アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
そして私は、悟ってしまった
-
(アンツ)
「何か、あるんですか?」
「え?」
「街がなんだか――ザワザワしています」
「ああ『鎮守祭(ちんじゅさい)』ですよ」
「鎮守? いったい何をまつるんですか?」
「ええと、確か、『大厄災』で亡くなられた方々の御霊を鎮め、お慰めするため、だったと思いますけど」
「へえ」
と、ユヴュは目をパチクリさせる。
「あなたがたは、妙なところで、妙に律義ですね」
「え、そ、そうですか?」
「いろんなことを忘れたくせに、そういうことはやるんだから」
「ああ――そう言われれば、そうかもしれませんね」
「あなたはお祭りに参加するんですか?」
「え――」
ズキリと、胸がうずいた。
「いえ――私は、その――そういう晴れやかな場には、その――」
「参加しないんですか?」
「ええ、その――まあ、その――」
「ふうん」
ユヴュは小首を傾げた。
「だったら私も、参加できないのかな?」
「え、ど、どうしてですか? ユヴュさんだったら、なんの問題もなく参加できるに決まってますよ」
「そうなんですか?」
「ええ、もちろん」
「だったらどうして、あなたは参加できないんですか?」
「――」
ズキリ。
うずく。
「――私は『ツキのヒルコ』ですから」
「――」
ユヴュは眉をひそめた。
「――そんな理由で? そんな理由で、参加できないんですか?」
「はい。――そんな理由で、です」
「――」
ユヴュは、じっと私を見つめた。
「――どうしてです?」
「え?」
「どうしてあなたがたは、異形を拒むんです?」
「え――」
そんなことはあたりまえすぎて、とっさに言葉に出来なかった。
「それは――だって――出来損ない――」
「もう一度『出来損ない』といったら、本気でひっぱたきますよ」
ユヴュは、キッと私をにらみつけた。
「あの人達――『ツキノヒト』達は、出来損ないなんかじゃない。新たなる道です。確かに今は歩きにくい道かもしれません。それでも、今までとは違う、今までは行けなかったところへ行ける、新しい道なんです。私達の、希望なんです」
「――」
希望。
涙が、出そうになった。
希望。ああ――希望。
異形であっても許される、どころか。
それは希望と、言ってもらえる。
わかっている。今のは、私に向けた言葉じゃない。
それでもいい。それでも――泣きそうだ、私は。
「新しい――道?」
「あなただって、そう書いていたじゃないですか。『進化の最先端、すなわち新たなる種の萌芽は、既存の種からの視点においては、ほぼ確実といっていいほど、異形、鬼子、もしくは周辺に追いやられた弱者』でしかない、と、自分で書いておいてもう忘れたんですか?」
「――」
ああ。
胸が、はじけそうだ。
「よく――覚えていらっしゃいますね。その――私なんかが、書いたことを」
「記憶力はいいんです、私達」
と、ユヴュはあっさり言う。
「それにしても、なんとまあ、出来損ない、ですか。そんなふうにしか見られないんですか? やれやれ、あなたがたときたら、まったく」
「でも――その――たとえば、ですね」
内心ひどく怯えながら、私はそろりそろりと言葉を紡ぐ。
「ええと、その――たとえばその、私のこの――この、へんてこな足が、ですね、何かの役に、たったりしますか?」
「あのですね、あなたがたとはずいぶんと違うところもありますが、それでも私は、人間です」
ユヴュは大きく、肩をすくめる。
「ある種の奇形が今後役に立つか経たないのか、を正確に判断しろ、なんてことは、完全に私の能力の限界をこえています。私に予測できないだけで、もしかしたらあなたのその足が、この上なく役に立つ状況、というのが、どこかの時代のどこかの場所に、存在しているのかもしれません」
「そ――そう――ですか。そう――ですね――」
「――別にそれ、特に不自由というわけでもないでしょうにね」
ユヴュの瞳が、チラリと揺れる。
「周りの連中が、とやかく言ったりしなければ」
「――でも、立場が逆なら、私も同じことをしていたんじゃないかと思います」
「そうですか?」
「ええ、たぶん」
「そうですか」
ユヴュは、ちょっと顔をしかめた。
「文化の違い、というやつですかね、これは?」
「かも、しれません」
「――」
ユヴュはしばらく、小首を傾げて私を見つめ。
「ところで――私はお祭りに行けるんですよね?」
「ええ、もちろん。あ、今はその、まだ準備中ですよ。行くなら明日がいいですよ」
「そうですか。で、あなたはお祭りに――」
「あ――行くのは遠慮しておきます」
「周りの連中がゴチャゴチャうるさいからでしょう? ――ちょっと思ったんですが」
ニヤリ、とユヴュは、いたずらっ子のような笑みを浮かべる。
「私とあなたがいっしょにお祭りに行ったとしたら、周りの連中は、いったいどんな反応をするんですかね?」
「え――」
考えたこともなかった。
後が怖い、というのももちろんある。
だが、しかし。
それより、なにより。
「ええと――わ、わかりませんねえ。みなさんいったい、どんな顔をするでしょうねえ、私達を見て――」
なんだか面白そうだった。
(ユヴュ)
一度帰ってからまた出直すのも面倒なので、泊っていくことにした。
「貴族のみなさんも、その、お祭りとかしたりするんですか?」
「そうですね、『カミオロシ』が一番それに近いでしょうか」
「かみおろし?」
「あなたがたには、説明してもわかっていただけるかどうか。私達は『カミオロシ』で、みんなの心を一つにするんです」
「それは――」
「あなたがたも、みんなの心を一つにすることはある、と言いたいんでしょう? 失礼ながら、レベルが違う。私達は――とけあってしまう。まあ、私は、まだ正式に――最も中核を担うメンバーとして参加したことはありませんがね。『カミオロシ』の主役は、当主とそのスペアですから」
「なるほど――」
神妙な顔で、アンツが頷く。
「あの、ええと、その、どんなふうにして心を一つにするんですか?」
「そうですね――たぶん、あなたがたには、歌って踊る、というのが一番わかりやすい説明だと思いますが」
「あ、その、歌って踊るというのは、私達もやります」
「そうですか」
レベルが違う、と言いかけなぜか。
「私達と、あなたがたとは、遠い遠い昔には、同じ一つの種族でしたからね。根っこのところに、同じものが残っているのかもしれません」
などと言いかえる。
「そうですねえ」
と、アンツは笑う。
「それじゃ、あの、夜店とか出ます?」
「よみせ? さあ――宴会はしますし、基本的に貴族はみんな『ツキの宮』に集まりますが。そうですね、子供達は、いつもは会えない友達と、みんなでキャアキャアはしゃぎまわって――」
ふと、思いだす。
子供のころ。『カミオロシ』の前夜祭。『ツキの宮』のかたすみで。
私とユーリルは、初めて『老人』に出会った。
「じゃあ、お店とかは出ないんですか?」
と、アンツが首を傾げる。
「そうですね、基本的に私達は、ええと、なんて言えばいいのかな――あのですね、貴族は貴族を相手には、商売をしないものなんですよ。欲しいものがあれば、そう言えばもらえますし、必要なものは互いに融通しあいますし、その――どう言えばあなたがたにわかってもらえるかな――」
「私達が、家族を相手には商売をしないようなものですか?」
「そう言えばいいのかな? そうですね、私達イギシュタール貴族は、大きな一つの家族のようなものなのかもしれませんね」
「家族――ですか」
アンツがふと、寂しげな顔をする。そういえばこいつ、家族がいないんだっけか。
「あなたがたの家族とは、少し形が違うかもしれませんがね」
私はそれに、アンツの寂しげな顔に、気づかぬふりで言葉をつなぐ。
「私達はみな、同じ血をひく同胞ですから」
「――」
目を伏せ、アンツがかすかに頷く。
「――あなたがたは、私達とは違う」
なぜだか私は、そんなことをつぶやく。
「どれくらい――違うんでしょうね――」
「私達は――地の民です」
アンツがそっと――そっと、ささやく。
「あなたがたは――月の民――ツキの民――宇宙の民――」
「――なのにあなたの目は、空ばかり、宇宙ばかり見ている」
なぜだか私は、そうささやいている。
「――」
アンツがじっと、私を見つめる。
アンツは何も言わない。
なのに何かを、言われた気がした。
「――『大厄災』がなかったら」
ようやくアンツが口を開く。
「私達はどうなって――どんな世界に、いたんでしょうね――」
「――」
『大厄災』がなかったら。
私達は――私は――。
「私はここには――この星の上にはいなかったでしょうね。私達は、星の世界で生きるために生み出された民ですから。――あなたがどうしているかは知りませんが」
「――その世界でも、私はヒルコなんでしょうか――?」
ほとんど聞き取れないような声で、アンツがつぶやく。イギシュタール貴族たる私の耳でさえ聞き逃しそうになったんだから相当なものだ。
「さあ、どうなんでしょうね。『大厄災』以前にはそもそも、『ツキのヒルコ』なんて言葉そのものが、存在していなかったようですがね」
なぜだか私は、奇妙に苛立つ。
「――」
少しだけ、アンツの目が輝く。
妙なやつだ、まったく。
「――この世界は『大厄災』から生まれたんですね」
「――」
アンツの言葉に、私は少し驚く。
そういう考えかたもあるのか。
「――そういう考えかたもありますね。そうですね――『大厄災』がなければ、私達はいつか――いつか、最後の一人もこの星を離れ――あなたがたとは道を分かち、二度と交わることなく二つの道を進んでいくことになっていたのかもしれませんね。私達がここに――この地にとどまり続けているのは、星への翼を失ってしまったからなのだから――」
でも。
不意に私は、強く思う。
でも、私は、ここが好きだ。ここが、この星が、この地が、この国が、この――私達の、イギシュタールが。
「『大厄災』がなかったら――」
そういうなりアンツは、なぜかいきなり真っ赤になった。
「どうしたんですか、いったい?」
「い、いえ、ベ、別に、何も」
「顔真っ赤ですけど?」
「い、いえその、いえあの、な、なんでもないです、はい」
「そうですか?」
そうは見えないんだが。
「――で?」
「え?」
「何か言いかけていたでしょう? 『大厄災』がなかったら、その続きは?」
「あ、その――ええ、その――」
アンツはルロルロと視線をさまよわせた。
「あ、ええ、その――だ、『大厄災』がなかったらその、わ、私達は、出会っていなかったのかもと、その――」
「ああ、そういうこともあるかもしれませんね。『北京の蝶の羽ばたきが、ニューヨークの大旋風になる』という言葉があったといいますから、ましてや『大厄災』ではいわずもがなです」
「ぺき――?」
「昔の地名ですよ、北京もニューヨークも。小さな出来事が巡り巡って大きな結果を引き起こす、というような意味です。
「あ、そうなんですか」
アンツが目をパチクリさせている。目をパチクリさせているうちに、アンツの顔色が落ちついていく。
「なんだか面白い言葉ですね」
「そうですか」
ふと、奇妙なことを思う。
蝶の羽ばたきが、大旋風を生むのなら。
大旋風は、何を生む?
そして『大厄災』は――?
(アンツ)
――なんだかおかしなことばかり口ばしってしまったような気がする。どうも私はこういう時、年甲斐もなく舞い上がってしまう。なさけない。
「――ところで話は変わりますが、よみせ、ってなんです? 店の一種、ですか?」
「え? ああ、はい、そうです。夜店というのは――」
説明しながら、私はいつもながら不思議な気持ちになる。
ユヴュはなんでも知っているのに、時々本当に基本的な、子供でも知っているようなことを知らない。
ああ、そうだ。
彼らとわれらは、ちがうのだ。
「あなたの生徒さん達も、お祭りに来ますか?」
「え? あ、それは――来る、でしょうね――」
ぬくもりと冷たさが、同時に胸にあふれる。
『先生』でいる時、教室の中にいる時、私は少しだけ、ヒルコの自分から離れられる。
では、教室の外の私は?
『先生』? それとも『ツキのヒルコ』――?
「どうしたんですか?」
「え、い、いえ、別に、何も」
「ふうん」
と、ユヴュが私の顔をのぞきこむ。
「そういう割には、今何か、変な顔をしてましたけどね」
「え――」
胸が苦しくなる。
ユヴュが、私のことを気にかけてくれている。
きっと、おかしなやつだと思っているのだろう。
それでもいい。
それでも、幸せ。
「ほら、また」
「え?」
「顔」
「え?」
「真っ赤ですよ」
「す、すみません」
少しなさけなくなる。子供か私は。何もかもを顔にだだもれにしてどうする。少しは慎め。大人なんだから。
「別に、謝ってくれなくてもいいですけど」
ユヴュは、ヒョイと手をのばし。
私の頬に触れる。
「あなた、よく赤くなりますよね」
「あ、その――いやその、あの、その――」
「地の民って、そうなんですか?」
「え?」
「顔の色が、変わりやすいんですか?」
「え? え、えーと、ど、どうなんでしょう? あがり症、とか、赤面症、とかいうのは、聞いたことがありますけど――」
「あなたもそれですか?」
「ええと――」
ちがう。
私は。
あなたに恋しているだけ。
「ど、どうなんでしょう?」
「ふうん」
ユヴュは小首を傾げる。
「変なの?」
「――」
子供っぽい口調がかわいらしくて、私は少し笑う。
「――」
私が笑うのを見て、ユヴュがちょっと口をとがらせる。
「あなたはおかしな人ですね」
「――そうですね」
ああ、そうか。
ユヴュにとっては、きっといつでも。
私は『おかしな人』なのだろう、きっと。
(ユヴュ)
まったくこの馬鹿ときたら、いったいなんだって、いつもヘラヘラ笑ってるんだか。
他人が笑っているのを見るとイライラする、というのは、性格が悪い、ということになるのだろう、おそらく。
でもこいつだって悪いと思う。意味もないのにヘラヘラ笑うな。
「なんで笑うんですか?」
「楽しいから、ですよ」
「何が楽しいんですか?」
「あなたといっしょにいられるのが、楽しいんですよ」
「――」
チラリと、思いだす。
前にも確か、これと似たような会話をして、そして。
そして――押し倒したんだった。
「――なんで楽しいんです。何が楽しいんです」
「――」
アンツは笑みを、深くした。
「――好きな人といっしょにいると、ただそれだけで、楽しいんです」
「――」
私は好きじゃない。
私はおまえなんか、ちっとも好きじゃない。
「私は――別に――」
「いいんです」
「え?」
「いいんです、それでも」
アンツは、きっぱりと言った。
「――」
おいこら。
私はまだ、最後まで言ってないぞ。
なんなんだ、こいつは。
いったいなんなんだ、こいつは。
「――お祭り」
「え?」
「お祭りなら私も――少しは楽しみですけど、ね」
そして――私も私で、いったい何を言っているんだ。
なんでここで、祭りの話なんかが出てくるんだ。
「ああ」
アンツは、にこにこと笑う。
私は少し、頭が痛い。
胸まで少し、痛い気がする。
なんだろう。
いったい何が、起こっているんだろう。
「楽しみですねえ、ほんとに」
「――そうですね」
あいまいに頷き、視線をそらす。
なぜか、ほっと息がつける。
「――あの」
「はい?」
「お疲れですか?」
「――別に」
「お茶でも、飲みます?」
「――そうですね」
「じゃあ、いれてきますね」
「ありがとうございます」
――変だ。
とても。
とても、変だ。
アンツがいないと、息をするのが楽になる。
私はそんなに、こいつのことが嫌いだったか?
別に好きでもないけれど。
それほど嫌いというわけでもない――と、思う。
私は――体の調子が悪いのだろうか。
そういうわけでもない――ような、気がするのだが。
わからない。
わからない。
いったい私に、何が起こっているんだ――?
(アンツ)
――抱いて欲しい、などと、言えるわけがない。
だから、ただ、そばにいる。
それ以上のことを望めようはずがないのだ。普通なら。
でも、普通ではないことが、過去に何度も起こったから。
私は、なんとなく期待している。
「――私はあなたがわからない」
ユヴュはつぶやくように言う。
「私は――」
と言いかけ、私は言葉を失う。
私だってユヴュのことが、しっかりわかっているわけではない。
だが、ユヴュの「わからない」と、私の「わからない」は、意味合いが違う。たぶん、違う。
どこがどう違うのか、言葉にすることは出来ないけど。
「私は――わかりたい」
私は、つぶやく。
意味もなく。
「――」
琥珀の瞳が、じっと私を見つめる。
胸が苦しい。
息が苦しい。
あなたが好き。
あなたが好き。
だから知りたい。
あなたを、知りたい。
「――何を?」
ユヴュが、ポツリと言う。
「え?」
「あなたは何を、わかるようになりたいんですか?」
「――」
私はまた、言葉を失う。
私は知りたい、あなたのことを。
でも、それだけ? あなたのことさえわかれば、他にはなんにもわからなくていい?
――ああ、わかってる。
そんなことはない。そんなはずがない。
私は、知りたい。
あれもこれも、それもこれも、どれもこれも、なんでもかんでも、何もかも。
「――その、あの、い、いろんなことを」
私はひどく、凡庸な答えを返してしまう。
「――」
ユヴュの瞳は、美しい。光を受けて、澄みわたり輝く。
見つめられると、悲しくなる。
悲しくなるけど、見つめて欲しい。
「――私はあなたがわからない」
再び言われ、私の頭は勝手に回転をはじめる。
「わからない」というのは。
「わからない」とは、もしかしたら。
「わかりたい」――と、いうことではないだろうか。
「私はあなたがわからない」とは。
「私はあなたをわかりたい」――と、いうことなのでは?
――やめろ。
やめなければ。
そんなことを考えては。
希望で胸を一杯にしたら。
――はじけて、しまう。
「――私も何も知りません」
ああ、また。
私は言葉を紡いでしまう。
「あ――あなたのことも――何も、かも」
「――」
琥珀の瞳。
「――それはそうでしょうね」
月光のような、冷たく冴え冴えとした、声。
「――わ――」
あ。
なんだ、そうか。
私は、言葉を紡いでいるんじゃない。
言葉が口から、あふれだしてくるんだ。
「私は――知りたい、です、とても――とても――」
「――あなたはそればっかりだ」
そっけなく、ユヴュは言う。
「知りたい、知りたい、知りたいと――いつもいつでも、そればっかりだ」
「あ、その――」
「では、聞きましょう」
「え――!?」
またたく間に、距離をつめられ。
目の前には、琥珀の瞳。
「あなたは、今――何を、知りたいですか?」
「あ――」
あなたの。
「あなたの、ことを――」
あなたの、ことを。
「――私のこと?」
いぶかしげな、顔。
「私の、何を?」
「――なんでも――」
「――あなたはおかしな人ですね」
そう。
おかしいんだ、私は。
そして。
苦しいんだ、私は。
「どうして私のことなんかをそんなに知りたいんですか?」
「――好きだから――です」
たとえ私が好きといっても、何も、一つも変わらない。
「――好きだから、です、か」
「――はい」
「――だとしたら」
「――」
「あなたは世界が好きなんですね」
「――え?」
――え?
今、何を?
ユヴュは、今、なんと――?
「え、あ、あの――そ、それは、どういう――?」
「好きだから知りたい、と言ったのは、あなたでしょう?」
ユヴュは小首を傾げる。
「あなたはいつもいつも、なんでもかんでも知りたがる。この世界のことを、なんでもかんでも。だから私は、あなたはこの世界のことが好きなんだろうな、と、そう思っただけですが?」
「――」
ああ。
私の言葉に、意味はないけど。
あなたの言葉は、世界を変える。
私の、世界を。
「ええ――ええ」
私は、頷く。
涙を、飲みこむ。
「私は――好きです。ここが――この、世界が――」
「――私も、好きです」
ユヴュは、うっすらと微笑む。
「私もここが、好きなんです。私は――」
ユヴュの瞳が、揺らぎ、かぎろう。
「私は、ここに、いたいんです――」
「――」
「ここ」とは、私の家のことなんかじゃないだろう、もちろん。
でも、うれしかった。
とても、うれしかった。
「――いて下さい」
私は、ささやく。
そっと――そっと。
「ずっと、ずっと――いつまでもここにいて下さい」
「――うそつき」
不意に。
ユヴュの瞳が、燃え上がる。
「あなたがたは、私達が、自分達と違うものであることを――私達が『ツキの民』であることを望んでいるのに。地上になんか、おりてくるなと思っているのに。――わかるんですよ。私にだって、わかるんですよ、それくらい――」
「――」
そう。
私にも、わかる。
よるな、さわるな、消えちまえ。
私はここに、いちゃいけない。
死に損ないの『ツキのヒルコ』。
――『ツキのヒルコ』。
『ツキのヒルコ』と『ツキの民』。
居場所がない。居場所がない。この地上には、居場所がない。
だけどここが好き。だけどここにいたい。だけど、だけど、だけど――!
「――私は――」
かすかな声で、私は叫ぶ。
私の願いを。心の底からの、私の望みを。
「あなたに、ここに、いて欲しい――」
「――」
澄んだ瞳は、ひどく真摯で。
私のすべてを、見つめている。
「――私は――」
ユヴュの唇が、わずかに開く。
ユヴュはひどく――とまどっている、ように見えた。
「私は――」
ユヴュの手が、私の頬に触れ。
その瞳が、私の瞳の最奥を貫く。
「ここに、います、よ――」
「――」
頷いたとたん、抱きしめられた。
そして、悟った。
ああ、もう、これで。
これで、終わりだ。
彼を失ったら、私は死ぬ。
それが、ひどく、はっきりとわかった。
(ユーリル)
感じない。
感じない。
私は恐怖を、感じない。
地の民達は、闇に恐怖を感じるのだという。
だけど私達イギシュタール貴族は。イギシュタールのツキの民は。
闇に恐怖を、感じない。
だから。
真夜中の街を歩いていても、特になんとも思わない。治安がどうのこうの、というのも、貴族に勝てる平民など、ほぼ確実にいるはずがないので、気にしたりするはずもない。
それに。
今夜の街には、闇がない。ざわざわと絶えずうごめき続けている。
きっと何かがあるのだろう。何があるのか知らないが。
私達は、地の民達のことをあまり知らない。そもそもたいして興味がない。やることをやってくれればそれでいい。
でも。
ねえ、ユヴュ。
君は、何を知りたいの?
地の民達の、いったい何を?
わからない。
わからない。
私には、わからない。
もしも私に、それがわかれば。
ねえ、ユヴュ。
君はまた、私の半身になってくれる?
私の隣に、いてくれる?
――え?
私は。
ふと、気づく。
体の奥が、シィンと冷える。
私がそれを、望むということは。
今はそうでは、ないということ。
つまり。
つまり。
ユヴュは今、私の半身ではなく、そして――。
そして私の、隣にいない。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
1 / 1