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あらしのよる(兎赤)
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「ねぇちょっと赤葦!」
あまり長いとは言えないがこの人生、生まれて初めて
「木兎先輩についに彼女できたって本当!?」
自分の血の気の引く音というものを、聞いた。
《あらしのよる》
「いや、隣のクラスのテニス部の子が言ってたことだけど!赤葦なら本当のこと分かるんじゃないかって」
「ちょ…っと待って、木兎さんが?誰と?」
「先輩と同じクラスの女テニ部長と!ねぇホント!?」
泣きそうな顔のクラスメイトを見て、ああこの子も確か木兎さんのファンだったよな、とぼんやり考える。
いつもより俄然鈍った思考が、何だか言われていることを拒絶しようとしているみたいだ。全く頭が働かない。
「いや、それは…」
そんな筈はない。
そう言おうとして、言葉に詰まる。
依然木兎さんとは朝練も一緒、昼休みも一緒、放課後の部活から居残り練習まで一緒、寝る直前に電話がかかってくることもある。
一日中、一緒と言っても過言ではない。
けれど。
「…ごめん、俺にも分からない」
何だかその言葉に、自信を持つことができなかった。
(木兎さんに彼女…居ても、おかしくはない)
体育倉庫に積まれたボールをきゅっきゅと拭いながら、昼のクラスメイトの言葉を反芻する。
女テニの部長と言えば、あちらもあちらで部活熱心なことで有名だ。校内表彰で登壇してるのも何度か見ている。
彼女は木兎さんと同じクラスだし、お互いに大事なものが他にあれば、多少すれ違った生活をしていても…木兎さんもあれで漢気ある人だし、サバサバしている女性なら丁度釣り合いがとれるのかもしれない。
そこまで考えて、ふと青褪める。
何を下世話なことを。
木兎さんが誰と付き合ったところで、それは…
「俺には関係ない、だろ…?」
それはもう深い、深い溜息が出る。頭がくらくらする程に息を吐き切って、何とか胸に溜まったもやもやしたものまで一緒に吐いてしまえないかと試みる。
「何が関係ないって?」
「ッ!?」
「驚きすぎだろあかーしー」
自分の呼吸に専念していて、背後の気配に感付けなかった。瞬間、咄嗟に息を大きく吸い込みすぎて噎せてしまった。
「っちょ、大丈夫か!?」
「…ッ〜〜、だ…じょぶ、す」
「スポドリ飲むか?スポドリ!」
完全部活装備で片手に持っていたドリンクボトルを差し出してくる。
それを、いつもなら受け取って然るべきなのだけれど。
ただ、その一瞬にも先刻の言葉がフラッシュバックして。
「、あ…本当に大丈夫、です」
何故か、目を逸らしてしまった。
木兎さんが怪訝そうな顔をしているのが、振り返らなくても分かる。
何かを言いかけて口をぱくぱくさせてるのも分かるし、俺の今の反応を見ていつも通りの声をかけて良いのか悩んでるのも分かる。
アナタの一挙一動は、こんなにも分かるのに。
「今日、早いですね」
何とか平常心を繕って、木兎さんを仰ぎ見る。いつもの俺に戻ったことに、あからさまにほっとした顔を見せる。
「今日の掃除当番外庭だったんだけどよ、風強いから免除ー」
「ああ、なるほど」
「折角早く来れたからトス上げてくれよ赤葦!」
二カッと笑って、俺が持っていた磨きかけのボールを奪っていく。
そのまま体温の高い手が、極自然に、俺の手首を取って、連れ出そうとする。
ああ、何てことだ。
「…ウォーミングアップが先ですよ」
そんな些末なことに、どうしてこんなに息が詰まるんだ。
「赤葦!」
呼ばれて、はっとする。
無意識に上げた手にがつん、重い衝撃が加わって、そこで初めてボールが自分目掛けて飛んできていたことに気付いた。
足元にあったペットボトルが倒れて大きな音を立てる。
「大丈夫か!?」
コートに居た木葉さんが駆け寄ってきて、額の辺りをじっと見つめられる。
「頭打ってないか?」
どうやらコートからは顔面目掛けて飛んだように見えたらしい。
「あ、大丈夫です。咄嗟に手が出たんで」
「よかった…しかしお前がそんなにぼーっとしてるなんて珍しいな。風邪か?」
「いや、」
「何!?あかーし風邪だって!?」
「木兎うるさい」
そんなことはない、と言おうとした台詞が木兎さんの大声に掻き消される。奥で練習していた木兎さんに今の瞬間を見られていなかったことだけは幸いだが、木葉さんに「らしくない」と言われてしまえば、ややこしいことになるのは避けられなかった。
「そえば今日最初から調子違ってたもんな…大丈夫か?おれ何か無理させた?」
「いえ、木兎さんのせいじゃ…」
ありません。そう、言い切ってしまえば良かったものを。
バカ正直に、言葉を詰まらせてしまったものだから。
「おい、赤葦に無茶させんなっていつも言ってんだろ」
「何だなんだ、また木兎が赤葦いじめたのか」
「あんま木兎甘やかすなよー」
「っ…そうなのか赤葦?」
ほら、見事に誤解されて木兎さんがしょぼくれる。
「違いますって」
「何にせよ今日はあんまり木兎に構いすぎないで早く上がれ」
「そうだよ、今日は居残り禁止ー!」
周りの先輩達がわいわいと俺らを囲んであっという間に引き離してしまう。テンションの下がりきった木兎さんをコートに戻そうと他の3年生が背中を押しているところに、木葉さんだけが俺のもとに残った。
「本当に大丈夫か?」
「心配しすぎですよ」
「…なら良いけど。何かあるなら俺に話せよ」
木兎には言いづらいだろ。
そう言って笑う木葉さんは、やっぱり優しい。
思わず口を開きかけて…止めた。
「お言葉に甘えて今日は早く帰りますね…ちょっと頭冷やしてきます」
そうして木兎さんから逃げるように、誰よりも早く体育館を出た。
その夜、木兎さんからの着信で鳴り続けるケータイを、俺は手に取ることが出来なかった。
「赤葦、居る?」
次の日の昼休み、案の定木兎さんは2年の教室に乗り込んできた。
チャイムと同時に姿を眩ましてしまおうかとも考えたけど、今日の部活にまで引き摺るわけにもいかない。
胃が切り裂かれるような痛みを感じながら、静かに席を立った。
「なあ、俺のこと嫌いになった?」
足早に歩く木兎さんを追いかけて、少しだけ息が上がった頃。
屋上に着いた途端、ずばり、切り出された言葉。
「…はぁ?」
階段を駆け上ったのにいきなり止まったせいで乱れた息が、発声の邪魔をしてとても拍子抜けした声になる。
「嫌いになったなら正直に言って」
ただ木兎さんは、至極真面目な顔で此方を見据えてくるから、正面から向き合わなければならないような気にさせられる。
「…っどうして俺が突然木兎さんを嫌いになるんですか」
「だってお前、昨日から俺とちゃんと目見て話してない」
言われて、どきりとする。
確かに、昨日は動揺しすぎて木兎さんを避けてしまった。
…でも、それはクラスメイトの言葉にびっくりしたからだ。一晩距離を置いて冷静になってみれば…
「今も、」
何でそんなに遠くにいんの。
そう言われて、無意識に距離をとっていた自分に気付いた。
いつも、隣にいることが当たり前になっていたのに。
何故か、これ以上近付いてはいけないような気がして
「これ、は」
「赤葦」
「っ…」
木兎さんの声が、怒気を含む。
そのまま近付いてくるから、思わず肩がびくりと震えた。
「何で怖がってんの」
「、怖がって、なんか」
「じゃあなんで逃げようとするの」
思わず後退りしていたことを指摘されても、この場から逃げたい気持ちは変わらない。
だって木兎さんが怒っている。俺に対して。俺が木兎さんを避けたから。そりゃあ怒るよな、理不尽に避けられたら。でも。
「逃げんな、赤葦…頼むから」
何で木兎さんが、そんなに泣きそうな顔してるんですか。
「怒らせたなら、ごめんなさい」
「違う、そういう話をしてるんじゃない」
「別に嫌いになったとかそんな大袈裟な事じゃ、」
「じゃあ何で」
じりじりと後退して、ついに屋上の扉に阻まれる。
こんな時に屋上には誰もいない。昨日から吹き続けている強風で誰も外に出て来ない。
目の前に、本当に目と鼻の先に木兎さんが近付いてきていて、もうこれ以上近付けない、そんな距離で
「こっち見て」
「っ…」
無言で、首を横に振る。
顔なんか見れない。見たら何もかも白状しなきゃならない気がする。
昨日聞いた話も、
それを聞いてから消せなくなってしまった心の重苦しさも、
それをどうすることも出来なくて木兎さんと向き合えない自分のことも。
「どうしてお前がそんな泣きそうなの」
それでも木兎さんの熱い両掌が頬に掛けられて、ぐっと力を込められたら、抗うことはできない。
泣きそう?泣きそうなのは木兎さんの方じゃないか。どうして俺が泣かなきゃいけないんだ。
そう、思うのに。
胸の辺りがぎゅっと鷲掴みにされたような、じりじりと焼かれるような、そんな痛みで溢れてくるこの感情に、確かに泣きたくなっているのも事実で。
「木兎さんは…俺と、一緒に居る時間が長すぎる」
「なに、それ」
木兎さんと一緒にバレーができている今が幸せだ。
木兎さんが俺みたいな後輩を可愛がってくれている今が幸せだ。
木兎さんがいつまでも俺を頼っていてくれたなら幸せだ。
でもそれはあくまで俺の幸せであって、
木兎さんの幸せが他にあるなら俺は自分の幸せを諦めてでも貴方には幸せであって欲しい。
だから。
「俺に、構いすぎないでください」
本当は、彼女が居ようと居なかろうと、俺はもっと早くにこうすべきだったんだろう。
ただ貴方の側が暖かくて、居心地良くて、心が躍って、離れ難かったから、自分からその場所を放棄するなんてことができなかった。
ああ、そうだ。
俺は、木兎さんの側に居たいんだ。
「いやだ」
「、え?」
「何でいきなり構うなとか言うの。やっぱり俺のことウザくなった?」
「違う、俺はあんたのことを想って、」
「俺のこと想うと赤葦のこと放さなきゃいけないの?じゃあ赤葦は俺のこと想わなくて良いから俺から離れていかないで」
「…そんな、」
ばかなこと言わないで下さい。
そう言おうとした口が、温かい柔らかさで塞がれる。
木兎さんの顔が、0距離の位置にある。
何が起こったのか、理解できなった。
「好きだ」
「…なん、え、ちょっ、」
「セッターとしてのお前だけじゃなくて、赤葦京治が俺には必要だから」
キス、されたんだって。
頭が理解した瞬間に、顔がかっと熱くなって目の前が真っ赤に染まったようになる。
「そんな、」
「気持ち悪い?俺にどっか行って欲しい?」
それなら俺は、離れられるように努力するから。
低く押し殺された声が間近で鼓膜を震わせてきて、ぞわぞわと首筋が痺れる。
そんなことを言わせたかったわけじゃない。そんな顔をさせたかったわけじゃない。
ただ俺は、木兎さんの幸せを潰したくなかっただけなのに
「俺はっ」
こんな、自分のエゴなんかに呑まれたくなかったのに
「あんたが誰かと付き合って、それをこんな近くで見せつけられて、それに耐えられる自信なんて、ない…!」
こんな苦しさを、言葉にするつもりなんか、なかったのに
「でも俺と一緒に居たって、木兎さんが幸せになれる筈なんかない、から」
だから。
これ以上苦しくなる前に。
俺が、自分の気持ちに気付いてしまう前に。
醜い感情が、貴方に伝わってしまわないうちに。
「なんだよ、それ」
嗚呼、木兎さんが呆れてる。
こんな重い俺に。そりゃそうだ、だって…
「両想いじゃん、俺ら」
「…は?」
思わず仰ぎ見た顔は、俺と同じくらい、ぽかん、としている
「え、なんで」
「だってそれって俺のこと好きで、俺が誰かと付き合ったら嫌だって話だろ?」
「え、いやそれはそういう…」
「俺はお前以外と付き合うつもりなんて全くないけどな」
木兎さんの言う言葉が飲み込めなくて頭がぐるぐるする。
俺の言ったことは本当にこの人に理解して貰えてるんだろうか。
「だから、それじゃ木兎さんの幸せにはならな」
「赤葦」
「っ…」
「俺の幸せは俺が決めるし、お前の幸せは俺が作る。」
…正真正銘のバカなんだろうか、この人は。
いや、一周回って天才、という木葉さんの言葉こそ本当かもしれない。
「木兎さん…彼女できたんじゃないんですか」
「え、何それ」
「俺のクラスの女子が、女テニの部長と木兎さんが付き合い始めたって」
「どっからくんのそんな噂」
余りにもきょとんとした顔で言うものだから、こちらも気が抜ける。
「え、何そんな噂信じたの!?」
「いや、だって有り得なくはないかと」
「俺がどんだけバレーと赤葦を愛してるか伝わってると思ってたのに!」
「…バレーは兎も角、俺を愛してるとか言ひゃ」
言わないで下さい、と紡ごうとした口が、木兎さんに頬を引っ張られて言えなくなる。
「…何すんですか」
「愛してる」
「ッ…」
「あかーしも俺のこと大好きじゃんね?」
そして相変わらずの二カッとした顔で、何の屈託も無く笑う。
それに、凄く安心して…
「えっ何で今泣くの!」
「…泣いてないです」
「うそおおおお俺が泣かした!?俺が泣かしたの!?」
「うるさいです木兎さん」
溢れた涙が、心の底に溜まった靄を、漸く流していった。
「で、なんで今日最初っからあんな絶好調なのあの人」
「俺を見ながら言わないで下さい」
「だって原因明らかにお前だろ」
細い目を更に細めてにやにやと笑う木葉さんに小さく小突かれて、つい三歩後ろに下がる。
「そんな警戒すんなって。エースの調子が良くなってんだから責めるわけねぇだろ」
「木葉さんのその優しさが怖いです」
「もうちょっと信用して赤葦」
調子に乗りすぎてボールを天井の格子に思いっきりホームランしてしまった木兎さんが、皆に怒られている様を見て木葉さんが声を上げて笑う。
「…木葉さんなら知ってるかと思うんですけど」
「んー?」
「木兎さんが女テニの部長と付き合ってるって噂、どこから流れたんですか」
晴れてただの噂だと分かった後も、そんな話になる種はあったんじゃないかと疑ってしまうから。すっきりしてしまいたい一心で、問いかける。
「ああ、あの噂聞いたのか。まあ付き合ってるってのは嘘でも、女テニの部長が木兎のこと好きだっつーのは本当らしいけどな」
「え、」
「油断できねぇぞ赤葦。ちゃんと手綱握っとけよ」
「っ…!?」
にやにや笑う木葉さんには、やはり全て見通されているらしい。
耳の辺りがかっと熱くなるのが分かった。
「やっぱり木葉さん怖いです…」
「お?なんだ木葉ぁ俺の赤葦イジメんじゃねぇ!!」
「誰がお前のものか。皆の赤葦だバカヤロー」
「どっちも違います…」
はー。と息を吐いて、再開されたミニゲームのローテに混ざる。
隣に木兎さんが入って、キュッとシューズの音を響かせた。
やっぱり、この人の隣に居られることが幸せだ。
この幸せを噛み締められる今が、これまで以上に大切だと思える。
「さぁ、良いトス上げろよ赤葦ィ!」
「…はい。」
今日も、貴方の隣で。
fin.
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