アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
父
-
その昔、親父の夢は演出家になることだったらしい。
映画館・美術館・博物館・劇場…
思えば、全部、最初に親父が連れて行ってくれた。
我々兄妹の物語好きは、そこから始まったのかもしれない。
親父本人は、奇抜な色の取り合わせや、難解で暗いものとか、ちょっと子供には取っ付きにくく、理解し難い感じの好みだった為、それについて、あまり深い話をしたことはない。
一度『ディーバ』という映画を一緒にうちで観ていたが、画面はずっとひたすら暗いし、たまにうつる少年はワケわかんないことを言って怯えてるし、私はとうとう「面白くない」と途中でリタイヤしてしまった。
たぶんナイトクラブの歌姫が殺されて、憧れてた少年が目撃してしまって、犯人やパトロンなんかに追われるという話だったと思う。
『去年マリエンバードで』という映画のポスターがずっと貼ってあったけど。コレも調べてみたら、「藪の中」みたいな一筋縄ではいかない話らしい。
夜は大抵晩酌をしていて、機嫌を損ねるとムッツリ黙りこむか、怒鳴られて追い出されるか、どちらかだった。
逆にノってしまうと、ビデオを見ながら解説して、ウイスキーとナッツを片手に2時間半とかザラで、妹はこれにうまく付き合っていた。
何にしても、母にツノが生えるコースなので、私は気になっても、なかなか話す機会が無かった。
それでも、私や兄が『あれスゴかった!感動した!!』というのを聞いていて、慰安会は必ず宝塚を取って連れて行ってくれたり、ツテでもらってきた劇団四季の歌のテープを私にくれたり、BS放送をビデオ録画してくれたり、美術館の招待券をくれたり、したものだった。
何の拍子か
ユーミンと中島みゆきのテープを何本も同時に持って帰って来たので
その夏からは、「悪女」を熱唱しつつ、海へ遊びに行くのが恒例になった。
夢の遊民社の舞台の録画をなぜか家族で観て、これまた兄妹でハマり、物真似したりして遊んだ。
私の二十の祝いはNODA MAPの公演を父と観に行って、その後、二人で呑み歩く、という予定だったが
私は初めての生NODAにすっかり興奮して、ロクに呑みもしないうちから、出来上がってしまい、恋愛相談なんだかなんだかよく解らない話を延々聴かせたっぽかった。
タクシーで帰って来て、トイレに入ってから寝たのだが、どうやら、夢の中でもずっとご機嫌で話し続けていたらしい。
「寝言がスゴかったよ…」
と隣で寝ていた妹が、ゲンナリしつつ翌朝教えてくれた。
その朝は、私も酷い下痢で、ゲンナリしていたので、よく覚えている。
娘が二十になったら、外で酒を飲むのが夢だったらしいから、一応、叶えてやれたのだ。満足するまでは、付き合えなかったけど、呑み屋のママさんに「いいわねー」なんて言われて、照れていたっけ。
「着物を買ってやる!」と気合い入りまくりで、展示会へもいった。
父の好みの激渋な絞りと
母の推す真っ赤な古典柄と
やたらハイで数打ちゃ当たる的に、むやみに沢山見せたがる妹
この三つ巴に付き合って、メチャメチャ疲れて、選ぶ気を無くしたんだったなぁ…。
あ、この時は祖母も居たんだっけ?(なぜか一番気が合った)
私が知らない間に、ウコン色というかゴールド系の着物が、卒業式までに(成人の日には間に合わなかった)きっちり仕立て上がってきたのも、ビックリだった。
ビックリといえば、甥っ子の件があってから、母は危機感を覚え、父の文庫本を段ボールに2杯捨てたらしい。(置いといて欲しかった!)
ビデオは4杯。
週刊紙も全部捨てて、ダイレクトメールもやっととまったそうな。
残るは、ファイルに何十冊ものピンナップ。
それから、パソコンの中身か。
遺言みたいな書き置きも3枚出てきたとか。
(1枚にしとけよ!ややこしい。)
その中にエロ遺品のことは無かったから、捨てても良いんだよな?
亡くなって、三ヵ月。
まだまだ、色々とありますな。
…人が死ぬって、大変だ。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
135 / 318