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暗い部屋_7
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プチン、と音がして何かが切れた。んだと思う。
僕の手が武器を持ったまま空を切る。
それは蛍光灯の光できらきら反射した。
2人がギョッとした目でこっちを向いたのがわかる。
「そんなに僕が憎いなら殺せばいいのに。」
カチカチと刃先を伸ばして夏彦に向ける。
逆らっちゃいけないって知ってる。痛い思いをするだけだってわかってる。
でも…
どうしても巻き込みたくない人がいる。
逆上した夏彦に自分が痛めつけられて終わるならその方がずっといい。
唐突に態度を変えた僕に驚いたのか口をポカンと開けたまま僕とカッターナイフを交互に見る夏彦。
その口を閉じさせない限りこの闇は終わらない。
「さっきだって夏彦は僕を殺さなかった。いつも首を絞めても途中で手を緩める。中途半端なんだよ。憎いんでしょう?反吐が出る程嫌いなんでしょう?どうして生かしておくの。」
夏彦の手にカッターナイフを持たせる。それを持ち上げて僕の頸動脈にあてさせる。
ぷつりと肌に突き刺さる音が聞こえた。
「どうして殺さないの。やりなよ。ほら…。」
ずっと聞きたかった。
どうして生かされているのか。
いつ死んでもおかしくない扱い。いつ壊れてもおかしくない精神状態。
どうして誰もトドメを刺してくれないのかわからなかった。
殺さないで、と頼んだ覚えもないのに。
勝手に希望を打ち砕いておいて、まだ生きろというのか。
力を入れようとしない夏彦の手に持たせたまま、刃先を柔らかい首の皮膚に押し当てていく。
「おっ、おい、やめっ」
動揺した夏彦をあざ笑う。
なんてザマだ。これが僕を脅し続けた人間か?
殺す勇気もないくせに。
「母に会わせてくれてありがとう。僕が存在している事が気に入らないでしょう?昔から言われ続けた通り、生きてる必要もないから、殺してよ。…ニイサン。」
ツキンと刺激が走るけど、不思議と全然痛くない。
こんな物では死ねない事はわかっているけど、生きていかなきゃいけない理由もわからない。
背後でやり取りを見てる優しい人は、さっき夏彦の言った言葉をきっと考えているんだろう。
そして僕みたいな他人を信用した自分の甘さをきっと後悔しているはずだ。
他人なんて信じちゃいけないんだよ。
騙される事だってあるんだよ。決して騙したかったわけじゃないけど。
黙っていたのは知られたくないから。
知られたくないのは嫌われたくないから。
優也さんがそれに気付いてくれればいい。
ふいに背中から強く抱きしめられて、夏彦の顔が遠ざかる。
「もうよせ。愁は何にも悪くない。これ以上傷を増やすな。」
冷えた声が降ってきて、我に返った。
握りしめているのは夏彦の湿った手と刃物。
僕はいとも簡単にカッターナイフを奪い去られた。
刃先についた僅かな血から、モザイクのかかったような映像が飛び出してくる。
目の前で崩れ落ちる他人の体。
薄暗い部屋と汚れた畳。こもった空気と血のにおい。
忘れる事の無い映像。
耳鳴りがひどくなる。
それは頭が割れそうに大きな音で。両耳を塞ぐけどその音は止まらない。
優也さんに、一番知られたくない人に聞かれてしまった。
今度こそ、もうおしまいだ。
目の前が真っ暗になってくる。
「落ち着け。大丈夫だ。」
そう囁かれながら後ろからがっちり支えられて耳たぶに唇があたる。
優也さんのせいで体中から力が抜けて行く。
「…ごめ、なさい。僕。黙っていて、ごめんなさい」
ごめんなさい。これじゃあ死ねないや。
ため息が聞こえる。
あきれられたんだ。
きっと、僕はもう捨てられる。
結局、逃げられないのか。
こんなことなら反抗なんかしないで大人しく夏彦に従っていた方がよかったのかもしれない。
刃向かった事を今更、恐ろしく思う。
僕は後悔して失敗してばかりだ。
「愁の経歴にそんなものは見つかっていない。もしそれが本当だとしたら、それを知っている君も加担しているということだ。死に至るダメージを与えるか、死体遺棄か、どっちにしても君も同罪だろう。犯罪者と君が思いたいなら、それでも構わないさ。そんな事より帰りたくないという人間を無理矢理連れて行く行為は誘拐だ。帰って貰えないなら通報するつもりでいるんだが…」
と携帯電話を取り出す。あくまでも冷静な優也さんに震えながらも見惚れてしまう。
「チッ…オマエ、こんな事許されると思うなよ」
体が崩れ落ちないのは優也さんが支えてくれているから。
しっかりしなきゃ、と思う程、足の力が抜けていく。睨まれた僕の奥歯はまたガチガチと音をたてはじめる。
「こちらの台詞だ。お客様お帰りだそうだ。運転代行呼んであるな?丁重に車までお送りしろ」
玄関から外に向かって扉をコンコンと叩くとカチャリとドアが開いて人が入ってくる。
私服の奏介さんと、スーツ姿の知らない男の人。
「こちらにどうぞ」
よくわからないまま、促されて振返りもせず部屋から出て行く後ろ姿を見ながら、僕の震えは徐々にとまっていく。
あのよくわからない恐怖の気持ちも落ち着いた。
それと同時に背中で優也さんが大きく息を吸った。
「…優也さん。ありがとう、ございました」
「お前は、これでよかったんだろう?」
ぼんやりとした世界を僕は見ている。
問われた意味はわかっているつもりだった。でも気付かないフリをした。
「はい。僕は戻らないと決めているんです。ありがとうございました」
笑顔を貼付けて、もう一度お礼を言う。
「それなら、いい。帰るぞ」
言うが早いか抱き上げられて驚く。
「えぇっ?今日はここで大丈夫ですからっ」
「こんなセキュリティーの甘い所に一人で置いていけない。俺が泊まるか俺の部屋に帰るかどっちか選べ。」
この狭い部屋に優也さんを寝かすわけにはいかない。
…
「着替えを持って優也さんの部屋に伺います…」
この強引さが世の中をうまく渡る秘訣だろうか。
僕の中には微塵もないものだ。
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