってもそろりと一撫でしてから、顎を掴んだだけ。それでも自由になれたような解放感を得た。
はくはくと、口を動かして息を大きく取り込んだ。ゆっくりと肺をいっぱいにしてから静かに吐き出していく、それを何度か繰り返してやっと俺の脳は霧を払いのけることが出来、浅海の顔をしっかりと見ることが…そして浅海が言った言葉を考える余裕が生まれた。
相変わらず顔と顔の距離は近いが、今はそんなことで動揺しない。それよりも言った言葉の方に動揺する。人生を賭けたゲーム、つまりそれは…
「はんざいでも、ですか…?」
「…そうだよ、犯罪でも勝率さえ見込めれば俺は賭ける。」
だから勝つんだ、麻雀でもポーカーでも花札でもなんでも。
俺の問いかけに浅海は少し顔を歪めた、機嫌を損ねたのかは分からないけれど肩を掴んでいた手に力を込めたと思いきや、まるで物を投げるように廊下へ俺を投げた。それは軽やかにぽいっと。
中々勢いよく投げられた俺はさっき浅海が寄りかかっていた窓にぶつかる直前で何とか窓に手をつき、勢いを殺した。狭い空間から、とても苦しく重く恐ろしい空間から逃げ出せたことに長く息を吐き出しつつ、浅海の方をゆっくり振り返った。
まだ頭が痛いし首の違和感が消えてくれない、恐怖が拭えないままぎこちなく振り返ったその先…浅海は、なぜだろう、少し悲しそうに眉を寄せ俺を見ていた。ギュッと何かを堪えるように両手を握りこぶしにし、眉間に皺を作り、俺をジッとただジッと。
「悪いことは言わねぇ、生徒会から抜けろ。…殺されたくないなら、な。」
だけれども、そう口にした途端。浅海は笑って見せた。ころりと180度色を変えた表情は軽やかで握りこぶしも眉間に皺を作るのも似合わない…今日の日差しのように暖かくて優しいもの。でも言葉は残酷だった、脅しとしか言いようのない言葉に俺は何も言えなくなる。ただただ、笑顔を見続けることしかできない。
ただどうしても言いたい事がある、俺は声を振り絞った。首の違和感をぬぐえないままで引き攣りそうな喉を酷使してでも俺は言いたい言葉があった。
「…殺されても、別にいいですよ。逆にあなたが後悔しないならすればいい。」
「……」
「約束しちゃったんで簡単にはやめられないんです。」
三条副会長と、叶野先輩と。
約束は束縛するためにあるものじゃない、果たすためにあるものだ。だから俺は面倒でもややこしくても約束したことに精一杯の責任を持ちたい。簡単に投げ出したくない、たった一つの約束も守れない人間にはなりたくない。
「あっそ、残念だ。…せめて運の神様にお祈りでもしときな。」
全然残念そうじゃない声で、そういうことを言う人ほど奥が見えないものだ。
笑顔のまま、軽い声のまま。浅海はそう言い片手をあげ俺に背を向け、そのまま階段を降りて行った。カツンカツン、靴音を響かせ確実に俺から遠ざかっているのを示しながら。
その音を聞きながら…俺は壁に寄りかかったまま体中の力を抜いた、ずるずると、ずり落ちては床に座り込んだ。尻が床に着地し終える頃には、浅海の靴音など聞こえなくなっていた。やっと逃れられた…そう思うと、深いため息があふれ出た。
なんていう時間だったんだ、携帯を取り出して時間を確認してみればもう12時を余裕で回っていた。あぁ…叶野先輩を待たせてしまっているな…そうと分かっているのに、体は動きそうにない。
それにまだ痛む頭の中、さっきの言葉が繰り返される。賭けだの犯罪だの神様だの…どうしてだろう、現実味がない。他人事…いや、本の中の出来事のようだ。小説にするには地味だけど、現実として受け止めるには難しすぎる。
「…今、何時だろ。」
まだ動けそうにない体についつい笑いがこぼれそうだ、とりあえず動けるようになるまで遅れた言い訳でも考えておこう。叶野先輩になんて言おう…馬鹿正直に浅海に会ってちょっと喧嘩買ってきましたなんて言えない。
また渋谷に怒られそうだな、とかお腹すいたな、とかも一緒に考えながらジリジリと身に降り注ぐ日差しを味わう。このまま転寝したら……流石にダメか。
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