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廉はひとりだ。
幼い頃に両親と死に別れ、祖父母の屋敷に引き取られて、何不自由なく暮らしている。
でも、ひとりだ。
大人達は皆、いつも忙しそうにしていて、廉が話しかけても、冷たく手を払うだけだ。
「あっち行け、ほら、あっち」
「1人で遊べ」
「お前の相手してる暇、ないんだよ」
屋敷には、同じくらいの子も何人かいたけれど、誰も廉と遊んでくれなかった。
使用人の子は使用人の子と、主筋の子は主筋の子と遊ぶように……きっちり区別されていたからだ。
それに主筋ではあっても、廉は駆け落ち婚の生まれとかで、本家のイトコ達とはまた、一線を引かれて扱われてた。
だから、廉はひとりだった。
ひとりで遊ぶ以外になかった。
仕方なく廉は、祖父から与えられた豪華なおもちゃの、いっぱい入った箱を覗く。
そこから廉が取り出すのは、舶来品の帆船の模型でも、大きなブリキのロボットでもなかった。
廉の宝物は、古ぼけたボールだった。
ここに引き取られる前、父親がなけなしの金で買ってくれたものだ。本当は、小さなグローブも持っていたけれど、それはもう小さすぎて、手にはまらなくなってしまった。
祖父には、新しいグローブを2つも買ってもらったが、ぽんと簡単に与えられたそれは、何だかひどくよそよそしくて、なかなか使おうという気になれなかった。
大体、どうして2つなのか。
……友達も、いないのに。
たったひとり、たったひとつのボールでどう遊ぶのかというと、的当てだ。
祖父の屋敷の広い庭の、片隅にある小さな蔵の、漆喰の壁が廉の的だった。
木炭で印を付けただけの、簡単な的だ。
使用人にでも頼めば、もっとマシな物を作ってくれたのかも知れないが、そう頼む勇気は、持ち合わせていなかった。
人と話すのは、苦手だ。
幼い頃から、ドモリ癖はあった。言いたいことが次々に浮かぶのに、口のスピードが追い付かなくて、何から言えばいいのか分からなくなってしまうのだ。
今は違う。言いたいことはたくさんあるけれど、誰も耳を傾けてくれない。
喋れば、顔をしかめられるから、喋らない。
無視されても傷つかないよう、空気のようにふるまう。――それが、廉の処世術だった。
今日も廉は、ひとり庭の片隅で、粗末な的にボールを投げていた。
パシン、と的に当たったボールが、廉の元に、てんてんと転がって戻る。
パシン、てんてん。パシン、てんてん。
規則正しく、繰り返される音。
投げてる時、廉は、ただ投げている。つまり集中して、それ以外を意識の外に追い出している。
だから、物陰に隠れて、自分をじっと見てる者がいることにも気付かなかった。
ふと集中が途切れて……ボールを持つ指が滑った。
あっと思った時には遅くて、わずかに的からそれたボールが、てんてんと斜めに転がって、やぶの中に消える。
「あっ……」
微かに悲鳴を上げて、廉はやぶに駆け寄った。
真新しい真っ白なボールなら、やぶの中でも輝くように浮き上がるかも知れないが、廉の宝物はそんな、真っ白なボールではなかった。
仕立ての良い、上品な服が汚れるのも構わずに、廉は地面に四つん這いになって、必死でやぶに分け入った。
立って遠くを見回し、座って草の根まで掻き分けて、ひたすらボールを探しに探した。
けれど、見付からなかった。
どうしよう、勇気を出して、大人に手伝って貰うべきか。それとも、やはり自分で探すべきか――。
どちらにしろ踏ん切りがつかなくて、廉はやぶの中に立ち尽くしたまま、向こうに見える母屋を見た。
と――そこの外廊下に、祖父が現れた。
「誰だ! そこで何をしてる!? 出て来なさい!」
祖父は、老いてもよく通る声で、厳しく言った。
話しかけられ慣れていない廉は、同じように、叱られ慣れてもいない。厳しい叱咤にびくんと体を硬直させ、おずおずとやぶから顔を見せた。
「廉か。こっちへ来なさい。泥だらけじゃないか。……そんな所で何をしていた?」
廉は、言われるままに駆け寄り、祖父の立つ廊下の側に立った。
「ぼ、ボー、ル、が、っ……」
「ボールを失くして探したのか?」
「は、いっ!」
伝わった、分かってくれた、と喜びに輝いた廉の顔が、祖父の応えに一瞬でくもる。
「下らん。ボールなど、新しいのをいくらでも持ってるだろう。後で誰かに探させるから、部屋の中で遊びなさい」
「ち、が、あ、お、……」
違うんだ。あれはお父さんが昔買ってくれた、大事なボールなんだ。他のじゃ代わりにならないんだ。あれは大事なボールなんだよ――。
言いたいことはたくさんあるのに、口が思うように動かない。言葉が、すらすらと、出ない。
けれど、もう祖父の方には聞く耳もなくて。
「いいから、中に入りなさい。こんなとこで遊んで、鬼にさらわれても知らんぞ」
そう言って去って行く背中を、見送るしかできなかった。
廉は再びやぶに戻り、またボールを探し始めた。
さっきは出て来なかった涙が、目の前をくもらせて邪魔をした。
その内、ボールを探しているんだか、泣いているんだか分からなくなってしまった。
ボールが無いから悲しいのか、理解されなくて悲しいのか、泣いてる理由も分からなかった。
やぶの中にうずくまり、廉はそこで、ひとり泣いた。
しばらくして――後ろのやぶが、ガサッと揺れた。
はっと振り向くと、濃緑の椿の枝を揺らして、黒い男が立っていた。
「探してんの、これだろ?」
男の手には、あの大事なボールが握られている。
「あ、ああっ、そ、そ、」
廉は、単語にもならないような音を並べて、男の手からボールを受け取った。
「あ、あ、り、……」
どもってしまって、礼さえもまともに言えなかったが、男は他の大人達のように、呆れたりイヤな顔したりしなかった。
ただ、大きな手のひらが降りて来て、廉の頭を優しく撫でた。
「良かったな」
男はそう言って、にこりと笑った。笑ってるのに、なんとなく恐い感じがしたけれど……廉は、慌ててその考えを打ち消した。
だって、大事なボールを、見付けて渡してくれた人だ。怖いなんて、思っちゃダメだ。
そっと上目遣いで見上げると、目が合った。
どこか眼光鋭くて……隙がないように見えるのは、その顔立ちが整っているからだろうか。
目も髪も、服までもが真っ黒な男だった。
「お前、いつもひとりで遊んでんの?」
男は、少し屈んで廉に視線を合わせ、穏やかに言った。
「ひとり、寂しくねぇ?」
寂しい、とは――即答できなかった。
だって喉が詰まって、涙が出て、息もできないくらいだった。
「寂しいよな」
分かるよ、と男はそう言って……廉に、大きな手を差し伸べた。
「一緒に外に遊びに行こう」
こうして、廉は鬼にさらわれた。
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