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真実
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羅音は、夜になっても、帰って来なかった。
夜中、ドアの閉まる音に目が覚めた。僕はそっと起き上がり、羅音の部屋の前に佇んだ。
「羅音、帰ったの?」
僕は呼んだが、返事はなかった。
翌朝、朝食の席で、僕は尋ねた。
「羅音、昨日何してたの?」
羅音は意固地そうに口をつぐんで答えなかった。
「どうして、秘密にするのさ」
「君に何もかも言わなくちゃいけないの? 僕が誰とつきあったって勝手だろう。他の人と何をしたか全部報告しろって言うのか?」
「そうじゃないよ、ただ僕は、君の様子が変だから、心配してるだけだよ」
「ただ心配してるだけ? そうやって僕を支配しようとしている癖に」
「何言ってるの? 羅音」
羅音は何だか、かりかりしていて、どう接していいものか、僕は途方にくれた。
昼すぎ、羅音の部屋をノックした。
「入っていい?」
「うん」
羅音はベッドにもぐりこんでいた。僕は、ベッドの端に腰掛けた。
「ねえ、羅音。僕、昨日すごいことしちゃった」
「ふうん」
「興味、なさそうだね? 話すのやめようかな」
「疲れてるだけ」
「そうなの?」
僕は羅音の顔に顔を近づけて、柔らかい髪の毛に半ば隠れた耳を甘噛みした。
「やめて」
羅音は、いやいやをして僕を振り払った。
「ねえ、羅音も、あんなことしたことあるのかな?」
僕は一生懸命、聞いた。
「いいよ、あとで椰子から聞くから」
「え?」
僕は少なからずショックを受けた。
「ねえ、何でその話だって知ってるの? あとで聞くってどういうこと?」
「杏の口から聞きたくない」
「僕だって、僕のこと余所で話されたくないよ」
「だってあの人が話すんだもの」
「あの人って誰だよ。椰子だろ? 何かばってるんだよ」
「別に君のこと売ったわけじゃないからね」
「は? 僕を売った?」
「君を売ったわけじゃない、って言ったの!」
僕の不安は高まった。
「ねえ、羅音、何か隠してない? 僕に話してよ」
「話すことなんてない」
意固地な態度の羅音に僕は溜息をついた。僕は、前々から気になっていたことを尋ねた。
「あの紳士って人と、どこであったの? 乱交パーティの時あたりから付き合ってるみたいだけど、それと何か関係あるの? あの乱交パーティって何だったの? なんであんなことしたの?」
「いまさら、蒸し返すなよ。杏だって、のりのりだったじゃないか」
「のりのりじゃないよ。あの時、もうやめようって止めたじゃないか」
「そんな風に責めないでよ。僕だって、考えられる精一杯だったんだ。苦肉の策なんだよ。僕らができることって、そんなにないだろう? だって、僕らが持ってる最上のものっていったら……」
「あのさ、僕を売ったわけじゃないとか、なんとか言ってたのって」
「だから、杏は、売ってないだろ。そりゃ、悪かったよ、杏に黙ってあんな、乱交パーティをしたのは。でも、あのおかげで……」
「あのおかげで、何なの?」
「あの時のお金で、生活できてるんだから……」
「お金? 何のこと?」
「ごめん、黙ってて悪かったって言ってるじゃないか。でも、杏だって、楽しんだだろ? 気持ちよがってたじゃない。僕とだってできたし」
「え? 何々? 何のこと? ちょっと、お金って、どういうこと?」
「ごめん。だから、杏のことも売ったことになるけど、だけど、その後は、してないだろ? 杏には、そんなことしてほしくないって思ったから」
「まさか……お金をもらってたの?」
羅音は、黙って頷いた。
「どうして、そんな……」
僕が衝撃に、ふらふらしながら、自分の部屋に戻ると、テーブルの下に落ちている封筒を見つけた。故国からの、エアメールだった。僕は細い銀色の装飾的な鋏で封を切った。
「至急帰られたし。若様に再三ご連絡するも、お返事がないので、貴方宛に送ります。お屋敷の処分に関して、相続人ご本人の同意が必要です。また、ご送金できぬまま、どのようにお暮らしになっているのか、大変心配しております……」
羅音の家の執事からだった。僕は驚いて、僕の部屋を飛び出した。
僕はノックの返事も待たず、羅音の部屋に飛び込んで言った。羅音は寝巻き姿でベッドから出たところだった。白いリネンのナイティから出た棒のような脚の、裸足が、ベッドサイドに敷かれたふわふわの白い毛皮のラグに埋まっていた。
「ねえ、これを見て、大変だよ」
手紙には、古い巨大な家屋敷を維持する資力が尽きていること、使用人の給料も支払えないのでほとんど解雇したこと、広大な果樹園や建物をリゾート開発業者に売らない限り、立ち行かないこと、羅音や僕の教育資金には勝手に手をつけられないので、送金もできず困っていること、などが書かれていた。
「ああ、手紙か」
羅音は見もしないで、わずらわしそうに言った。
「『ああ』じゃないよ。大変なことじゃないか! 送金がないって。まさか、それで……。どうして、僕に相談してくれなかったの!? どうして僕に黙ってたの!?」
僕は、羅音をなじった。僕はいきなり現実に直面して、呆然となった。なんだって、羅音は、今まで、黙ってたんだ! どうして僕に言ってくれなかったんだ!
「ねえ、僕のこと、そんなに信頼してなかったの? そりゃ、僕は何にもできないし、頼りないし、僕に話したって仕方ないって思ったかもしれないけど、ひどいよ。羅音ばっかり、一人で背負って、なんで、なんで……」
僕は、僕が嫉妬したり、自分ひとりの寂しさにかまけている間、羅音がそんな重荷を、一人で背負う必要のない重荷を、誰にも黙って、自分だけで背負って、誰にも言えないで、苦しんでいたかと思うと、胸がはりさけそうだった。
「どうして、どうして言ってくれなかったの? 僕のこと、そんなに」
僕は、頭ががーんとなって、同じ言葉が繰り返し繰り返しぐるぐる頭をめぐった。羅音は、僕の怒りや悲しみや不安やいろんな感情の高まりを全く無視したように、現実離れした夢想的な表情で言った。
「果樹園は売らないよ。お祖父様の自慢の庭なんだから。桜桃だって、たくさんなって、杏とよく食べたよね。杏が僕の家に来たばかりの頃、あの木々の間で、鬼ごっこやかくれんぼをしたよね。春には真っ白な花が一面に咲いて、アーモンドや、洋なしや、プラムや。そして、桜桃より早く、杏の花が、ピンク色の可愛い花が咲くんだよね? 杏の花言葉って知ってる? 臆病な愛、乙女のはにかみ、それから、疑い、疑惑。杏、君にぴったりだね」
羅音は、うっとりと夢見るように思い出を語った。
「ねえ、あの紳士とかいう人からも、お金もらってたの?」
僕の現実的な言葉に、羅音は興をそがれたとでもいうように、不機嫌な顔になった。
「君の知ったことじゃないよ、僕のことじゃないか。それに、僕の家のことだ。執事も何だってそんな手紙、君に送ってよこしたりなんかしたんだろう」
羅音は、不遜な態度で言った。
「僕にだって関係大有りだよ。羅音のこと、すごく心配してたんだから。家のことだって。僕の祖母が正妻でないといっても、父は認知されていたのだから。僕だって相続人なんだ。事情を知らない他人からはともかくも、身内の羅音から、そんな差別的なことを言われたくないよ」
僕は、自分の傷ついた心をかばいながら、怒りを抑えて言った。
「杏……、そういうことじゃないよ。それは関係ないって。そういうつもりじゃなかったんだ。僕の言ってるのは、そういう問題とは、全然別で」
羅音は、うろたえたように言った。
「わかってるよ、羅音は、そんなんじゃないってことくらい。他の人たちとは違うってことくらいわかってるよ。だけど、僕には関係ない、みたいな風に言われると」
「ああ、ごめん。言い過ぎた。違うんだ、杏には、黙っておこうと思ったのに、急にばれたものだから、焦って言ってしまっただけ」
羅音は、悲しそうに、ため息をついて謝った。
「どうして、僕には、黙っておこうと思ったの? 言ってほしかったのに」
僕は、羅音に謝られて、少し気持ちが落ち着いてきて、尋ねた。
「心配かけたくなかったからだよ。それに」
「それに?」
「杏は、反対するだろ?」
「何を?」
「屋敷のために、身売りするなんて、ばかげたことだって、とめるだろう?」
「もちろんだよ」
「だから言えなかったんだ」
「羅音……」
もう、どこからどういう風に話したらいいのか、わからなかった。羅音の言っていること、したことは、間違っていると僕は思った。だけど、それを否定することは、できなかった。なぜなら、否定されるから、羅音は、僕に言えなかった、と言っているのだから。
せっかく心を開いて、うちあけてくれたのに、ここで間違うわけには、いかなかった。僕は深呼吸して、心を落ち着かせて言った。
「羅音にとっては、それだけ、お屋敷が大切だったんだよね?」
「うん」
羅音の身になってみれば、というか、羅音と心を同調させてみれば、羅音の気持ちは痛いほどよくわかったし、伝わってきた。
「羅音自身よりも大切だったんだよね?」
「うん、そうだよ」
「羅音が、どうしてそういうことをしたか、僕にはわかる気がするよ」
「ほんと?」
羅音は、僕に、怒られると思って、びくびくしているような防御的な表情を、少しやわらげた。
「わかるって、どういうこと?」
羅音は、期待するような目で、僕を見た。自分でも解けないパズルを僕が解いてくれるかと、期待するように。僕は、うまくやらなければと、緊張した。僕の心も、羅音の心もとても繊細だったから。
「羅音は、お祖父さんの意思を、とても大事に守っていたからね」
僕は、ひとつひとつ慎重に言葉をつむいだ。
「そうかな?……うん、そうだね」
「貴族的な考えや生活、態度、生き方、文化、を守るために、それと相反する学校すら行かなかったんだものね」
今まで言葉にしなかったことを、言葉にする作業は、ひどくつらかった。なんでもないことのように思うかもしれないけれど、僕には困難で苦しかった。
「批判だったら、ごめんだよ」
羅音は、疑り深く言った。
「批判じゃないよ」
「そうかな」
「うん。それだけ、羅音が、祖先の文化を大事にしているということだと思ったんだ」
「そういうわけでもないけど」
「直接的には、お祖父さんや、お父さんの文化だよね」
「文化なんて大げさなことは考えてないよ、別に」
「そう思う。僕も、そういう意味で言ってない。羅音は、お祖父さんの教え、お父さんの教えを、大事に守っているだけなんだと思う」
「大事に守っているわけじゃないよ」
羅音の顔は曇った。
「でも、結果的に、守っているように見えるよ」
「そうでもない。言いたくはないけど」
「そこが苦しいところなんだろう?」
「うん……」
「大事に守っているわけでないのなら、いやおうなしに守っているんだろうね?」
「まあ、そういうことになるけど」
「お祖父さんや、お父さんの、いい思い出と、いっしょになっているから、捨てられないんだよね?」
「そうだね」
羅音の瞳は、何か思うところがあるように、不安げに揺れた。
「全部を捨てる必要はないんだと思うよ、一部だけで」
何かを捨てるとき、何かを変えるとき、何を捨て、何を残すか、えり分ける作業が、一番大変で、つらいんだろうなと僕は思った。それには、それを、また、それに対する自分の思いを、よくよく見つめたり、感じ取ったりしなければいけないから。
「ううん、全部、売れって」
羅音はお屋敷のことに話をすり替えて答えた。
「もし、そうだとしても、いい思い出が全部、なくなるわけじゃないよ」
僕は、あくまで心の中のことを言っていた。
「だといいけど」
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