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エリック・ハンバードは窓の外を見て、不安が大きくなっていくことに気付いた。
街中で角をぶつけ合う小さな子供達。
綺麗な花の中にひっそりと混ざっている目のついた花々。
パッと見は自分の住んでいた世界と変わらないというのに、そこはまるで別世界であった。
魔族領の東に位置するハイドリッヒ領。
農産物が豊かな土地であり、美食の街としても有名で、魔族領の中では人の行き来が盛んな街である。しかし、人間領から少し離れたこの街は、人間の姿はまだまばらだ。
カタカタと馬車が坂道を駆けていく。
賑やかな街中を通り過ぎると、目の前に大きな屋敷が見えてきた。
白を基調に彩られたその屋敷は、自分が住んでいた屋敷よりも大きく、外観を見ただけでもとても立派な所であることは窺えた。
「あそこがハイドリッヒ邸…」
思わず声に出してしまうと、不安がより大きくなっていくような気がして、思わず窓枠を掴む力が強くなる。
馬車が止まると、ガチャリと扉が開けられた。
外の空気は思ったよりも気持ちのいいもので、気持ちが少し安らぐような気がした。
「お待ちしておりました、エリック様」
声のする方に顔を向けると、銀髪の中性的な男性が1人立っていた。
黒い瞳が真っ直ぐとこちらを見つめる。
一見、人間と見間違えてしまうようだが、黒い瞳と少し尖った耳が、この人が魔族である証だ。
顔の綺麗な男性を何人か知ってはいるが、目の前の男はその中でも群を抜いて綺麗な顔をしている。
「私、この屋敷で執事長を務めております、アルフ・ホンドルベールと申します。アルフとお呼びください、ではこちらへ」
アルフさんは事務的に挨拶をすると、屋敷の中へと歩き出した。
こちらの挨拶がまだ済んでないのだが……と思ったが、どこかで挨拶するタイミングがきっとあるだろうと思い、後を続いた。
この婚姻は、あまり歓迎されていないものかもしれない。
男性の婚姻相手を探していたのは、ハイドリッヒ公爵だと聞いたのだけれど、もっと違う人を望んでいたのかもしれない。
そう思うと悲しい気持ちも少しは出てくるが、一方で、政略結婚なんて、こんなものなのかもしれないという考えも起こった。
魔族と人間との戦争が終結して50年の月日が経った。
戦争の終結当初は、互いの友好関係を確認する証として、婚姻関係を結ぶということが、貴族に積極的に導入されたと言われている。
貴族の娘達が各々の故郷を離れ、ついこの間まで対峙していた家の者に嫁いでいくことはとても酷な話だったと思うが、ハーフの子供は平和の証であるとされ、とても重宝された。
人間主義、魔族主義といった選民思想は年月と共に薄れていき、政略結婚でなくとも、恋愛感情を抱いて愛の形として婚姻を結ぶ者も増えてきた。
もちろんこの婚姻は、異性だけでなく、同性同士でも広がりを見せ、人間と魔族の差別化は徐々に無くなっている状態だ。
とはいえ、平和維持のために、未だに両者間での政略結婚をする文化は廃れてはいない。
ハンバード公爵家の長男として育った俺は、生まれた時から身体が少し弱い。
そのこともあり、弟のフィンが家督を継ぐことが幼い時から決まっていた。
だからと言って、それで兄弟間や家族間で仲が悪いわけではない。
むしろ、仲の良い方だと思う。
自分で言うのもなんだが、フィンはブラコンだと思う。
幼い頃から、家族が自分のことを守ってくれているのはよく理解していた。
だから父上から、魔王陛下がある公爵家に嫁いでくれる者を探しているという話を聞いた時には、自分でも役に立てる時が来たのではないかと思った。
家族にはとても反対されたが、次男が家督を継ぐ家に長男が残っていたら、フィンの将来のお嫁さんもやりづらい事が出てくる可能性は高い。
フィン自身も迷惑に思う時が来るかもしれない。
いつまでも優しい家族に甘えてはいけない。
そんな気持ちから、今回の政略結婚の話を引き受けたのだった。
「シド様、エリック様をお連れいたしました」
アルフさんは、一定のリズムで廊下を進んでいくと、細工が施された重厚な扉の前で足を止めた。
声を掛けると、中から「入れ」と短い声がかかる。
この屋敷の当主、もとい、今日から自分の夫となる男との対面に、緊張が走った。
仕事の最中なのか、リズム良くペンが紙にすれる音がする。
部屋の主は、部屋に人が入ってきたと言うのに、俺たちの事はまるで見えていないかのように、作業に集中していた。
そして数分の沈黙が流れると、ペンの音が止まり、ちらりとこちらを向き、また作業が再開する。
一瞬だけかちあった瞳に、息が止まるほどの威圧感を感じた。
漆黒の髪と瞳に、恐ろしい程整った顔。特に瞳は、このめま支配されてしまうのではないかと怯んでしまうほど、意志の強さを感じさせるものであった。
魔族は黒に近いほど魔力が高いと聞いたことがある。
目の前の男から感じられる何かが、魔力の強さからくるものかどうかはわからない。
どちらにせよ、とても魅惑的な人物であることは、間違いなかった。
ハイドリッヒ公爵といえば、魔族の中でも三大公爵家と呼ばれ、魔王に次ぐ権力を持つ家柄だ。
一瞬で感じたこの空気。
きっとこの感覚を魔族の皆も知っているのだろう。三大公爵家のひとつとして数えられている理由が、なんとなくわかるような気がした。
目の前の男について観察していると、ふいに沈黙が破られた。
「これは、政略結婚だ。俺がお前を愛する事はない。だが、俺の言うことには全て従うように。それと、俺の邪魔をしなければ好きなように過ごして構わない。家の中で何かわからないことがあれば、そこにいるアルフに聞くように、以上だ」
心地の良い低い声で矢継ぎ早に並べられる言葉。
政略結婚なのはわかっていたが、愛する事はないなんて面と向かって言われると流石に傷つく。
この男はなんの権限があってこんな上から目線なのかと口を開きたくなるところを必死に押さえて我慢した。
「では失礼致しました、シド様」
こちらが返事をする前にアルフさんが勝手に終了させて部屋から出ようとするため、急いで引き止める。
「あ、あのっ!まだご挨拶をしていないのですが…」
「エリック様、今のお話をお聞きになっていましたか?シド様の邪魔にはならぬようにとのことでしたよね?」
えっ…挨拶が邪魔だと言いたいのだろうか。
挨拶一つもまともにできないなんて、逆に失礼だと思うのだが。
困惑していると、アルフさんが早く出ろと言わんばかりに扉を開ける。
仕方ない…初日から揉めたくないし、ここは言われた通りにしよう。
シド様に一礼し、部屋を出るとどっと疲れが出たような気がした。
そんな俺をアルフさんが目を細めて見る。
「シド様はお忙しい方です、お手を煩わせないようにしてください。それとエリック様の事は私の方から書面でお渡ししております。貴方のお名前はもちろん、家族構成、生年月日、交友関係、持病のことまで全て伝えておりますので、問題ないです」
「ですが…今日から一緒に暮らすのにご挨拶をしないわけには」
「エリック様、この屋敷ではシド様が我らの法です。屋敷内では貴方の常識はお捨てください」
これ以上質問するなと言わんばかりに、切り捨てるアルフさん。
もう少し関係ができたらまたきちんと挨拶すればいいか。
こうして、今日から夫となるシド様との対面は一瞬で終わってしまったのだった。
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