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電車
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月曜日の朝は悲惨だ。
僕は、満員電車に乗る事に向いていないかもしれない。ただでさえ身動きがとれないのに165cmという低めの身長のせいで、息をするのも苦痛だ。
どこを向いても他人の息が顔にかかる。自分の背丈では仕方がない。
ため息をつかないように顔を下に向けて絶えているだけ。
少しでも他人との接触を避けようと不自然な動きになってしまう。いたたまれない気持ちで肩掛けの黒い持ち手をギュッとにぎってうつむく。
「…っ!」
何度目かの人の波に紛れてドアに追いやられる。
ベージュのコットンパンツの上から当然のようにまさぐる手の感触。
ぞっとしながらじっと耐える。
毎朝のようにやってくるこの痴漢は飽きもせず男の僕を撫で回す。
自分勝手に揉み、形を確かめるようにつかんでさする。
もうあと4駅。我慢すれば会社だ。
身じろぎもできない程混雑している電車に乗っていると、学生の頃に歴史の教科書で見た奴隷船の図を思い出す。変哲のない船の図の中にぎっしり、色んな方向を向いたヒトガタが描かれている図。
乗っている人の全てが、うんざりした気分でそれでも乗るしかなくて毎朝利用する。
この満員電車と奴隷船とどこに違いがあるんだろう。
週明け、ただでさえうんざりしているラッシュ。どうせ今日も帰りは終電近くだ。
好きで混雑の中にいるわけじゃない。好きで痴漢にあっているわけじゃない。
仕方がないから、そうなっているだけ。
腹をたてるのも騒ぎ立てるのもこの混雑では無駄な気がして、抵抗らしい抵抗もしてきた事は無い。こんな体が触りたければ勝手に触ればいい。
掴んだ手の力が強くなったような気がして眉をひそめる。
痛い。その上、今日は大胆にも前へも手を伸ばしてきた。
気顔も名前も声も知らない誰かがしつこく下半身を触り続ける。
でも素肌に触られさえしなければ、平然としていられる。
自分の体が小さくて押さえ込みやすいサイズなんだろう。
気味が悪いだけで、不快な気分になるだけで。
痴漢にあわなくたって、どうせ朝は不快なんだし。
ジジジ
乾いた音が響く。気付くとチャックが下げられてそこに侵入しようとする指が目に入った。
さすがに慌ててバッグを持つ反対の手で痴漢の手を取った。正確には取ろうとした。
でも痴漢は僕の手を軽く掴んでそのまま後ろ側に押さえつける。
じっとり汗ばんだ肌に嫌悪感を感じて息を呑む。
気持ち悪い。きたない、キタナイ
兄さんの体はいつもそうだった。じっとり外の雨まで吸い込んだような肌。
思い出したくもない感触。気を失うまで殴られて、衣服をはぎとられる恐怖。
コレハ、罰ナンダヨ。
空耳まで聞こえてきそうな。
嫌な予感。
自分の体なのに、自分で守る事もできない。
昔と何も変わらない。
人間はそんなに簡単に都合よく変われるものじゃないんだろう。
だいたい僕はヒトでさえないかもしれないし。
声を出す器官がくっついてしまったような感覚と、激しい嫌悪感。奥歯が鳴るような寒気。
急に震え出した体の変化についていけない。
息が苦しい。気持ち悪い。汚い。寒い。
不快なものだけが、ぐるぐる自分を取り巻いているようで息が止まる。
痴漢はチャックの隙間から手を入れて雄の部分を強引につかんでさすりはじめた。危機感のないその部分は嫌悪感に腰をひきつつ、熱を帯出す。
乱暴に触れられて縮こまるその部分が引きずり出されそうになる。
いい加減にしてくれ。一体何の恨みがあって電車でそんな事をされなきゃいけないんだ。
少しでも体をねじってよけようとするも大して効果がない。その上、理解できない体の震えで電車の炭に貼付けられたように動けない。
自分が震えている理由がわからない事で恐怖は拡大して震えは大きくなる。
布越しにそこをさすられている事よりも、背中側に掴まれている腕の感触が吐きそうに気持ち悪い。
掴まれた時からじっとりしていた痴漢の手は、興奮したのかますます汗をかいている。
いっそ掴まれたところを自分の腕ごときりおとしたい。
そうしなければこの気持ち悪さは消えない。
「っ!!」
ヤメテクダサイ。オネガイダカラ。ヤメテ。
声がでない。息がすえない。
助けて。誰か。
僕は、初めて電車の天井を見上げた。
体が一瞬軽くなって、開いたドアから押し出されそうになって襟首をつかまれた。つま先が空を蹴る。
えっ?
ええっー?
驚いて硬直している間に僕の左側から長い足がにゅっと突き出て、黒いパーカーを着た男が蹴り出されて無様な形でホームに転がった。
驚いたのは僕だけじゃない、はず。こんなラッシュの中で蹴り出された男だって、乗ろうと並んでた人達だって。
一瞬の空白があったものの、黒いパーカーを避けながらスーツ姿の企業戦士達は何事もなかったように電車に乗り込んでくる。
人が転がってきたのを見て駅員らしき人が走ってくるのとほぼ同時に扉が閉まった。
さすがだ。
それに押されるように僕も電車の中ほどに押し込まれた。なぜか襟首をつかまれたまま。
「大丈夫か?」
ほとんど頭の真上から聞こえた声の主に向かって顔も見ないで小さく頷く。
「あ、ありがとうござい、ます。」
水分を無くした喉はカラカラで、でもさっきはどうしても出なかった声が口から発声されて少し安心した。
でも足が震えて真っ直ぐ立てない。吐き気がおさまらない。
こんなの久しぶりだ。
電車の揺れに耐えられない。
倒れないでいられるのは混雑と掴まれたままのシャツに支えられているから。
「あの、すみません、もう大丈夫ですので」
と小声で言いながら隣を見上げる。
まさに見上げる程大きな男の人。
長い足を仕立ての良さそうな黒いパンツが覆い、白いシャツの上からでもわかる筋肉質な二の腕。
趣味のいい青空みたいな色のネクタイ。
「次で降りよう」
長い首、無駄のない顎のライン。薄い唇。一重瞼に白目が多い瞳は視線の先がよくわかる。
真っ黒な睫毛に縁取られた冷たい程澄んだ瞳に自分が映っていてハッとした。
言葉を理解するより前にその人は動き出して、引きずられるように電車から降ろされた。
降りたことのない駅のホーム。
人混みの中で、肩を抱えられるように歩かされる。
「あ、あの、本当にもう大丈夫ですから」
立ち止まろうと声をかける。
「駅でてすぐに事務所がある。休んでいけばいい。そんな顔色じゃあ、仕事にならないだろう。」
なんというハスキーボイス。
息をのむ色気のある微笑み。
これは、ひとたまりもない。
危険信号がともる。
くらくらする、これは香水?
いい匂いがする。
視界が白くぼやける。
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