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いつか覚めるとわかっていても
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(ユーリル)
昔から、わかっていたのだ。
昔から、わかっていた。
知っていた。
ユヴュと私は、違うのだ。
違う。
同じものを、二つに分けただけなのに。
もとは一つの、はずなのに。
違う。
違う。
いつも。
いつでも。
いつまでたっても。
どうしても。
私とユヴュとは、違うのだ。
(ユヴュ)
笑っている。
笑っている。
こいつはいつでも、笑っている。
いつも。
いつでも。
何があっても。
「花火がね、あがりますからね、もうすぐ」
にこにこと、アンツが言う。
「それがお祭り開始の合図なんですよ」
「そうですか」
ふと、考える。
私達の祭り――『カミオロシ』には、そういう合図はない。
必要ない。
みんな自然とわかるのだ。みんな互いに通じ合う。
いつ、だれが、どのように動けばよいのか。
合図なしでも、みなわかる。
「――私、初めてなんですよ」
やはりにこにこと、アンツが言う。
「誰かといっしょに、お祭りに行くの」
「――そうですか」
としか、答えようがない。それがどうした、と答えないだけありがたく思えってんだ、まったく。
「――あの」
不意にアンツが、ひどく真面目な顔で言う。
「ええと、あの、もし――もし万一、私といっしょにいることで、ユヴュさんにその、なにかご迷惑がかかるようなことになったとしたら、その――私にかまわず行っちゃってください。どうせその、私が原因でしょうから」
「――」
一瞬、虚をつかれ。
「――ばかですか、あなたは」
奇妙に、腹がたった。
「どうして私がそんなことをしなくちゃいけないんです?」
「え、だって、あの、その、ユ、ユビュさんには、別に誰も文句なんかつけない――」
「私は連れを一人残して勝手にどこかへ行ったりしません」
「――」
アンツの目が、奇妙な具合に光るのが見えた。
「あ――ありがとう、ございます」
「まったく」
ああまったく、なんて人をいらつかせるやつだ。
「あなたはどうしてそういつも、ばかなことばっかり言うんです?」
「あ、その――どうもすみません」
「――ばーか」
「――」
――変なやつ。
いったいなんだって、ばかと言われてにこにこ笑うんだか。
「もうすぐ花火が――」
と、アンツが言いかけたとたん。
花火が、あがった。
(アンツ)
もしも願いがかなうなら。
今日が永遠に続きますように。
もしも願いがかなうなら。
今日はずっと、あなたといっしょにいられますように。
もしも願いがかなうなら。
今日は――今日だけは。
お願いです、みなさん。
今日だけでいいんです。
私のことを、忘れて下さい。
私がヒルコであることを、ここにいてはいけないということを。
どうか今日だけ、忘れて下さい。
もしも忘れられないのなら。
ええ――忘れることなんて出来ませんよね。
それなら、せめて。
私達の邪魔をしないで下さい。
私のことをどんな目で見てもいい。でも。
手を出して、こないで下さい。
明日になれば、私に何をしてもかまいませんが。
今日だけは、ほうっておいて下さい。
どうか、どうか、どうか。
今日は。
今日だけは。
私をほうっておいて下さい。
一度だけでいい。今日が最初で最後でいい。
一度だけ。
お願いです、一度だけ。
私の願いを、聞いて下さい。
たった、一度だけ。
私も――生まれ損ない、死に損ないの『ツキのヒルコ』も。
いっしょに。
好きな人と、いっしょに。
お祭りに、行きたいんです。
(ユーリル)
――結局ゆうべは、寝なかった。
一晩街を、歩き続けた。
だから、だろう。
私達――イギシュタール貴族は、地の民達よりもずいぶんとそういうことには耐性があるはずだが。
なんだか少し、ふわふわしている。
楽しいか、と聞かれれば、別に楽しいわけではない。
それでもなんだか、ふわふわしている。
お祭り――なんだろうな、これは、きっと。
どんな祭りか、なんの祭りか知らないが。
とにかくお祭りなんだろう。
ああ――ざわざわしている。
私。
私は。
どこへ行くとも決められず。
どこにいようと落ちつけず。
私は、ただ。
街を、さまよい続ける。
私は、漂っている。
祭りの、喧騒の中を。
(ユヴュ)
「いまさら怖がらないで下さい」
ああもうまったく、ほんとにこいつは。
「行くんでしょう? 行きたいんでしょう、お祭りに」
「ええ、あの、はい、はあ、それは、あの、はい、そうなんですけど――」
「だったらとっとと行きましょう」
「あ、ええ、あの、でも、も、もう少し暗くなってからのほうが――」
「暗くなると、どんないいことがあるっていうんです?」
「――」
おどおどと、アンツは目を伏せる。
「暗くなれば、私、あの――少しは目立たなく――」
「もともとあなたは極端に地味です。これ以上どう、目立たなくなろうっていうんです?」
「――」
アンツはひどく――悲しげな、顔をする。
「――たとえ私が、世界で一番地味で、目立たない人間であるとしても」
小さな声で、アンツは言う。
「誰も――忘れてはくれません。見逃しては――くれま、せん」
「――何を、ですか?」
「――私が『ツキのヒルコ』であることを」
「――」
――ああ、そうだったっけ。
私はそんなこと、しょっちゅう忘れる、というか――。
「私はそんなこと、あなたに言われなければいちいち思い出したりなんかしませんがね」
「――」
アンツの唇が、わずかに震える。
「――ありがとう、ございます」
「なんで礼なんか言うんですか。ほんとにまったく」
「――」
にこ――と、アンツが笑うのを見て。
どうして胸が痛くなるんだ?
私の体が、なんだか変だ。
なんだかおかしい、調子が狂う――。
「――ユヴュさん」
「はい?」
「えと――行きましょうか、お祭りに」
「はじめっからそうしてくれれば、話も早かったんですよ」
「そうですね」
アンツは笑う、にこにこと。
変なやつ。
変な――やつ。
なのに、なんで。なんで、どうして。
どうして私は、こんなおかしなやつといっしょに、お祭りに行くことにしたんだろう――?
(アンツ)
――正直、ろくな記憶がない。
お祭りの日に関しては、正直ろくな記憶がない。
というか、記憶そのものがない。
お祭りの日は、たいてい――。
家に閉じこもって、一歩も外に出なかったから。
冒険心など、私にはない。
だからいつもおとなしく、家で両親と遊んでいた。
両親がなくなってからは、確か一度くらいは――。
――。
――ああ、そうだ。
これは、思い出したくない記憶だ。
だから、思い出さずにおこう。
私はたぶん――そういうことが、やたらとうまいのだろう。
思い出したくないことは、思い出さずにおく。
私は怠惰な臆病者だ。
「行きましょう」
あまりにもあっけなく、ユヴュは私を誘う。
そして、私も。
「――はい」
あまりにもあっけなく、さしのべられた手にすがる。
(ユヴュ)
私がちょっとにらみつけてやると、誰もかれもがあわてて目をそらす。
こういうふうに思うのは、きっとひどく不謹慎なことなのだろうが――。
なんだかやたらと、面白い。
「――知っているんですかね、みなさん」
「え?」
「私が貴族だということを」
「それは――ええ、はい、知っていると思います」
「おかしなものですね」
なんでそんなことになるんだか。
「私は別に何も、教えたりなどしていないのに」
「それは、でも――その、なんとなくわかってしまうんですよ、そういうことは」
「不思議なものですね」
「ええと、ええ、あの、ええ、ああ、はい」
「そんなにあわてることはないですよ。私は別に、機嫌を悪くしたわけではありません」
「あ――はい」
トトトッ、と、アンツが小走りになる。
おっと、そうか、こいつ、私よりも背が小さくて足も短いんだっけ。
もう少しゆっくり歩いてやるか。
「急がなくていいです。私がゆっくり歩くようにしますから」
「あ――ありがとう、ございます」
変なやつ。なんで真っ赤になるんだか。
「こういうのは――初めて見ます」
と、言いながら、私はあたりを見まわす。
人混みの中、私とアンツの周りにだけ、ポカリと小さな空白がある。
「――鎮まりたまえ 鎮まりたまえ
御霊よどうか 鎮まりたまえ――」
小さな声で、アンツがつぶやく。
「御霊って――なんなんですか、いったい?」
「あ、ええと、それは、昔亡くなった――」
「それくらいは知っています。昔亡くなった人の、精神エネルギーのみが残留して、この世界、私達の世界に影響を及ぼしている、という、あなた達が考えだした架空の存在のことでしょう? 私が聞きたいのは、今あなたが、鎮まりたまえ、と呼びかけた御霊は、亡くなる前はいったい誰だったのか、ということです」
「ああ――」
アンツは目をまるくして、少し考えこむ。
「それは、ええと――『大厄災』でなくなったかたがたですね」
「ふうん――」
ああ、そういえば昨日も、そんなことを言っていたっけ。
でも――。
「でも、どうして『大厄災』で亡くなった人に限るんでしょう?」
「え?」
「いつだって、どこだって、どんな時代だって、どんな場所だって、人は死にます。ああ、この場合、場所はあんまり関係ないかな。でも――『大厄災』の前も、後も、それまでと何も変わらずに、人は死に続けています。確かに『大厄災』では非常に多くの――空前絶後と言っていいほどの数の人々が亡くなりました。でも――死は、どんな死も等しく、死です。今までなくなった人々すべてに、鎮まりたまえと願うなら、私もわからないではない。しかし――どうして『大厄災』で亡くなった人達だけを、特別扱いするんです? 昨日は聞き流しましたが、改めて考えてみるとなんだか不思議な気がします」
「え――」
アンツは息を飲む。
そして、考えこむ。
「ええと――え、どうして、って――考えたこともありませんでした、そんなこと」
「そうですか」
この変人が考えてみたこともないっていうんだから、他の連中なんかなおさらだろう。
「なぜ『大厄災』における死者だけが特別なのか――」
アンツが考えこんでしまったので、ひまつぶしにあたりを見まわす。
張りぼての丸い飾りの下に、ピラピラとしたテープがくっついたものがあちこちにあるが――。
「あれは――軌道エレベータのつもりなんでしょうか、もしかして?」
「え?」
アンツがきょとんと目を丸くする。
「きど――それはええと、なんですか、いったい?」
「軌道エレベータとは――ひとことで説明するのは難しいですね。しいてあなたがたにもわかる言葉にするとするなら、そう――星々の世界へと通ずる、高い高い、塔のことです」
「え――」
よほど驚いたのか、アンツが歩みをとめる。
「星々の世界に通ずる、塔――」
「『大厄災』の際に、すべて失われてしまいましたがね。一本でも残っていれば、私達――というか、私達の祖先はみんな、宇宙へかえれたはずなんですが」
「――」
アンツがまじまじと、私の顔を見つめた。
「――どうかしましたか?」
「え、い、いえ、ベ、別に、な、何も」
「そうですか」
変なやつ。
「あれが軌道エレベータだとすると、あれは――ソーラーセイル?」
「そ、そうら、え?」
「ソーラーセイル。太陽の光を帆に受けて、星の海をかける帆船です」
「そ、そんなものが――」
「あったんですよ、昔――『大厄災』の前には」
「わ――私達はあの飾りのことを『おちょぼ傘』と呼んでいます」
幾分呆然とした顔で、アンツが言う。
「おちょぼ傘? あなたがた、いったいなんだって壊れた傘なんかをお祭りの飾りにしたりするんです?」
「り、理由はわかりません。で、でも、ち、鎮守祭の時には、そうするものだから、って――」
「なるほど、意味が失われて、形だけが残ったということですか。ふん――これはちょっとした、民俗学の実地研修ですね」
「意味が失われて、形だけが――」
呆然と、アンツがつぶやく。
「じ、じゃああの『角出し鍋(つのだしなべ)』は――」
「パラボラアンテナじゃないですか。星の世界からの通信を、受けとめるための機械ですよ」
「あ、あれは、あの『化蜘蛛の巣(ばけぐものす)』は――」
「へえ、ずいぶんと古いものをひっぱりだしてきましたね。『大厄災』の前に、フラクタル・ネットにとってかわられたと聞いていますが、あの『WWW』の紋章がついているからには間違いありません。あれは『ワールド・ワイド・ウェブ』。直訳すると『世界規模の蜘蛛の巣』です。世界中を結ぶ通信網にしてデータベース――あなたがたにもわかるように説明するなら、それを使えば世界中の人と話が出来たし、その中には世界中のありとあらゆる種類の知識がつまっていたんですよ」
「世界中の、ありとあらゆる種類の――」
「大丈夫ですか、アンツさん?」
「え、あ、はい、はい、だ、大丈夫です、もちろん。え、あの、え、じゃあ――」
それからしばらく、アンツはかたっぱしから祭りの飾りを指さしては、あれは本当はいったい何なのかとたずね、私は答えられる限りそれに答えた。なんなんだかさっぱりわからない飾りもいくらかあったが、この、鎮守祭の飾りはかなりの割合で、『大厄災』で失われた技術やら機械やらの形だけを残したものだった。もっともその『形』も、私が見たところでは、かなり歪んだり奇妙なものと置き換えられたりしてはいたが。
「――てた――」
震えながら、アンツがつぶやく。
「え?」
「――てた。残ってた。残ってたんだ――」
「え――」
私は、息を飲む。
アンツの両の瞳の、あまりに強い輝きを見て。
「残ってた――」
アンツは気がついているのか。
たぶんアンツは、気がついていない。
アンツは。
笑って、いた。
「私達の中には――ちゃんと、過去が残っていたんだ――」
「――」
私――私は。
私は、なぜ――何も言えないんだろう――。
(アンツ)
夢だ。
夢。
これは、夢。
一夜で覚める、これは、夢。
それでもいい。かまわない。
ああ、そうだ、わかっている。
この夢が覚める時、私は、この人生で最大の、激しい苦痛を受けるだろう。
そして、その苦痛を癒すものはもはやない。
でも。
今までに味わったことのない幸せも、喜びも、みんなあなたが与えてくれたのだから。
あなたは私を、壊していい。
地獄につき落してかまわない。
「――」
じっと見つめられていたことに気づいて、胸がはねる。
「あ、ええと、あの――」
「――行きましょうか」
「あ――ええ、はい」
ユヴュは、ゆっくりと歩いて。
私の歩幅に、あわせてくれる。
どうしてこんなに、私に優しくしてくれるんだろう。
私は厚かましいことに、手をつなぎたいなどと思っている。
こんなに優しくしてもらっておいて、それより上を望んでいる。
まったくもってどうしようもない。
「鎮まりたまえ――か」
ポツリと、ユヴュがつぶやく。
「祈っているんですか、あなたがたは?」
「え――はい、そうですね。御霊鎮まりたまえ。どうか鎮まりたまえ。われらもう二度と、御身らの眠りさまたげませぬほどに――」
「――もう、二度と?」
ユヴュが、眉をひそめる。
「もう二度と、ということは――一度はその眠りをさまたげたのだということですか?」
「え――」
虚をつかれた。
そんなことは、考えてみたこともなかった。
「それは、ええと――『大厄災』の時に――」
「おかしいですよ、それは」
ああ。
ユヴュの、目が光る。
「だってこの祭りは『大厄災』で亡くなった人々の、ええと――魂、でいいんですか? 魂を慰めるためのものなんでしょう? 鎮めるための、ものなんでしょう? 『大厄災』が彼らの眠りをさまたげることなんでできっこありませんよ。だって、彼らが眠りについたのは『大厄災』の『あと』なんですから」
「そ――そうですね。それは、はい――そのとおりです――」
そうだ、確かに。
「われら決して」と唱えるならば、いい。何もおかしなことなどない。
だが。
「われらもう二度と」と唱えるならば、それはつまり。
少なくとも一度は、その眠りをさまたげてしまったことがあるということだ。
と、いうことはつまり――。
「どこかで何か――まちがったのか、混乱したのか」
と、ユヴュが小首を傾げる。
「しかし――どうせあなたがたは、そんなことなど覚えちゃいないんでしょうね」
「――」
胸が痛い。
胸が痛い。
われらは――私達はなぜ――すべてを忘れ去ってしまったのだろう――。
「――別に私は、怒ったわけじゃないんです」
ユヴュがちょっと、すねたように言う。
「いちいちそんな顔しないでください」
「あ、す、すみません」
言いながら、胸の中が、おなかの中があったかくなる。
あなたが私を、気にかけてくれる。
それだけで、私は幸せ。とっても、幸せ。
あなたが好き。あなたが好き。
誰より何より、あなたが好き。
「――いつもごちそうになっていますので」
唐突に、ユヴュが言う。
「今日は私が、ええと――おごる、って言えばいいんですか、こういう時?」
「え、そ、そんな、わ、悪いですよ、そんな」
「別に悪くはありません。それが悪いなら、今まで私があなたにごちそうになっていたのも全部、悪かった、ということになります」
「え、そ、そんなことはありませんよ、全然」
「だったらこれも、何も悪くなんかありません。今日は私がおごります」
「あ――ありがとう、ございます」
ありがとう。
ありがとう。
本当に、ありがとう。
私なんかを、こんなに優しく扱ってくれてありがとう。
「さてと」
キョロキョロと、ユヴュがあたりを見まわす。
「じゃあ、ええと、あなた何か、欲しいものってあります?」
「え? ええと――」
私は――。
アナタガホシイ。
――馬鹿だな、私は。
どだいそんなの、無理なのに。
「私は、今特には――ユヴュさんは何か、欲しいものってあります?」
「私ですか? 私は――」
ふと、ユヴュの目が、一つの屋台にとまる。
「――あれ、面白いですね」
「あ――発掘屋、ですか」
「並べられているもの自体はたいしたことはないですが――」
クククッ――と、ユヴュが意地悪く笑う。
「ずいぶんとまあ、無茶苦茶な口上を書き並べるは、言いちらすは。まったくもって、面白い」
「――」
私は、微笑む。
苦く、甘く。
「――何か、買われますか?」
「そうですね。記念にいいかもしれません」
「――」
記念――か。
ああ、そうだ。
私も何か――買ってもらおう。
どんなにちっぽけな、どんなにつまらないものでもいいから。
他人にとってどう見えようと、私にとってそれは。
あなたのかけらという名の宝石。
(ユヴュ)
「――あなたにはこれがいいでしょう」
小さなビンのなかに、ジャラジャラとつめこまれた――。
「これは記憶媒体、つまり、ええと――この中には、あなたの家にある本の内容すべてを書きこむことが出来る、と言ったら、あなた驚きますか?」
「お、驚きます」
と、いつものようにアンツは、目をまん丸くして私を見た。
「こ、これって、そういうものだったんですか?」
「もちろん今は使えませんがね。書きこまれたことを読むための機械がないし、媒体そのものも、もう壊れてしまっているでしょう」
「お客さん、詳しいねえ」
と、店主が私に笑いかける。きっとこういうのを『愛想笑い』というんだろう。
「ええ、まあ、それなりに」
言いながら私は、何か記念になりそうなものを探す。
そして。
私は思わず、つぶやいた。
「――プラスチックは永遠なり」
「え?」
「私はこれをいただきましょう」
それは、とてもとても原始的な、とてもとても古い――。
プラスチックでできた、宇宙船のおもちゃだった。
「やれやれ、まったく、よくまあ残っていたものです。
「それはね、ええ、形がいいでしょう? なかなかないですよ、こんなにちゃんと形が残っているのは」
「――」
こいつ――この店主は、これがいったいなんなのか、はたして知っているのだろうか?
まあ――そんなことをいちいち問いつめてみたところで、なんの得にもなりはしないな。
「はい、毎度」
「ありがとうございます」
「――あの」
アンツが、私を見あげてにっこり笑う。
私が買ってやった、小ビンを握りしめて。
「ありがとう、ございます。本当に、本当に――ありがとう、ございます」
「別に――今日はおごると約束しましたから」
「――」
本当にうれしそうに笑うんだな、こいつは――アンツは――。
「――うれしいですか?」
「はい、とても――とても、うれしいです」
「そうですか」
ああ、なんだ、いったいなんだ、この気持ち、いや――。
私の体が、なんだか変だ。
変だ、変だ、最近ずっと、ずっと、変だ――。
胸が苦しくて。
息が苦しくて。
なんだかボォッっとして。
なんだかクラクラして。
変だ、変だ、変だ――。
私は――病気、なのか?
熱はない――いや、あるのか?
わからない、わからない――。
「うれしい、です。私は、とても――」
「――そうですか」
――たい――。
――え?
私は今――何を考えていた?
いったい、今、何を――。
――たい――めたい――。
抱き――。
抱きしめた――。
「――行きましょうか」
「はい」
ちがう。
ちがう。
こんなの、ちがう。
考えていない。考えていない。私はそんなこと、ちっとも考えてやしない。
そんな――そんな――。
ダキシメタイ、ダナンテ――。
(アンツ)
私の隣を歩くユヴュは、むっつりと、何かを考えているようで。
邪魔をしたくないので、私も黙って隣を歩く。
「――人が、たくさんいますね」
ポツン、と、ユヴュがつぶやく。
「ええ。たくさんいますね」
「それなのに『ツキノヒト』はいないんですね」
「そ――そうですね、ええ――」
『ツキノヒト』とは、『ツキのヒルコ』のこと。
いるはずがない。いるはずがない。『ツキのヒルコ』がいるはずがない。
こんな晴れがましい場所に。
それじゃあ――私は?
私は――そう。
あなたが隣にいる。あなたの隣にいる。
月から来た、天人のかたわらに――。
「あなたがたときたら、ほんとにまったく」
ユヴュはちょっと、顔をしかめた。
「すべてが均質になってしまうことこそが、大いなる破滅の先触れなのに」
「大いなる破滅の――」
ドキリ――と、息がとまる。
すべてが均質になることこそが、大いなる破滅の先触れ。
それなら――ああ、それなら――。
私は、ここに――いても、いいのだろうか――。
「あなたに言ったところでしかたがありませんね」
ヒョイ、とユヴュは肩をすくめる。
「さて、と。何か食べますか? それとも、何か飲みます?」
「あ、ええと――」
私は、今。
祭りの、街にいる。好きな人といっしょに、大好きな人といっしょに、世界で一番、愛している人といっしょに。
苦しい。
苦しい。
胸が苦しい。息が苦しい。
時よとどまれ。いかにもおまえは美しい。
「――」
私は思わず、苦笑する。
時よとどまれと願うごとに、一つずつ魂を失っていくとすれば、私の魂など、いくつあっても足りはしない。
「何を笑っているんです?」
「え、あ、えーと、な、なんとなくです。すみません」
「おかしな人だな、あなたはまったく」
「――」
私はまた――そっと、微笑む。
「――あなたが決めないんなら、私が勝手に決めますよ」
と、ユヴュがちょっと、口をとがらせて言う。
「あ、どうも、あの、それじゃあの、お願いします」
「やれやれ」
ユヴュが、フン、と鼻をならす。
「じゃあ、行きますよ」
「はい」
ああ――そうか。
初めてわかる。私にわかる。私にもわかる。やっと、わかった。
ああ、そうか。
お祭りって、楽しいこと、だったんだ――。
(ユヴュ)
私とアンツの周りにだけ、ポカリと丸い空白がある。
と、指摘すると。
「あ――私のせい、ですね。あの――すみません、ほんとに」
などとこいつは、いつものとおり見当はずれなことを言う。
「別に謝る必要はありません。楽でいいです」
「え、あ――ら、楽――」
アンツはきょとんとし、ついで、プッとふきだした。
「……私、そんなに変なこと言いましたか?」
「あ、す、すみません、笑ったりなんかして。あの――でも、あの――」
「なんです?」
「ありがとう、ございます」
「何が?」
「――うれしかったんです」
「なんで?」
「――」
アンツは黙って、にこりと笑った。
私はなんだか、それ以上、何も言う気になれなくて。
黙ってしばらく、ただ歩いていた。
よく、思う。
こいつはいったい、何がうれしいんだろう?
変なやつだと、いつでも思う。
「――あなたはおかしな人ですね」
「そうですね」
「――」
私はいったい、何をしているのだろう。
いまだにさっぱりわからない。
なんだか――のどが渇いた、ような気がする。
何か、飲むとしようか。
何を飲んだところで、どうせ。
何の解決にもなりはしないのだろうけど。
(アンツ)
ユヴュが買ってくれた酒のカップに、おそるおそる口をつける。
カップは素焼きの、飲んだ後そのまま捨ててしまってもよいもので、なんだか妙にホッとする。
ヒルコが使った、使ってしまったものなど、たいてい後で叩き壊されてしまうのが常なのだ。
ユヴュの瞳に何となく似た、琥珀色の酒を少しだけすする。
うわ――強いな、こりゃ。
「ユヴュさん、これ、かなりつよ――」
と、みなまで言う間もなく、ユヴュは一気にカップの中身を飲みほしてしまった。
「うわ!? だ、大丈夫ですか!?」
「は? 何が?」
「い、いや、その、このお酒、かなり強い――」
「強い?」
「え、いや、その、強いお酒、っていうのは、ちょっと飲んだだけですぐに酔っぱらってしまうお酒、ということで――」
「ああ」
ユヴュはペロリと唇をなめた。
「大丈夫です。私達、あなたがたの言葉で言えば、酒に酔わない体質ですので」
「え、あ――そ、そうなんですか?」
「はい。それはまあ、極端に大量に摂取したりすれば多少は影響が出るでしょうが、この程度の量ならばどうということはありません」
「あ――そうなんですか、はあ――」
「もちろん、私達だって、お酒の味や風味はわかりますよ。だからそれなりに酒をたしなみもします。ただ、酔っ払いはしませんね」
「なるほど――」
私がチビチビと酒をすすっているあいだに、ユヴュは二杯目を注文して、これまた平然と飲みほしてしまった。
「――口にあいませんか?」
カップの中身をいささかもてあまし気味の私を見て、ユヴュが小首を傾げる。
「いや、というか――私にはこれ、ちょっと強くて――」
「強い――ああ、飲むと酔っぱらってしまうということでしたっけ?」
「あ、はい」
「ふうん」
ユヴュは、パチクリと目をしばたたいた。
「それじゃあそれ、私がもらってもいいですか?」
「え?」
「あなたには、別のを買ってあげますから」
といってユヴュは、私の手からヒョイとカップを取り上げ。
クイ――と、飲みほしてしまった。
「――」
「――あれ」
目をまるくしている私を見て、ユヴュはちょっと、気まり悪げな顔をした。
「飲んじゃ、いけませんでしたか? だったらまた、新しいのを買ってあげますから――」
「あ、いえ――私にはそれ――強い、ですから――」
「そうですか」
わからないだろう。
あなたにはきっと、わからない。
私が今――どれほど感動しているか。
あなたは私を本当に――本当に――。
本当に――いったいなんだというのだろう?
「――アンツさん?」
「あ、はい、はい」
「どうしたんですか、ボーッとして?」
「え、あ――いや、その――」
「もう酔っぱらったんですか?」
「あ――はい――そう、かも――しれません――」
あ――ああ、そうか。
ユヴュ。
あなたにとって、私はいつも。
『ツキのヒルコ』ではなくて。
いつでもおかしなことばかり言う、馬鹿でズレてて調子の狂った変人の――。
『アンツ・ヴァーレン』なのだ、いつでも。
(ユヴュ)
酔っぱらう――というのは、いったいどういう感じがするものなのか。
気持ちがいいのか、悪いのか。
文学作品、および医学書などを参考にすると、適量なら快、過度なら不快、というのが定説のようだが。
私達はそもそも、酔っぱらったりしないからなあ、代謝の関係上。
アンツの顔が赤いのは、酔っぱらっているせいなのだろうか。しかしこいつはしょっちゅう赤くなるからなあ、意味もなく。
「――酔ったんですか?」
「――かも、しれません」
「そうですか」
私達は酔いはしないが、アルコールに関する知識ならある。アルコールに弱い体質の者に、無理に飲ませてはいけないことくらい知っている。
「アルコールに弱いなら、あまり飲まないほうがいいですよ」
「あ、はい」
「――酔っぱらうって、どんな気分なんですか?」
「え? ええと――私もあまり、酔っぱらったことはないので――」
「今は?」
「今――」
なぜ――だろう。
なぜだか、一瞬。
音が、消えた気がした。
「今、ですか――今、は――」
目がうるんで。
奇妙に光って。
ああ、こいつは――。
酔って、いるのかな――。
「頭が――ボォッとして――足元が――フワフワして――胸が――ドキドキして――」
「ああ、やっぱり酔っているんですね」
「そう、ですね――ええ――」
「――すみませんでした」
「え?」
「お酒、飲ませたりして。そんなに弱かったんですね。知りませんでしたから、私」
「え、そ、そんな、い、いいんですよ、そんなこと」
ワタワタワタ、と、なぜだかアンツがあわてふためく。なんであわてるんだこいつ? さっぱりわからん。
「酔っぱらうって――気持ちがいいんですか?」
私はなぜだか、そんなことを聞いている。
「――」
アンツはにこりと――奇妙な、笑みを浮かべ。
「苦しいけど――とても気持ちがいいですよ――」
と――ひどく奇妙な、答えを返す。
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