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第一章 エピローグ 3
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意外なことに、口を開いたのは彼女の方だった。
「悩んでいるのですが...」
彼女は俺に手渡した手紙を見つめ、可愛らしい顔を苦しそうに歪めて、少し震え混じりに言った。
「死んだ姿を見ていない親に、手紙を送るのって...失礼でしょうか」
「......え」
思わず手から手紙が滑り落ちそうになる。
彼女のその一言で、刹那の中にバラバラにほどけて違和感となった糸のすべてが一本の線となって繋がった。
よく見ると、少し垂れた目も、毛の先のくるっとした癖も、店に入ってきた時のふにゃりとした笑顔も、前に一度だけ見た記憶がある。
彼女は氷室さんにそっくりだったのだ。
そうか。
彼女が、先生の、そして美咲さんが守り抜き助けた人なのだ。
そうわかると、体の中からわけのわからない熱がこみ上げてきた。
しかし、彼女からしたらただの店員と客だ。
ここで、彼女の前で悲しんで、ましてや涙を流してはいけない。
でも、俺は氷室さんと美咲さんの姿をみていたから、彼女のその問いかけに対しての答えは、素直な俺の気持ちをぶつけよう。
「全然失礼じゃないと思いやす。むしろ、嬉しいんじゃねえですかね」
そう言って、彼女の顔を見ると、大きく開かれた両目に今にもこぼれてしまいそうなほど涙をためていた。
でも、最早我慢など出来るはずなんてなくて、次々と流れ出る涙を、口に両手を添えて嗚咽を抑えることしか出来ない。
店の床に、彼女の涙が落ちていく。
「貴方なら、そう言ってくださると...思ってました」
せっかくの、綺麗な着物の袖で彼女は涙を払う。
「私が病院で目を覚ました時、周りには誰もいなくて、一人ぼっちになってしまいました」
「っ!」
同情なのか、氷室さんを守れなかった自分への逃げ道を作ろうとしているのか、彼女へ言葉をかけようと口が勝手に開いた。
でも、彼女の言葉がそれを遮る。
「でも、一人ぼっちじゃなかったんです。枕のそばに、父親の写真と名前のない手紙、それとこのお店の飴がありました」
彼女は涙を流しながらも笑顔で俺に言う。
「手紙には、父が死んだ経緯と、ある人からの謝罪の言葉が述べられていました。
すぐには信じられなくて、でも...その文章を書いた人の文字が、だんだん震えていたんです。
なんだか、気持ちが...こっちにまで伝わってきて...」
そこまで言うと、彼女はこちらをみて一度くすりと笑った。
「書いた人は、すぐにわかりました。私に心臓を提供してくれて、そして、父と一番近くにいた方でした。
父は、すごく仕事に生きる人だったけれど、でも...少ない空き時間を見計らっては家に帰って私と一緒に遊んでくれました」
歯痒くて、悲しくて、俺は無意識に唇を噛んでいた。
「父が死んだということは、病院の中でも広まっていました。「大丈夫?」「なにか手伝おうか?」そんな皆さんの心配そうに見る顔が、私は嫌で嫌で仕方ありませんでした。
その時、枕のそばに置いてあった箱を見つけたんです。
箱を開けると、蜜柑の優しい香りが広がって、目を覚ました日からずっと我慢していた涙が溢れてしまって...止まらなくなってしまいました」
「そう...だったんですか」
「私ってば、恵まれてるんだなって。幸せなんだなって」
もう彼女は、流れる涙を気にしてはいなかった。
「だから、ありがとうございます」
彼女は、苦しそうに、悲しそうに、でもそれよりも幸せそうに笑った。
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