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クロが、人を嫌うことは、滅多にない。
大体嫌いになる範囲自体狭いし、苦手だと思ったら人当たり良くやんわりと遠避けるくらいのコミュニケーション能力はある。自分から波風を立てるのは相手を挑発したい時くらいで、それも大体上手くやってる。
それが、ある時、突然。
いつもは獲物を狙って、キラリと光る瞳が。
何も映してないんじゃないかってくらい、真っ黒な影を落として
ある人を、無表情に見つめていた。
怖く、なった。
その、一瞬だけだったけれど。
長い付き合いだからこそびっくりした。
誰がそんな顔をさせるのか分からなかった。
増して、学校の中で。クロに、そんな顔をさせてしまうような人がいることが、信じられなかった。
恐る恐る振り返って、その視線の先を探すと、
(…リエーフ…?)
その瞬間、色んな物の合点がいった。
リエーフは、夜久さんが好き。
あからさますぎて、それはみんな知ってる。(夜久さん自身は意外と鈍いところがあるから気付いてるのか分からなかったけど、この間から調子がおかしいからたぶん告白はされたんだと思う)
そして、夜久さんはクロと"そーゆー関係"。
最初は多少焦る気持ちもあった。
クロがおれを捨てて離れてしまったらどうしたら良いんだろうって。
ただそれは、数ヶ月経つうちに杞憂だってことが分かった。
クロは相変わらずおれに過保護でべったりで、甘やかし上手。
おれに成長しろと言う割には、おれが傷つきそうなことを先回りして色々対処してしまうダメな人。
そしておれはそれを全部受け入れて、クロをもっともっとダメにしてしまう、甘やかされ上手になってしまった。
二人だけの世界は閉鎖的で、そこで全てが完結してしまう関係は居心地良い。
でもそれは、三人目の存在を輪の中に引き込んだ時点で綻びが見える。
おれの器は、クロの全てを受け留めるためには、余りに小さすぎる。
だから、例え見た目は小さくて簡単に折れそうでも、プレッシャーをしなやかに受け流すことのできる夜久さんの心地良さが、クロには必要なんだってこともよく分かってしまった。
そして逆に、夜久さんにもクロは必要なのかもしれない。部内でもしっかり者のように見えるけど、たまに凄く遠くを見ていて、実は何を考えてるか分からなくなることがある。そこにずかずかと入り込んでいけるクロみたいな人間が居るからこそ、此処に繋ぎとめていられるような気配がある。だから。
本当に、おれはクロにとって必要な存在なんだろうか。
そんなぐるぐるとしたネガティブな思考が、頭を駆け巡っていく。
バレーを続けているのはクロのためだから、別に高校はバレーが強くても弱くても個人的には関係なかった。音駒に入ったのは、クロに呼ばれたから。
将来は漠然と技術者にでもなろうかと考えてたし、中学の時点で別れてたら、工業系の高校とか学科に行ってたかもしれない。
今からでも、クロと決別するなら卒業後は専門とかに行って無難に就職したいと思ってる。
ただ、本当にそれができるかって考えると。
仮にクロに守られてる状態を捨てることが出来たとして、心に空く穴は…大きすぎて、きっと何もかもをその穴に落としてしまう。
一人は、居心地良い。
でもそれはきっと、クロがいない"独り"の状態を知らないからだって、おれも分かってる。
「お前は本当に黒尾に大事にされてるよな」
嫌味でも何でもなく、ただ思いついたようにそう言ったのは、夜久さん。
たぶんおれの次くらいにクロと一緒に居る夜久さんから出た言葉、だからこそ、それを言われた瞬間何も言い返すことができなかった。
クロが大事に扱うものなら、だいたい知ってる。
バレーのボールとかユニフォームとか、そういう物も。
監督とかチームメイトとか、そういう関係も。
そして、おれとか夜久さんとか、クロが何も言わなくても傍におく人間のことも。
程度とか表現の仕方はそれぞれに違うけど、でも全部クロの"大事なモノ"。
その中で、確かにおれに向かうベクトルとは違うけど、それでも夜久さんはトクベツなひと。
ねぇ、夜久さん。
アナタもクロに大事にされてるんだよ。
なんて、言えなかったけど。
言ったら、おれはおれ自身を裏切ることになりそうだから、言えなくて良かったのかもしれない。
「クロ、まだ…?」
部室の壁に掛けられた時計を見上げて、思わず口からぽつりと呟きが漏れた。
リエーフと夜久さんの練習に付き合って残るって言ってたけど、完全下校の時間もそう遅くないし、ゲームでもして待ってようかと思ってた。
けど、皆が帰って静まりかえった部室で待っていたら。
いつも通りで何の変哲もないはずの部室で、妙にそわそわする自分に気付いた。
そうだ、今一番組み合わせちゃいけないメンツだ、
クロも夜久さんも、考えてることを隠すのが上手くて、全く匂わせもせずに隠し通してしまうような人達だから、ついうっかりしてたけど
そう気付いたら、居ても立ってもいられなくなった。
リエーフさえ地雷踏んでなきゃ何事もなく帰れるはず、なのだけれど。
残念ながら、リエーフは自分から率先して地雷を踏みに行ってしまう男。
体育館の電気は、まだついてる。
ただ、練習しているなら聞こえるはずのボールの音が、しない。
とくり。
自分の心臓の音が、変に大きく聞こえて
手の平に嫌な汗が滲む。
少しだけ開いたままになっている扉。
そこから、恐る恐る中を覗き込んだ。
「ッやめろ黒尾!!」
瞬間、耳を劈いた、叫び声
慌てて扉を開け放って中に踏み込むと、今にもリエーフに殴りかかりそうなクロと、それを一回りも小さな身体で必死に引き留める夜久さんの姿が目に飛び込んできた。
「ちょっ…何やってんのクロ!!」
びっくりして、おれもクロの背中に飛びつく。
そのおれの声に反応したのか、ぴたり、クロの動きが止まった。
「…研磨」
顔を青褪めさせた夜久さんが、おれの顔を見て少しだけほっとしたような息を吐いた。
それでも、クロの腕は上がったまま下ろされない。
そっと二の腕に触れても、筋肉がそこで硬直してしまったように、ぎっと軋んだきり。
「クロ!」
「っ…」
リエーフとの間に入るように回り込むと、ようやくクロと目が合う。
見開かれていた目におれが映り込んだ。
そう思った次の瞬間、ふっと力が抜けて両腕がだらりと下がった。
「リエーフ怪我してない?」
「…あ…は、い」
何が起こったか分からない、くらいの唖然とした表情でへたりこんでいたリエーフに、背中を向けたまま呼び掛ける。
声が少し裏返っているような気がするけど、夜久さんがちゃんと止めてくれたお陰かリエーフの方は大丈夫そうだ。
「そう…じゃあごめん、悪いんだけどこのまま先帰ってくれない?」
「、え」
「三人とも頭冷やして。このまま何か話そうったって無駄だから」
「研磨!」
「夜久さんもだよ。大会控えてるんだから今はおれの言うこと聞いて」
夜久さんは当事者だから二人に向けて言いたいことはいっぱいあるんだろうけど、兎に角今クロとリエーフを同じ空間に居させることが一番危ないはずだ。
次またクロが手をあげたら、今度は止められるか分からない。
できるだけ抑えた声で言い聞かせたおれの言葉に、暫く固まっていたリエーフが静々と腰をあげて、何も言わず一礼して体育館を出て行く。
それを見届けて、ふぅと一息ついたあと。
ぱちん。
小気味良いくらいの音を立てて、クロの頬を引っぱたいた。
「何してんだよ!」
焦った夜久さんに、腕を掴まれる。けれど。
「自分が何したか分かってるの?」
「…」
俯いたまま顔を上げないクロに向かって、真っ直ぐな視線を注ぐ。
「夜久さんが止めなかったら。どうなってたか分かってる?」
感情に任せて拳をあげて。
その先にあるものを、ちゃんと天秤にかけたの?
「クロにとって今一番大切なものは、何?」
クロが大切にしているものなら、知ってる。
ただ、それがどれか一つしか守れない状況になったら。
クロが、色んな理屈抜きで、ただ一番大切なものを直感で選ぶのだとしたら。
何を選んで、何を捨てるのか。
おれにはもう、わからない。
「っおい、研磨!」
後ろから夜久さんの声が聞こえるけど、振り返らずに体育館を出る。
クロは、顔を上げなかった。
リエーフの鞄は既に無くなってて、部室には誰もいなかった。
夜久さんは追ってこないから、たぶんクロとそのまま体育館に残ることを選んだんだろう。
二人はこれからどんな話をして、どんな結論を出すんだろう。
それが、おれにとって、どんな意味を持つのか。
不安とわけのわからない悲しさで、胸の中が息苦しいくらいぎゅっと締め付けられる。
鼻がツンとして目の辺りが熱くなってきたけど、堪えて自分の荷物を引っ掴んだ。
何だか、ここに居たくなかった。
大きな音を立てて、部室の戸を閉める。
そのまま、走り出した。
何かから逃げたかった。
何から逃げたいのかは分からないけど。
何も見たくなかった。
何も聞きたくなかった。
ただ、心臓が痛かった。
走って、走って、息があがるまで走って、
そうしたら、この苦しさを紛れさせることができるだろうか、
そうしたら、このぐるぐる目が回る感覚を誤魔化せるだろうか、
そんな浅はかな思いだけを抱えてひたすら走った。
ねぇ、おれはこれからどうすれば良いの。
どうすれば、何も失わずに済むの。
長く、長く走ってきて、駅に辿り着いた。
ざわめく日常的な風景の中で、馬鹿らしい程息のあがった自分が滑稽に映る。
誰も自分のことを知らない世界で、急に一人ぼっちになってしまったような錯覚。
さっき、クロがリエーフに殴りかかる前。
少しだけ耳に届いた、三人の声で…クロが守ろうとしたものを、何となく察してしまった。
誰が一番傷付いたか、なんて、痛みの強さは個人にしか分からないし、測れる物差しもないことくらい知っている。
だけど明らかに、今一番多くの人間から、キツい感情を向けられているのは、夜久さん。
想像でしかないけど、夜久さんの心の中は、おれの比じゃなく荒らされているのかもしれない。
でも、ねぇ、分かってる?
その人間が、守ろうとしてるのも
夜久さん、アナタなんだよ…?
to be continue...
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