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好きと言うなら愛して。(黄二)
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例えば、“ぬるい水”と“ぬるいお湯”を区別するのが、あくまで個人の感覚であるように
“好き”と“愛してる”の境界なんて、曖昧なものなんだろう、と思っていた。
しかし超が付くほど直球で単細胞なバカは、本当に裏も表もなく
「好きです!」
面と向かってこう言い放ってくる。
それでお前の好きっつうのはどれくらいの好きなんだ、と思うこと自体無粋なのかもしれないが、それをただハイそーですか、で済ませることができないくらいには、俺にとってこのバカはどうでも良い存在ではない。
直感的に口にしている言葉は何も考えてなくて、恐らくピンときた言葉をただ連ねているだけで、一挙一動にも特に深い意味はなくて、抱き締めたかったら本当に抱き締めてくるような男のことだから、
こんな疑問を間接的にほのめかしたところで、頭の上に「???」がいっぱい並ぶのは目に見えている。
だからと言って直接「お前俺のことどれくらい好きなの」なんて訊けるわけがないし、例えそれだけのプライドを俺が押し殺したとしても、きっとあいつの答えが俺には理解できない宇宙語になるのも想像できるから、その問答自体に意味がなさそうだ。
「二口先輩それで足りますか!?追加買ってきましょうか!」
「早弁したから足りてる。他人の心配してねぇで、てめぇの腹満たすこと考えろや」
「大丈夫っス俺もこれ追加分なんで!」
「…ああそうかよ」
何が楽しいのか物凄くニコニコした顔で俺を見ながら惣菜パンを頬張っている。
そもそも何で昼休みにまでこいつと一緒に飯食ってんのか、って考えると背中が寒くなるから、この事実からはなるべく目を逸らし続けていたい。
「先輩午後の授業何スか」
「現国」
「それは眠いッスね!俺体育なんでめっちゃテンション上がります」
「それは良かったな…つかお前、それならさっさと戻って着替えろよ」
「あ、しまった今日の器具準備の当番俺でしたっ」
「…早よ行け」
むぐむぐとパンを口に押し込んで、残った牛乳で流し込む。ガタイの良い身体をわたわたと慌てふためかせながら、何気なく俺の分のゴミまでまとめて捨てに行こうとする。
…ほんと、落ち着きはないながら、出来た後輩でうんざりする。
「じゃあ先輩、また放課後に!」
「おーう。気合い入れすぎて怪我すんなよ」
「ッ…ス!ありがとうございます!」
何が嬉しかったのか、ぱああっと顔を輝かせてばたばたと自分の教室に帰っていった。
大型犬彼氏ってのはああいうのを言うんだろう。世話は大変だろうが世の女子共が好きそうだ。
…なんて、何を考えてるんだっつう話で。自分の緩んできた思考回路に、はーっと思いっきり溜め息を吐いた。
「幸せ逃げるぞ」
「…どの口がほざくんですか、茂庭さん。ついでに背後からくるのやめてください」
「どの口って…お前ほんとに先輩敬う気あるか?」
いつの間に後ろに来ていたのかは知らないが、今更律儀に驚いてあげるような間柄でもない。
振り返ると、いつも通り人の良さそうな顔に少しだけ苦笑いを浮かべて茂庭先輩が立っていた。
「…な、なんだよ」
その顔を何を言うでもなくじっと見つめると、警戒したようにじりじりと後退りながら身構えられる。
「…いや、今日も苦労性な顔してんなーと思って」
「もっぱら元凶のお前に言われたくないわ」
「他の人たちは一緒じゃないんですか」
「さらっと無視かよ…俺放課後の課外取ったから、その時用の非常食を調達しにな」
返ってきた答えに思わず、へぇ、という声が漏れる。
確かに、茂庭さんは短大に行って勉強するつもりなんだ、というのは薄っすら聞いていた。けれど。
課外、というまあ聞いたら分かるが実際自分に置き換えて考えたくはない単語と、しっかり受験生らしくなってしまった先輩の姿と。
こういう時、確かにこの人は一つ年上で、学生生活における一学年上という境界には、目に見えない大きな隔たりがあるのだと思い知る。
一才しか違わないのに、世界はこうも違ってしまうらしい。
少し前までは、そんなこと気にも留めなかったし、当然の摂理として何も考えず卒業する先輩を見送って、自分も来年には後腐れなくさらっと卒業していただろうと思う。
それが今、無視できない程に胸につっかえて、いつもの軽口をぐっと押し返してしまうのは。
「おい、二口?どうした?」
「っ…何でもねぇっス。じゃあ今日は練習ちょっかい出しに来ないんすね」
「…お前ほんとに俺らのこと何だと思ってんの」
黄金川は、俺との間にある一学年差を、どう感じているんだろうか。
あいつと同じ学校名を背負ってバレーができるのは、長く見積もってもあと一年と数ヵ月だ。
三年間しかない高校生活の中で、一学年違うというのは、そういうこと。
例えば、黄金川にとっての俺の存在が、“その程度”でしかなかったとしたら。
「…お前、何か悩んでんの」
「俺が何か悩んでたらおかしいっすか」
「いや、そうじゃなくて…はぐらかすなよ」
「茂庭さんに心配されるようなことじゃないっすよ」
ぬるいお湯は、例えぬるい水との境界を曖昧にしていても
いずれ早々に冷めて、ただの水に変わってしまう。
いつもより余計に頭に入ってこない黒板から目を逸らして、退屈な午後をやり過ごそうと窓の外を見遣る。
浮かない気分を助長するような重い曇天の下で、どっかのクラスが走り高跳びをしているのが見える。
(ああ、そういえばあいつ午後一体育だっつってたっけ)
そう頭を過った瞬間、遠くで鳴り響いたホイッスルの音、直後に遠目にも分かる程長い足が勢いよく地面を蹴って、ぐありと跳躍する光景が目に飛び込んできた。
(あ、)
それが、さっきまで目の前に居た…というより、今も頭の中を占めていた人物だと判別するのに、そう時間は掛からなかった。
(…余裕で飛び越えやがって。ムカつく)
自分の背丈程もあるだろう高さのバーを、ものともせずに飛び越えてクラスメイトに何やらがやがやと囲われているのまで見えてしまう。
そりゃあ、バレー部は背が高いから。
特に県内でも鉄壁と謳われる伊達工の壁なんだから。
背が高い方が有利な競技じゃあ、羨まれることは自分も慣れたものだけど。
(じゃあ何で、俺はこんなにもやもやしてる?)
自問自答に、またもや溜め息が漏れる。
そのまま校庭をじっと見るでもなしに眺めていると
(…何やってんだあのバカ)
こちらの視線に気付いたのか、またあの笑顔でぶんぶんと手を振ってくる。
思わず、ばっと目を逸らしてしまった。
「…退屈そうだな二口。眠気覚ましに教科書読むか?」
「げ。」
その逸らした先でばっちり教師と目が合ってしまったのだから、八つ当たりと分かっていても黄金川を恨まずにはいられなかった。
「お前、授業中にああいう恥ずかしい真似すんじゃねぇよ」
「え、何がですか?」
腕を通した練習着のシャツから、次いで頭をにょっきり出しながら、きょとんした顔でナチュラルにとぼける。
無邪気なワンコの憎らしさ、とでも言うんだろうか。
「授業に集中しろっつってんだ!手なんか振ってんじゃねぇ」
「えええええだって先輩目ぇ合ったじゃないスか!」
「っな…」
言われて、何も言い返せなくなる。
確かに黄金川がそこに居て、目が離せなくなったのは自分の方で。
「うるせぇ俺はたまたまっ!たまたま外見てただけで」
ぐあり。大きな身体が重力を感じさせない程ダイナミックに跳躍するその姿に、見惚れていたと言っても過言ではない。
でも。それを言うのは、何というか、悔しいから。
「先輩が見てる!って思ってその後張り切って跳んだんスけど見てくれてないし!」
「ッ…」
格好つけたがり。そのクセ直球勝負しかできない。猪突猛進。良く言えば純粋。悪く言えば単細胞。デカい図体のクセに意外と小心。簡単に人を信じてしまうお人好し。
「当たり前だ、だから授業中だっつってっんだろ」
こいつのことは俺らがしっかりして面倒見なきゃ。こいつだけは道を間違わないように前を歩いてやらなきゃ。
そう、思うのに。
いつだって、知らない間にこいつのペースに呑まれている。いつの間にか俺の先に立って、全く悪気のない顔でびっくりするようなことをやってみせる。
「…まったく。お前は俺をどうしたいんだ」
ぼそり。呟いた声が、自分で思っているよりずっと弱々しく掠れて、その後出そうになった溜息をくっと押し留めた。
「先輩?」
「何でもない。忘れろ」
着替えた後の制服をハンガーに掛けてロッカーに押し込む。
先に着替え終わっていた黄金川が、バタン、とロッカーを閉めた音に、ついびくりと肩が震えた。
「先輩…何考えてんすか」
「なに、って」
「そんなに困らせるようなことでしたか?」
珍しく真剣な顔で、ひたと俺を見つめる。その視線の気まずさに、ジャージのジッパーを勢いよく引き上げた。
「さっきから俺のこと見てない」
「そ、れは」
「いつも怒る時も褒めてくれる時も俺の目ぇ見て喋るのに」
「っ…」
「そんなに、呆れて、ますか?」
しょんぼりした声がぼそぼそと小さくなって、ガタイの良い背中がどんどんと丸くなる。
「、何勝手に落ち込んでんだよ」
「だって」
「何でもねぇって」
一回りも小さくなった姿がさすがに邪険にできなくて、ついその顔を覗き込むように距離を詰める。
「ほんとに?」
俯いていた視線がゆっくりと上がって、虹彩に光がゆらり、揺らめいたのを見て
あ、やばい、と思った瞬間には遅かった。
「ッ…コラ!ちょっと待っ」
「先輩。好き。好き、なんです」
がばっと、体重を載せられるように勢いよく抱き着かれて、バランスを崩した身体は逆に黄金川に縋り付くような形のまま動きを封じ込められた。
「先輩、大体いつもはぐらかすの上手いから。俺の告白真面目に受け取ってもらえてんのか分かんないんスもん」
ぼそぼそ口の中喋るような声も、耳のすぐ近くで鼓膜に直接響くと心拍が上がる。
「はぐらかす、って」
「嘘はあんまり吐かないけど、本当のことも言わない」
「そんなこと、」
ない、とは言えない。
だって本心を晒すことの怖さを知っている。
それを否定された時のことは、尚更。
「俺は、先輩のことを知りたくて、知って欲しくて、こんなに必死なのに」
いつもより低い声が、胸を抉る。
(…それが、どうしてこんなに、痛いのか)
格好つけたがり。そのクセ直球勝負しかできない。猪突猛進。良く言えば純粋。悪く言えば単細胞。デカい図体のクセに意外と小心。簡単に人を信じてしまうお人好し。
そういう男だということを知っているからこそ、言っていることが嘘でも見栄でもなくて、ただ本心なんだってことは分かるから。
ああ、そうか、こんなにも
こいつは全身で、気持ちを表現しているのに
受け取れていなかったのは、俺の方。
受け取るのを怖がって、その等身大の告白とさえ向き合えていなかったのは、
「…悪かったな」
「ッ!?」
「お前の純粋さには降参だ」
「な、なんで先輩が謝っ…!?」
「うるせぇ黙れ」
慌てふためいて俺の拘束を解いた腕を、逆に掴んで引き寄せる。
ほんの少し上目に見上げたところに、困惑しきりな顔が見えて、ふっと笑みが漏れた。
「素直な俺なんて、柄じゃねぇんだよ」
首に腕を回して、ぱくぱくとアホみたいに開閉する口を塞ぐ。
案の定、目の前の身体はそのままびきっと固まった。
「っかれーッス!…あ?何してんだ黄金」
「あぁ、それ放心してるだけだから放っといて良いぞ」
「…何やらかしたんだコイツ…」
「先体育館行ってっからなー」
「で、お前は黄金と仲直りできたのか?」
「ッ…はぁ!?何スかそれ」
「あ、まあハナから喧嘩ではねぇか」
黄金川が四限実習で遅れるというので、たまたま一人で食堂に行ったら、出会った茂庭さんと鎌先さんに捕まったのだが。
思い出したように突如切り出された言葉に、飲んでいたコーヒー牛乳を吹き出しそうになる。
「こないだお前が悩んでたちょっと前に、黄金から相談されてたから」
「…は?何を?」
「いくら告ってもお前が本気にしてくれないって」
「ぶはっ」
一度目を堪えたのに、今度こそ噎せた。
「あいつはっ一体何をっ」
「黄金がお前を好きなことなんて全員知ってるから。今更」
「そういうこっちゃねぇんスよ!!」
頭を抱えて撃沈した俺の上に、鎌先さんのムカつく笑い声が降り注ぐ。
茂庭さんの宥める声も今は逆効果でしかない。全力で穴を掘って暫くそこで暮らしたい。
「真正面から行ってもお前には引かれるだけだぞって言っても、あいつ真正面以外の行き方知らなくてな」
「こっちもアドバイスすんのに疲れたぜ」
ケラケラ笑いながら話す二人が相当憎い。
机に突っ伏しながら、上目に二人を睨んだ。
「その脳筋でヒトにアドバイスなんかできたんですか鎌先さん」
「ハッ!どうせお前の攻略法なんざ、その脳筋とやらで考えられるってこった!」
「っあー!くっそ腹立つ!」
予想外のブーメランが返ってきて脇腹を抉られる。確かにそれでうっかりダメ押しされたのは自分の方だ。
「…?聞きたくはないんスけど、黄金に何て言ったんすか」
完全におちょくりモードの鎌先さんから目を逸らして、くすくすと笑っている茂庭さんにガンを飛ばす。
うっかりという感じで目が合った茂庭さんは、一瞬びくりと肩を跳ね上げた後、後ろめたいように斜め上に視線を飛ばしながら
「…まあ、泣き落とせばお前弱いから、って」
「…黄金シバく!!!」
「早速夫婦喧嘩か」
「夫婦じゃねぇっスあんたらも実習室で頭の上から工具降ってくれば良いのに」
「ちょっと待ってその無駄にリアルな呪い止めて!?」
ぎゃあぎゃあと喚く先輩の背後、廊下の奥から作務衣のままの黄金川が顔を輝かせながら入ってくるのが見える。
笑顔を作ったまま、とりあえず一発殴ろう。
そう思いながら、力の入らない拳をきゅっと握った。
fin.
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