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渋滞で止まったタクシーの窓に、
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渋滞で止まったタクシーの窓に、白い花びらが張り付くのをぼんやり眺めていたら、前にもこんなことがあったっけ、って何だか懐かしい感じがした。
ああそうだ、
俺があの人に拾われたのも、こんな雨の夜だった。
「翔貴、」
大丈夫か、とかそういう台詞を飲み込んで、沢村さんの手が、俺の肩にそっと触れる。
勿論大丈夫じゃないけれど、この人がこんな顔で心配する程ダメって訳でもない。
なんとか笑って、でも顔があちこち引き攣ってあんまりカッコ悪いから、俺より少し高い位置にある肩に、頭を擦り寄せて顔を隠した。
「クイーン、一人で平気かな」
「うちの女王さまは賢いから、一晩くらいは一人で平気だよ」
「俺と違って?」
「お前さんはそんなにバカじゃないよ、女王さまが賢すぎるだけさ」
マンションに残してきた、ブルーの毛皮を着た小さな女王が、思慮深げに首を傾げ、雨粒の散る、窓を眺めているのが目に浮かぶ。
「無理に笑わなくていいんだよ」
「無理にでも笑ってた方が楽だよ」
肩に頭を預けたままで、もう一度、窓の外をみる。
とろとろ流れていく車列の上半分、暗い空へと視線を上げる。
風が、白い花房を揺らして花びらを空へと吹き上げる。
目を閉じた、まぶたの裏に、白い残像淡く残ってすぐに消えた。
柔らかい霧雨の、風はふわふわ暖かくて、あちこちで桜なんか咲いててなかなかいい夜だった。
捨てられて、明日から住む所もなくて、頼る人もいなくて、おまけに所持金殆どゼロだなんて、諸々の悲惨な状況が、まるでウソみたいだ。
まあ、金が無いのはさっき俺自身がコンビニで、全部酒に変えてしまったからなんだけど。
最後に残った缶ビールの空き缶を手に、鼻歌交じりの足元はふらふらの千鳥足で、花見気分で足を踏み入れた公園が、所謂ハッテンバだったらしく。
ベンチに座ってぼんやりしてたら、鼻息の荒いおっさんがいそいそ近寄ってきて、俺の肩を馴れ馴れしく抱いて「いくらだ?」なんて聞いてきた。
その息が笑えるくらい、絶望的に、臭い。なんか変なクスリでもやってて、内臓が半分腐ってんじゃないかな。
かく言う俺も、今はまだ若いってだけで、やってるムチャは変わらない気がするけれど。
空を仰いで、まんまるい、白い月を見上げたら、もうなんだか馬鹿馬鹿しくて、
脅しつけるような口調で、相当渋い値段交渉をしてくるおっさんも、
俺の今の、いわゆるどん底な身の上も、
明日からの身の振り方も、これから先も
鼻息の荒い交渉にぼんやり生返事ばっかりしていたら、業を煮やしたおっさんが、俺をベンチから半ば強引に引き摺りあげて、どうやらどこかへ連れてくらしい。
行きはヨイヨイ帰りは怖い
の、危ない匂いがぷんぷんしてたけど、これだけは守らなきゃって物が何にも浮かばなくて俺は結局、考えることを止めて、脱力した。
ハッテンバの公園の、出口付近まで来たときに、おっさんに強引に引っ張られてちょっと痛いなあって思っていた腕を、誰かが横から来てぐっと掴んだ。
「こんな人についてっちゃだめだよ」
雨が降っているのに咥えタバコで、細い、小さい、お金なさそーな格好の人影が、優しい声で言った。
「あんた誰?」
って俺の声は、即座に臭い息のキンキン声に遮られた。
内容なんて無い、ただ相手を馬鹿にして威嚇するだけの声と、それに対して丁寧語で妙にきちんと君、だとか僕、だとかいって答えるぼそぼそした声。
温度差ありすぎて可笑しくてちょっと笑ったら、ぱしん、て平手で叩かれた。
あ、そっか俺売られるんだ、だから酷い傷はつけられないんだ。
誰だか知らないけれど可哀想だな、死んじゃうかもしれない、だってさっき、このおっさん、どこかに電話してたんだ。
その口調がまた、古いブイシネみたくって笑えるんだよ。あ、今もそうか。
ああ、馬鹿な人だなあ、おせっかい。俺なんかほうっとけばいいのに。
ぼんやりしてるうちにブイシネみたいなしゃべり方のおっさんが増えていた。
何人かの言い合うと肉のぶつかり合う痛そうな音、警察だ!って叫び声で皆一斉に散り散りになった。
「ラッキー」
最後に俺の手をとったのは、細い、長い指をした手だった。俺の目線の少し下、赤紫にはれた頬で笑って、すぐに痛そうに顔を歪めた。
「走ろう」
しけったタバコを行儀悪く道路にぷッと吐いて、走り出そうとして何歩かよたついてたから、俺が逆に小柄なその人を引きずるようにして、大通りまで走った。
呼び止めたタクシーにその人を押し込んだら、腕をぎゅっと掴まれて、切れ切れで咳き込みながら
「家においで」
煙草のせいか少しかさついているのに、何故だか耳につく不思議な声が、そう言った。
タクシーの車載灯で初めてはっきりと見たその顔は四十過ぎくらいの、目元が妙にキレイなおじさんだった。
「なんで?」
「嫌かい」
首を傾げた動作が小動物みたいな印象だ。少し痩せぎすの、直線的な頬に黒い目が異様なほど光っていて、俺をじっと見ている。
俺のものになれ、
柔らかい口調の裏で、そう言われてるみたいでなかなか悪くない。
「俺を抱く?」
「それが条件?」
ぜーぜー息を切らして、まだ咳き込んで肩を揺らしてる、細い腕にそんな力があるなんて信じられないくらい強い力で、一回りもガタイのでかい俺を、タクシーの中に引きずり込んだ。
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