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別れ道(岩及)
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ぶっちゃけた話
お前が居れば、俺は自分のベストを出せると思っているが
俺が居ても、お前を最強にすることはできない。
「岩泉、完全にスランプに捕まってんなぁ」
「最近ずっとまともに打ててねぇもんや…どツボじゃね」
「まぁ、及川がまだ入れねぇからしょうもないか」
「おい、」
「ッ…!」
「聞こえてる。俺のことはいいからテメェの練習しろ」
「お、おう…」
…スランプと言われれば確かにスランプだ。
ここ数日、スカッと気持ち良く打てた記憶がない。
その感覚が鈍ると、どうも何回やってもズレが大きくなるような気がして、打つ瞬間体が固くなる。
及川は、数日前に腰に違和感があると言って調整に回っていた。
弘法筆を選ばず、とはどっかの誰かの言葉らしいが、自分如きの技術ではまだまだこの程度か、と思わずにいられない。
今、ココ、という位置にくるあの感覚に、随分と飢えている。
「っ…クソ」
及川の努力値というか、負けず嫌いな性格のお陰もあって、ヤツは県内最強セッターと謳われている。
そんなのが相方として何年も一緒に練習してきたもんだから、まあ何というか俺の基本的な欲求値も高い方に設定されてるんだろう。
いつだって、及川がいる。
言いたかないが、多分それに、絶対的な信頼というものを抱いている。
それが、俺の弱さ。
バレーを続けるなら、克服しなければならない、弱さ。
お互いにチームの中でレギュラーを取れないだとか、不調だとかで同じコートに立てない時もあったと言えばあったが、
それでも今までは自分の意志で及川の隣に立とうと思って、実際立つことができていた。
だが高校を卒業した後、俺の希望だけでその位置に立ち続けられるかと言えば、それは寧ろ難しい。
及川には既に大学の方から声が掛かっている。選択肢があるのはあいつの方だ。
それに比べて、自分自身の惨めさたるや。
烏野を見て、自分のかつての後輩を見て、認めざるを得なかった。
長年かけて築いた信頼と呼吸も、圧倒的な技術の前には及ばない。
あいつがもっと、もっと広い世界に踏み込んだなら、より高い打点で、力で、スピードで、勝負できるカードの多い人間を欲するに決まっている。
調子が悪くなってからというもの、及川が隣から居なくなった時の自分を想像してみることが増えた。(ああ、確か一番最初にそれを考えた時は、余りの絶望感に本当に目の前が真っ暗になった。比喩じゃなく。)
調子が上がらない時にろくな事考えるもんじゃねぇな、とは思いながら、しかしそれがいずれ訪れる未来だと思って今備えなければ、この先の俺の人生にバレー自体がなくなることも分かっている。
俺は卒業するまでに、及川のいないコートに慣れなければならない。
10年近くもかけて刷り込まれた感覚を、他の人間で上書きしていかなければ。
「…見てらんねぇな」
「、なに」
「ちょっと来い」
球速の落ちたヘボいスパイクを見て、花巻がわざとらしく溜息を吐いた。
「おい、何処行くんだ練習中だろが」
「中身の詰まってねぇ練習に意味なんかねぇべや」
「っ…」
そのまま体育館の外に出て、扉から少し離れた所で立ち止まった。
「体育館裏とはまた鉄板だな」
呼び出しの常套場所だが、本当にこんなに人の通らないものだったかと苦笑が漏れる。
「お前、及川には練習中に考え事すんなとかあれこれ言う割に、自分も大概だと思わねぇの」
「…あぁ、すまん、危ねぇよな」
及川は分かり易いくらい態度に出るから言いたくもなるのだが。
花巻に指摘されるくらい、自分の余裕がなくなっていたことに背筋が冷える。
「…いや、やっぱお前相手にこれは言わんでも良かったわ」
「んだそれ」
「危ねぇのは自分で分かってんだろ。俺が言いたいのはそれじゃなくて」
「あ?」
とても素直な謝罪のつもりだったのに、花巻は何が気になったのか、急に歯切れが悪くなって頭をガシガシと掻いた。
「スランプっつうのは俺も分かんだけどよ、お前のは何つうか、拗らせてるっつうか」
俺に話す気があるのかないのか、一人言のようにぶつぶつと唱えているが、ふっと顔を上げて
「まあ、原因は及川だろ」
「、原因、つか」
あまりにド直球な言い方をされて、それはそれで戸惑う。
「自分一人の問題ならテメェで解決しろって言うけどよ、対ヒトの問題なら、そいつを蚊帳の外にしたまま解決できる筈ねぇよな?」
口ごもる俺に鋭い視線を向けたまま、それでも声は何処か優しい。
「一回ちゃんと話し合え。んでさっさと復活しろ。お前の覇気がないと全員の士気が下がる」
心配させている。ことの、不甲斐なさ。
「…悪い」
「っだから!落ちるな!上がれ!」
「良いヤツだな、お前」
「改まって言うな!恥ずい!」
いつになくぎゃんぎゃん喚く花巻に、少し心が軽くなる。
「…ありがとよ」
自分一人の問題だと抱え込むこと自体、よっぽどの思い上がりだ。
「で、話があるって言った割りに本題どこよ?」
とは言え本人を目の前にした時に、さくっと切り出せるかといえばそれは別の問題なわけで。
「さっきから延々練習の話しかしてないんデスケドー。これ俺の家に来てまで話さなきゃいけないことデスカー?」
口調がわざとらしく退屈だと主張しているのがまた憎い(途中までノリノリで話に乗ってきたのに、突然はたと気付いて急に態度を変えてきたから本当にムカつくし殴りたい。今それどころじゃないが)。
「まぁ…何だ、お前いつから戻れんの」
「異常ないって言われてるしもう違和感も特にないし、ご希望とあれば明日にでも」
「…そうか」
「え、もうちょっと嬉しそうな顔してよ。何で眉間に皺寄ってんのさ」
いや、確かに嬉しい、と言えば嬉しいのだが。
複雑を極めた心境に、つい口篭る。
及川が戻ってきて、自分の調子が戻ったとして。
それで果たして、自分の殻はどうやって破れば良いのか。
「…改まって言うくらいなんだから。何かあるんでしょ」
一向に喋り始めない俺をどう思ったのか、トーンを落として静かに問いかける声が、部屋の空気を少し下げる。
その見透かそうとするような目を見ていられなくて、意味もなく視線は畳の上を滑った。
「岩ちゃんさぁ、」
「…何」
「全身で嘘つけないです!って空気出すよね。バカ正直」
さり、と畳擦れの音がして、気配が近付く。
ふっと目線を上げると、思ったよりも至近距離に及川の顔があって、反射的に後退った。
「なんで逃げるの」
「なんでじゃねぇ、近い」
「俺らいっつも近いじゃん。今更」
「そういうこっちゃねぇ」
「俺から逃げたい?」
声に、意味深な淀みを持たせて、口角は笑みを象りながら、ただ目は笑っていない。
ひゅっと、吸った息が不自然に上擦った。
「逃げるとか、そういうんじゃ」
ない。だけど。
濁した言葉に、及川の瞳が、ゆらり、揺れる。
「お前がいなくなった時の生き方を、最近考えてる」
バレーは、あくまできっかけだった。
及川が隣からいなくなったら。
その仮定は、日常全てに当て嵌まる事。
そしてその想像は、考えれば考える程心を空虚にした。
「岩ちゃんは…」
どれだけ、今の生活にこいつの存在が刷り込まれているのか思い知らされた。
今まで見てきたどんな景色も、全てが変わってしまうような気がした。
それを受け入れたとして…
それを告白する覚悟を決められないまま、ふと、俺の名前を呼んだきり固まった及川の顔を見遣る。
「っ…な、」
「い、あちゃ、」
「何でお前が泣いてるんだよ!?」
その握り締めた拳にぼたぼたと水溜りをつくって、いつの間にか顔をぐしゃぐしゃにしていた幼馴染の姿に、驚愕と焦りが混ざる。
「俺まだ何も言ってねぇべや!」
「いあぢゃんは、おれから、離れてくの?」
「はぁ!?それをお前が言うか…っだぁもう汚ぇ!鼻水拭け!」
「うえええぇぇぇ」
幼い頃に戻ったような外面も何もない泣き方に、わたふたと取り乱してしまう。
「岩ちゃ、は、おれがいなくても、生きてけるんだ…?」
しゃくりあげながら吐き出された言葉に、カッと頭に血がのぼる。
「んだそれ!俺を置いてくのはお前の方…っ」
そこで、ぱたりと、言葉が詰まる。
これはさすがに言うつもりもなかったことだ。
ずっと心に閉じて、明かす筈もなかったこと。
「…なに、言ってんの、」
未だ溢れる涙を縁にたんまり溜めたまま、及川の瞳がきょとりと瞬かれる。
思わず、目を逸らした。
「お前が本気でバレーを続けるつもりなら、もう分かってることだろ」
とぼけてみせなくていい。
自明だ、そんなことは。
だから、こんな惨めなこと、言わせるな。
「、ぁ…」
何かを紡ぎかけた及川の唇が、開いたままになる。
同じ土俵に立てるのは、あともう少し。
そんなに遠くない未来に、別れの路は見えている。
その現実が、お前に見えていないわけがない。
いや、お前には寧ろ、俺より鮮明に見えている筈だ。
だから。
だからお前が、そんな風にこの世の終わりみたいな顔するんじゃねぇよ。
「お前が練習に出なくなって、良い機会だと思って」
「そん、な」
「矢巾にも渡にも頼んでひたすら上げてもらって」
「、やだ、」
「ここ数日はどうやったらお前の感覚に染まった自分と決別できるかずっと考えてたんだが」
「だめ、岩ちゃんは俺の、」
「そうやって腹を括るつもりが、ポンコツになった上に花巻にドヤされるわで、何一つ良い事無ぇんだコレが」
「俺のっ……え?」
「やっぱり、お前が良い」
現実から目を逸らして希望を言うなら、何も迷うことはない。
ずっと、隣にはお前が居て欲しい。
「そ、れなら、」
「でも、俺の意思じゃどうしようもない事の方が多いんだって、分かってる」
「そんなの!…っ、そんなこと、言ったって」
否定しようとすればする程反論の言葉は奪われていくだろう、足掻く程首の絞まる感覚が及川を襲っているのが、まざまざと分かる。
そのまま目の前で俯いた頭を、くしゃり、撫でた。
「…なぁ、」
「卒業したら、一緒に住むか」
「…は?」
ぱっと顔を上げた、今何を言われたのか分からないと言わんばかりの表情。
「っ…はは、間抜けな顔」
それが何だかおかしくて、自分の顔もくしゃり、歪むのが分かる。
赤くなった及川の頬を、ゆるゆると撫でると、止まっていたはずの涙がまた一筋、跡を追った。
「何かな…お前と一緒にバレーできなくなったとしても、お前がいない生活とか考えたくもなかったんだわ」
その涙でキラキラと光る頬を包み込むと、それ以上泣くのを堪えるかのように、及川の唇がぎゅっと結ばれて、眉間に皺が寄る。
昔よく見た、泣き虫の顔。
いつから人前でそんなに泣かなくなったんだっけか。
そう過ぎった思いすら懐かしくて、愛おしくて、額をこつり、擦り合わせた。
「……ずるい。ほんとずるい。」
「お前に言われたかねぇよ」
「岩ちゃんのクセに」
「…それは悪口か?」
咎めるように額をぐりぐりと強く押し付けると、軽やかに笑う声が耳を撫でた。
「離れられるわけないじゃんか」
ぽつり。
呟かれた言葉に、もう何もかも諦めて受け入れたような気分になる。
お前もその気がしてるんなら、二人でできる事をするしかないじゃないか。
そうやって足掻いて、足掻いた中に何処か救いの道があるなら、それを信じるしかないんだろう。
「ねぇ、約束だかんね。今更ナシとか言わないでよ?」
「俺が言い出したのに、んな事言うかよ」
「えへへー。そしたら、俺が岩ちゃん養ったげる」
「全力で要らん。寧ろ俺に養われないように頑張るこったな」
陳腐な約束だ。守れるかも分からない。
いつか嫌になるかもしれない。
お互いが荷物になるかもしれない。
ただ、今は、それが一番だと思っている。
この約束が、希望になる。
それなら、バカみたいに我武者羅にそれを信じて、『いつか』を先延ばしにするんだ。
それで俺が生きていけるなら。
それで、お前が生きていけるなら。
「でも、やっぱり岩ちゃんにトスを上げ続けるのは俺だよ」
にやり、細められた瞳に俺が映り込む。
努力せずに諦めるなんて許さない。
そう言っているのだと、声を出さずとも全身でプレッシャーを掛けてくる。
ひたり。いつの間にか首に掛けられていた手にぐっと首裏を引き寄せられて、触れるだけのキスをかまされる。
「っ…お、まえ」
「岩ちゃんを一番高く跳ばせられんのは、俺だもん」
自身満々な言葉とは裏腹に、また泣き出しそうな声が、駄々っ子のように耳を擽って
「……っぷ」
「あ、酷っ!?今の笑うとこじゃないから!!」
笑った拍子にズレた額がそのまま、及川の肩に埋まる。
涙の跡で少し湿気ったところのあるシャツが冷たくて、つきり、胸が痛んだ。
無条件に思うが侭に、ただお互いの感情論だけで一緒に居られるのは、あともうほんの少しの時間。
この先に色んな不条理だとか、壁が幾つも存在する事は、今既に見え始めている。
ただ、俺達に必要なのは二人の意思だ。
「心配すんな」
二人で生きていく。
その覚悟さえ決めてしまえば、きっと俺達なら大丈夫だと信じられる。
その自信に足るだけの時間を、過ごしてきた。
そして、これからも。
「俺の相棒は、お前しかいねぇよ」
fin.
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