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橙(兎赤)
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俺は、言わずもがな天才ではない。
昔から頭の回転は悪くない方だと思っていたけれど、器用だとは言い難く、
実際人並みに何かを成し遂げようと思ったら人並みな努力では足りないくらいだし
そこそこ努力を重ねても『その他大勢』から抜きん出ないというのは、まぁ率直に言って自己嫌悪の対象だった。
それでも負けず嫌い、に近いような性格が災いして一回二回で諦めるようなことはできなかったし、自分に嫌気が差そうとも、それをやり遂げないことの方がよっぽど癪に障ったから何とかここまで自棄にならずに生きてきた。
幸いバレーボールという、少しでも好きが得意に転じた競技にのめり込んで、何とか自尊心とやらは維持できたし、
上には上がいる中で足掻くのもそう悪くはない、とその状況すら楽しめるくらいには地力が付いた。と、自分では分析していた。
それで何となく高校に入ってからもバレーボールを続けてみようと、体験入学の時に立ち寄った体育館で出会った…まるで鳥のような人のこと。
一瞬で目を引く、その跳躍。
バカみたいに明るい、底抜けの笑顔。
ああ、神様ってああいう人も作るんだな、という第一印象。
それだけが決め手だったわけではないけれど、何故かその残像がチラついて離れなかったために、そのまま梟谷を受験してしまった。
そして無事に合格して男子バレー部に入部した頃には、その人は更に頭一つ抜けた存在になっていた。
エースという存在を絶対的なものとでも思っていたんだろう、当時に自覚はなかったが今思い返せば、その素質を十二分に含ませた木兎さんへの、無条件な信頼と憧れみたいなものが確かにあった。
ただそれは、木兎さんという人間の、その実を知らなかった頃の話。
入部早々数日その言動を見ていて、正直、バカなんじゃないかと思うことの方が多くなった。
自制というものが崩壊している。配分を考えない。オーバーワーク。
ふらつく程練習して、ぶっ倒れてそのまま寝こけて誰かに運び出されては、次の日にはまた豪快に笑っているような人。
それでも、負ける、ということには人一倍悔しがって、本当に怖いくらい、自分が弱い所為だと自身に対して腹を立てる。
そしてまた、限度を考えない練習を繰り返す。
そんな姿を見ていて気付いたこと。
木兎さんも、"天才"ではない。
普段のやたらなテンションと挑発的な姿勢で、どこか勘違いしそうになるけれど。
木兎さんの普段の練習量を知っている人間なら、確かにその自信にも納得するんだろう。
否、言い換えれば、木兎さんの普段の練習を見たことのある人間"だけ"が知っていることだ。
それから、少なくともこの二年間、誰よりも近くでこの人を見てきた。
俺はもうこの人を窘めても侮らないし、常に尊敬の念は持って接している。
「赤葦すげぇな!」
そんな人に、ただほろりと口から出たように、目をキラキラさせながら言われた時の衝撃を、何と言い表したら良いのか、未だに言葉が見つからずにいる。
すごい、って何なんだ、
あんたの言う凄いっていうのは。
そう、擡げた疑問と、
凄い、ことをやってのける人間に言われた
凄い、という言葉の重さ。
その言葉は、高揚と、呪縛のような息苦しさを、俺の胸に叩き込んできた。
「…もうちょっと語彙力つけた方が良いですよ、高校三年生」
「ごいりょく?って何?強い?」
「…あんたスポーツ推薦にも学科試験ある所はあるって知ってます?」
スパイクの着地体勢から今にも抱き着かんばかりの勢いで飛び込んできたデカい図体を、それとなく牽制しながら、動揺を誤魔化す為の揚げ足を取る。
「俺の何が凄いって言うんですか」
「え、何、って」
「文脈が分かりにくいんですよ、木兎さんの話」
今のはキレイに決めた木兎さんが凄いんであって、自分の名前が出る余地がどこにあったのか分かりかねる。
元々かいていた汗が手の平にまでじんわりと滲んで、気持ち悪さにシャツをきゅっと握りしめた。
「分かりにくいかぁ?」
「ほら、次」
ネットの向こうから飛んでくる野次に、未だ言葉を続けたそうな木兎さんの視線を前に直す。
意識が逸れればこの話は蒸し返されない。
そう知っていて、木兎さんの視界に入らない位置でそっと溜め息を吐いた。
なのに。
「赤葦は、すごい」
その後も、事ある毎に感心しきりといった口調で呟くものだから、最初は感じていた照れのようなものも、次第に気が引けてきて居心地が悪くなってきた。
「またそれですか」
「また、って失礼だな。っていうか褒められてる奴の態度じゃねぇ」
「褒められてるんですか、俺」
「ほら、そういうこと言う」
練習が終わった頃からアイスが食べたい!と騒ぎだした木兎さんの為に寄ったコンビニで、冷凍庫の中を覗き込みながら唇を尖らせる。
「例えばさ、今日」
「さっきですか」
「うん、俺が踏み切りの歩幅気にしたの、気付いただろ」
「ああ、だって打ちにくそうにしてましたから」
「それ」
だから何だ、というのがあからさまに顔に出たのか、木兎さんの頬が、ぶうと膨らむ。
「気付くの。凄えなって」
「そりゃあ、」
見てますから。
そう言うより他なくて、ぽつりと呟く。
「そうなんだよ、全員のこと、って言ったら大袈裟でも、赤葦はちゃんと見てる」
「でもそれは俺がセッターだからで、」
「素質ってヤツなんじゃねぇの?」
セッターだからって誰にでも出来るもんじゃねぇだろ。
そう言いながら取り上げたソーダの青いパッケージを見て、隣にあった同じシリーズのオレンジを取る。
ぱたり、冷凍庫の蓋を閉める音を合図に、木兎さんの手から小銭とアイスを受け取って、レジに列んだ。
「それは、凄い、ことなんですかね」
問い掛け、の形は取ったが、自問に近かったかもしれない。
寧ろ自分の中で単語がゲシュタルト崩壊している。「凄い」って何だったっけ。
「なんつうかな、言葉の意味そのまんまじゃなくて」
「はい、お釣り」
「おーサンキュ。…尊敬?とかそういうの、」
店員から受け取ったアイスの袋をそのまま横渡ししながら、発言の意味が汲めなくて一瞬固まる。
「尊敬……木兎さんが?俺に?」
「そんなびっくりするか?」
「…しますよ、そりゃあ」
「真面目、努力家、たまにズボラだけど基本マメ」
「…」
「口は悪いけど面倒見てくれるし」
「面倒って、」
「そういうの全部引っくるめて、尊敬してるから。何かテンション上がるとスゲー!って言っちゃうんだよな、」
コンビニを出て、そのまま前を歩く肩が、けらけらと笑って揺れる。
湿度を多分に含んだ空気が全身を包み込んで、ぼんやり、目の前がぼやける。
「だから、褒め言葉。」
振り返り様、にやっと口元を吊り上げる。
ああ、さっき疑ったの、根に持ってたのか。
それを言ったことに満足したのか、木兎さんはぱりぱりと袋を開けると、鼻歌交じりにアイスを頬張った。
「…そんけい。」
風が、ざわり、吹き抜けて
咀嚼するように呟いた言葉が、舞い上がって消えていった。
俺は、言わずもがな天才ではない。
だからこそ、努力を惜しまず、そこに成果が伴っている人のことは尊敬している。
今、その一番は、木兎さんで
その木兎さんが、俺のことを尊敬していると言った。
「っ、え、ちょ、何で泣いてんの赤葦!?」
ほろり。
視界をぼやけさせていたものが、瞬きの間に頬に流れ落ちた。
「…ちょっと、目にゴミが」
「んあ?大丈夫か」
心配そうな顔で、俺に向かって手を伸ばす、木兎さんの動きがスローモーションのように残像を伴う。
「ほら、目ぇ擦んな」
「っ…大丈夫です、もう取れました」
「ほんとかよ」
すり、と微かな音と共に、木兎さんの熱い指が頬に触れる。
その一点に全神経が集中して、火傷するんじゃないかと思うくらい熱く感じる、指。
飛翔した、そのてっぺんで
空を切り裂いた、あの指が、
今、自分に触れていて、それも、優しく
憧れた、キラキラとした瞳が、俺一人を映して
高らかに咆哮した、その声が
俺のことを、「尊敬してる」と言った
「だいじょうぶ、です」
ああ、これは夢じゃないだろうか。
本当に現実なんだろうか。
この擦った目を開けたら覚めてしまったりしないだろうか。
報われたと、思って良いのだろうか。
認められたと、自負して良いのだろうか。
困惑頻りで上手く回らない頭をこのまま木兎さんの手に預けたくなる、衝動を抑えて黙り込むと、ふっと木兎さんの表情が和らいで口元が笑みの形を作った。
「赤葦は、もちょっと素直になってくれると嬉しいんだけどなあ」
「…何ですか、それ」
「いーっつも俺が何か褒めると、眉間ぎゅってすんの。そんなに俺の評価はアテにならんかね」
「っ…違、」
違う、それは違う。
ただ褒められる事に慣れていなくて、寧ろ褒められるとカケラも思っていなくて、そんな時に木兎さんに笑い掛けられるともう如何して良いか分からなくて。
素直に、喜べなくて。
「…知ってる。赤葦が何か知らんけどやたら自己評価低いことくらい」
「、え」
「だから俺は、赤葦の良いと思った所は積極的に褒めていくスタイル」
ニカッと笑って、頬に触れていた手がそのまま頭をくしゃっと撫でて離れていった。
「俺のモーレツ楽しいバレー人生の中でも、相棒ナンバーワンは間違いなく赤葦だからな。そこんとこ忘れないよーにっ!」
「ッ…」
ああ、なんて決め台詞だろう。
カッコいいにも程がある。
しかし続く言葉は、やっべえアイスとけるー!で、もう意識は違うところに切り替わっているのが残念というか、それが正に木兎さんだ。
「赤葦も早く食わねぇと、とけるよ?アイス」
「そうですね」
「食わねぇなら俺にちょーだいっ」
「食べないとは言ってませんよ」
「ちぇー。あ、でもそっちも気になってたから一口ちょーだいっ!一口!」
「あんたの一口デカいから嫌です」
「ケチー!」
最初は、同じ部活に居ることが心強かった。
純粋な憧れだった。
一緒に練習できるのが楽しくて、朝も昼も夜も練習に付き合って、いつの間にかそれ以外でも一緒に居ることが増えた。
正セッターとして技術を認めて貰えたのも、頼ってくれるようになったのも嬉しかった。
木兎さんは俺に、ここに居たい、という感情を与えてくれる。
そんな人に、認めて貰えるということは。
ここに居て良いんだと、思わせてくれることは。
なんて、幸せなことなんだろう。
「…なに赤葦、急にニヤけて」
「にや…けてません。目が疲れてるんじゃないですか木兎さん」
木兎さんの方こそニヤけてますよ、と誤魔化しながらアイスの袋を開ける。
ひんやり、鼻をくすぐった爽やかなオレンジの香りに、ふっと息を吐いた。
素直になれ、と言われるのは少し癪だけれど。
それでも、もっと自分で自分を褒めることが出来たなら…貴方に、伝えたいことがある。
「…ほら、特別ですよ」
差し出したアイスに、一瞬きょとんとして、それからにんまり笑った、木兎さんが
「あかーし」
「はい?」
「…何でもなーい!いただきっ」
俺にとって、もっと特別な人になる、
これはほんの少し前の話。
fin.
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