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道化師の告白(岩及)
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『好き』という魔法の言葉。
『好き』という呪いの言葉。
大好きで大嫌いな君と、救いようのない僕の嘘。
嘘つきは、キライ…?
「いーわーぢゃーんお腹すいたよー!!」
「うるせぇ黙って干からびろ」
「酷い!」
3限の終わり、残り1時間で昼休憩というところで、空腹に耐えきれず岩ちゃんに泣きついた。それをいつも通り一蹴されながら、それでもめげずに岩ちゃんの机に肘を掛ける。
「おい、邪魔だ」
「岩ちゃんの非常食ちょーだいっ」
「やらねーよ」
「ケチ!」
「くれてやっても返さねぇだろお前」
当の彼は今朝部室から持ち出してきた月刊バリボーから顔を上げることもなく、一回もこっちを見てくれない。
つまらなくて机に突っ伏すと、背後からクラスメイトに呼ばれた。
「んー?なに?」
「呼び出し。後輩の可愛い女子」
「まじで」
「放課後部活の前に部室棟裏だとよ。お時間取らせませんからって」
「わぁ、及川さんモッテモテー」
呆れ顔で告げてきたクラスメイトには、へらっと笑ってみせる。
自嘲の声は押し殺してひらひらと手を振ると、ゆっくりと岩ちゃんが視線を上げるのを横目に感じた。
女の子を傷つけるなら応えるな。
そう、いつか言われたことを思い出す。
「…わかってるよ」
付き合ったとしても、気まぐれな子の暇潰しにだけ。本気の子には最初から思わせ振りなことはしない。
…どうせ、応えてあげることはできないんだから。
それが、中学の時に岩ちゃんとした約束。自分への戒め。
でも、それも今や無意味なことだ。
だって俺の心は他人に動かされるようになってしまったんだ。
それも、ただ一人素直に受け入れてくれない人に対して。
「部活には遅れないように努力する」
「及川、」
「大丈夫だってば」
もう一度不感症になったこの心に響くのは、君の声だけだから。
「岩ちゃーん聞いてよ、購買行ったらさぁ…」
いざ昼休み。自分の弁当もあっという間に平らげて購買に駆け込んだ後。
目当ての牛乳パンが売り切れていたばかりか、入荷自体暫く休みになるというおばちゃんの言葉にショックを受けて、岩ちゃんに愚痴ろうと姿を探したのだけれど。
「…何処行ったんだろ」
さすがに3年生だから、という理由でいつもなら昼休みくらいは教室で勉強しているのに、クラス中見渡しても姿が見えない。
教室を出て廊下を見渡すと、2つ隣の教室の前につんつんした黒髪が見えた。
「あ、いた岩ちゃ…」
その、表情が。
何となく、照れたような。
普段見せない、笑い方で。
その目の前に居たのが。
俺の知らない、いや一回くらいは見たことあるかもしれない、別のクラスの女子で。
発しようとした声が、そのまま喉を塞いでしまったかのように、一瞬で息ができなくなった。
「及川?何突っ立ってんだ?」
「っ…」
それをクラスメイトに指摘されたのが救いか、止まった息がどっと冷汗と共に吐き出された。
「ぁ…と、ちょっと提出物の期限過ぎてるの思い出しちゃって絶望してた!」
「はぁ?ばかだなお前」
「てへぺろー」
そのまま、逃げるように教室に駆け込んだ。
今の子は誰。岩ちゃんにとっての何。なんでそんな仲良さげに話してたの。なんでそんな顔で笑うの。
黒い感情がぐるぐるして目が回りそう。
強張った自分の顔を誰にも見られないように机に突っ伏した。
そしてふと気付く。
どうして俺は、たったこれだけのことで苦しくなってんの。
好きという感情を覚えたことがこんなに苦しいなんて思わなかった。
こんなに醜いザマになるなんて思わなかった。
これならいっそ願わない方が良かった。
ただの無いものねだり。
手に入れれば邪魔になる。
だから俺は、手に入れることを諦める。
それが、一番、だと信じて。
「こんっのバカ及川!!」
「いッ…たぁ!」
「あれだけ言ったのに!何でお前は…」
「あぁ、バレちゃってた?」
部室棟全体に響き渡ったのではないかと思うくらいの大声と容赦のない拳骨に、頭部がぐわんぐわん揺れる。
さっきからずっと何かを言いたげに物凄く不機嫌な顔を俺に向けていたのは分かっていたのだけれど、いつでも何処でも怒る彼が今日だけ部員の前では躊躇っているようだったから、俺も敢えて気付かないフリをしていた。
岩ちゃんが言いたいのは、多分。
この間の彼女の告白に、オッケーしたこと。
と、いうか。
一人だけではなくて、最早誰からの告白も断っていないこと、について。
「もう良いじゃん。俺めっちゃ頑張ったよ?でもそろそろ疲れちゃってさ」
「ッなに…!?」
「遊んでくれれば俺も楽しいし彼女達も楽しんでくれるし、それがきっと俺には合ってるんだって」
「てめぇ!よくもそんなっ」
「部活に影響出してるわけじゃないしさ。岩ちゃんには関係ないじゃん?」
用意していたセリフが口からさらさらと出て止まらない。それどころか、言うつもりもなかったことまで口を突いて出る。
でも決して嘘はついていない。
疲れたんだ、もう。
マトモな人間のフリをするのも、叶わない想いを抑圧し続けるのも。
いっそ幻滅されてしまってもそれまでだとすら思う。
「関係ない、だと…?」
低い、いつもよりも低い、押し殺した声に抑え切れない怒りが滲んで鼓膜を刺してくる。
「本気で、俺が関係ないと、思ってるのか?」
一つ、一つ、言葉を吐き出す彼の声が、
ずしり、ずしり、胸の底に落ちては抉っていく。
「だっ、て」
こんな一方的な感情の振り幅に君はついてくるのを最初から拒絶していた、それを違うとは言わせない。
そしてその行方のない想いの塊を捨てることさえ許してくれないと言うのなら、俺はもう何処に身を投げて良いか分からない。
助けてくれる気がないのなら、せめて見捨てて欲しい。
「俺は、」
それだけのことを、言葉にして伝えられたらどんなに楽になれるだろう。
プライドとかそんな安いものならとっくに捨てた。
残るのはただ恐怖心一つ。
君に、この恋心が知れてしまうこと。
「及川?」
胸につっかえた言葉を吐き出せないまま、顔も見ることができなくて
「…ごめんっ」
耐え切れず、背を向けて逃げ出そうとした。
「ッ…逃がすかよ!」
部室のドアに手を掛けるより早く、肩がガッと掴まれる。
「痛…!」
そのまま、壁に叩きつけられた。
「お前は…どれだけの人間を傷付けるつもりなんだ」
俺より身長の低い彼なのに、どこから湧くんだろうと思うくらいの強い力で縫い止められる。
「お前の"好き"も"嫌い"も!中身のない言葉にどれだけの人間を踊らせれば気が済むんだよ!」
ああ、岩ちゃんが怒ってる。
確かに俺のした事は君の正義に反するかもしれない。
しかし何だってそんなに苦しそうなんだ。
何で、君がそんなに泣きそうなんだ。
「じゃあもう、俺は"好き"も"嫌い"も言わなければ良いの?」
その言葉の、全てを捨ててしまえば良いの?
「…元々、その言葉を知らないだろう、
お前は」
潜めた呟くような声が、何かを押し殺そうとするかのように地面に落ちる。
俺のした事で、そんなにも心を痛めるのなら。
ああ、やっぱり彼には明かさなければならないんだと、諦めがつく。
「俺の"好き"は、もう嘘じゃないよ」
「…?」
「俺は、"好き"を覚えちゃったんだ」
へらへらと笑って告げる。
…笑って。
いられただろうか。
声が歪んでしまって、口元が引き攣ってしまって、上手く表情を保つことができない。
「"好き"って、言えるようになっちゃったんだよ」
「な…」
「ごめんね、ずっと」
ずっと、嘘をついたままで。
唖然と見上げてくる視線に笑みが自嘲へと変わる。肩に触れたままの手の平が震えていて、動揺が伝わってくる。
「そん、な…じゃあ、」
「俺は、いくつも嘘をついてきたけど」
無抵抗の人間に銃口を突き付ける気分でゆっくりと引き金に指を掛ける。
「岩ちゃんに言った"好き"は、嘘なんかじゃなかったよ」
ただし、その弾丸が殺すのは、俺自身だ。
「お前が、俺を、すき…?」
「信じられない?」
でも例え今すぐに信じられなくとも、俺の傍に長いこと居続けている君なら、誤魔化しても誤魔化しきれなかった綻びに気付かない筈がない。冗談だと否定することもできないだろう。
「じゃあ、どうしてお前はあんな、」
「彼女達を傷付けたかったわけじゃないよ。ただどうしたら諦めがつくのか分からなかった」
「っ…何でそこで俺に言わなかった」
食いつくように俺を見上げる彼の目に、そっと首を横に振る。
「一番最初に覚えた"好き"を、真っ先に拒絶したのは」
君だよ。
声に出さなくとも、その純真な目が溢れそうなくらい大きく開かれて俺を見つめる。
一度、何かを言いかけた唇が再び閉じられて、少し青褪めたように微かに震えた。
その沈黙に耐えられなかったのは、俺の方。
「…ごめん」
「俺の勝手な感情に巻き込んで」
「岩ちゃんは何も悪くない」
「そんな顔しないでよ」
「俺のことなんか考えないで」
「もう放っておいて」
「迷惑かけるつもりはないから」
「こんなバカなことはもうしないから」
「だから」
「うるせぇ」
「っ…」
力なく俺の襟を握るだけだった手が、再び肩にかかったと、気付いた次の瞬間。
「っわ…!?」
頭を、ぐしゃぐしゃと掻き回された。
「な、ん」
「本っ当に面倒くせぇ男だなてめぇは」
「はぁ!?」
心底呆れた声に腹が立つと同時に、ああ本当に呆れられてしまったのだと心臓が痛くなる。
幻滅されても良いと、諦めのように思っていたけれど。いざ幻滅されると、痛すぎて心臓が潰れそう。
「ごめ、岩ちゃ…ごめんっ」
気がついたら、必死に抑えていた枷が全部消えてしまっていた。
「何でそこで泣くんだ」
「だっ…て、岩ちゃんに嫌われたら俺、」
「誰が嫌いっつったよ」
「岩ちゃん面倒、くさいの、嫌いじゃんっ」
「てめぇが面倒くさいのなんか昔っからじゃねぇか。今更嫌いになるかよ」
「でも、でも…!」
「まだ何か不満か」
一度溢れた涙が止まらない。
はあーと深い溜息が聞こえたと思ったら、頬の辺りをぐしぐしとジャージの袖で拭われた。
「面倒くせぇのは俺もか」
「…?」
困ったように頭をがしがしと掻きながら、一瞬逸らされた目が再び俺を見据える。
「本当は、安心してたんだよ」
「え?」
「お前が幾ら好きだの嫌いだの言ったところで、全部嘘だから誰もお前の特別にはならねぇんだって」
言い難そうに、口の中をもごもごさせながら。こんな岩ちゃんを見たことがなくて、呆気にとられる。
「一人だけお前の秘密知ったような気になってたけど。俺にも同じように好きだとか嫌いだとか言うから、ああ俺もこいつん中じゃ他のヤツらと変わんねぇんだろうなって」
思ったんだよ。
最後の方は声がどんどん小さくなっていって、殆ど聞き取れなかったけど多分そう言ったんだと思う。
「お前が、誰にでも好きだって、嘘でも言いふらすのが許せなかった」
「ははっ…なにそれ、岩ちゃんめっちゃ俺のこと好きみたいじゃん」
目の前の彼が語る言葉を未だ信じられず、自嘲のように漏れてくる笑いで声が裏返る。
それにゆっくりと顔を上げた岩ちゃんの表情は、うって変わって真剣そのものだった。
ああ、何で。
何でこんなに、胸が甘く締め付けられるんだろう。
「みたいじゃなくて、そうだって言ってんだよ。…そこはまだ鈍いままか?」
吹っ切れたように意地悪くにやりと笑った岩ちゃんは…何かもう、それだけで、ただ格好良かった。
「で、この間の及川先輩の六股事件って何だったんだよ」
「あー、あれは岩泉先輩と喧嘩したとか何とかで拗ねた及川先輩が…」
「はぁーい君たち、俺がなにー?」
「っ…!?」
ひそひそと囁かれる噂話は尾ひれが付き物で、あるコトないコト実しやかに語られるからたまったもんじゃない。
「いや、何でもないっス!」
「えー?でも俺のこと呼んだよね?」
「そんな滅相もないですすいませんっ」
「遠慮しなッ…痛ったーぁ!」
せめて部内の噂くらい速やかに消しておこうとしただけなのに、後頭部に思いっきりボールが飛んできた。全く舌噛んだらどうしてくれる。
「岩ちゃんっそろそろ俺の脳細胞死にすぎてバカになっちゃう!」
「大丈夫だ、既に救いようのないバカだから」
…あの後も、岩ちゃんの態度は特に変わることはなかった。
まあ晴れて両想いだからと言って突然態度変えられたらさすがの俺でも引いちゃうし。
そんな彼だからこそ、とても安心した。
「おらお前ら、くっちゃべってねぇでネット張れ。及川てめぇはレギュラーミーティングださっさとしろ」
「あーん岩ちゃん人使い荒ーい」
「なよなよすんな気持ち悪い」
それでも。
岩ちゃんが、俺のある一言に顔を顰めなくなったのが、二人の間の秘密の成長。
「そんな岩ちゃんも好きだけどね!」
「…勝手に言ってろバーカ」
fin.
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