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Cage-002
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燮がクロエに出会ったのは、この部屋で、だった。
騎士団を抜け、放浪の旅を始めた燮が花街を通りかかった、それだけがきっかけだったように思える。
……たすけて。
そんな言葉が脳裏に響くかのように聞こえてきて、燮は思わず立ち止まった。ただそれだけのはずだったが、気付けば全く知らない場所の、扉の前に立っていた。
赤と黒で塗りつぶされた空の色。恐る恐る扉を開いてみると、キャンバスを前に、燮に背を向けるなにかが、いた。
耳の長い、噂に聞く魔術の素養のある種族の末裔なのだろうか。こちらを振り向くことなく、キャンバスに向かう其の手は絵の具で汚れていた。赤く塗りつぶされたそこに、さらに一心不乱に黒の絵の具を塗り重ねて行く。その行為の言い知れない異常さにぞくりとしたものが燮の背筋を伝った。
くぐもった笑い声はしかし澄んだ声音で、繊細さを感じさせる。その声音は、燮に届いた助けを求める声とほとんど同じものだった。
「……大丈夫、か?」
そう問うても、ただただ笑うばかりでこちらを振り向きもしない。何か嫌な予感がして燮は無理矢理に顔を合わせる。
赤と金の色の違う、焦点が合わず瞳孔の開き切った瞳が、燮をみつめた。異常だが、背筋が震えるかのような美しさ。まるで精巧な人形のようだった。
そっと、燮はそれを抱きすくめた。嗚咽をこぼし始めたそれは、燮の背中に手を回し抱きついた。
「……あなた、は」
「俺か?……俺は、燮だ。お前は?」
「ショウ、さん……。わたし…わたしは、クロエ。クロエです、ショウさん……」
ぎゅう、とクロエは燮の服を握る手に力を込める。
「助けを求めてたのは、お前だな?」
嗚咽を漏らしながらクロエはこくこくと頷いた。背中を撫でながら、気が済むまで泣かせてやる。燮は顔を上げたクロエを見つめた。
端正な顔立ちに、赤と金の色の違う瞳。その瞳は、ただ燮だけをうっとりと見つめる。
「帰るところは?」
「あるわけ、ないじゃないですか……ふふっ」
「……なら、俺と一緒に来るか?」
燮にとってそれはごく当たり前の提案だった。一緒に外の世界に出て、それから居場所を探せばいい。
クロエの前に手を差し出す。燮の顔をちらりと見て、クロエはその手をとった。
……気付けば、そこは花街からそう遠くない、郊外の草むらにいた。驚いた燮がクロエを見やれば、クロエはにこりと笑ってみせる。
そして二人は花街をあとにし、クロエは燮とともに過ごすことを選び、燮の隣を居場所にした。
歯車は、ここから回り出していたのだ。
「ふふっ、うふふっ、ショウさぁん……」
あまえるクロエを、燮は優しく撫でていた。
クロエに貞操観念というものはあまり関係のないものだった。いつも色々な男のもとを渡り歩いて、男に抱かれた痕跡を残して、帰ってくる。
痛々しい縄の跡をもうっとりと撫でるその性癖は燮には理解し難いものだった。
燮に男を抱くことへの抵抗感を無くさせたのはクロエだった。誘われるがままに、クロエを貪る。慣れ切った身体は、おそらくそれで金を稼いできたのだろうと思うようなものだった。花街の女も、クロエには敵わないだろう。
だが、皮肉にもここに来てから、クロエは一切、燮に交接を求めることはなかった。ただただ側にいて、頭を撫でたり抱き締めたり、要求されるのはそんな些細なことばかりだ。……いや、クロエは、こういったことに餓えていたのかもしれない。
「うふふ……しあわせ、だなぁ……」
そうつぶやくクロエに胸が潰れそうな気持ちになる。従順で大人しい愛玩動物のようなその姿は、燮の知っているクロエの姿とはかけ離れている。
窓の外をガラス越しに見つめる。赤と黒の混じったものがどろどろぐるぐると回っていて、燮が無理にでもクロエを抱えて出ようとしても出られない場所にあることを痛感させられた。
傭兵としての実力も、クロエには及ばないことを燮は知っている。クロエはそんな己を未だに救世主だと思っているのだろうか。
擦り寄って無邪気な笑みを浮かべるクロエは可愛らしく、しかしその姿は自分のせいだと思うとつらくてたまらなくなる。
そもそも、己はクロエをどう、思っているのか。嘘が上手すぎるクロエの本心は、どうなのか。
二人で過ごすこの空間には、燮が考え事をするだけの長くゆっくりした時間が流れていた。
どうせ出られないのだから、その時間をクロエのために使ってやろう。優しく頭を撫でて、クロエを抱き寄せ燮は瞼を閉じた。
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