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ゆっくりとこちらを振り返った五條は俯いたまま肩で息をしながら呟く。顔にかかった前髪のせいで、表情は分からなかった。
「言えよ…」
「ごじょ、…」
「何で言わなかったんだよ、昨日襲われたって、俺に」
「…それは、」
視線を上げた鳶色の瞳と目が合った。その色にはまだ怒りが消え去っていなくて、寄せられた眉根は酷く苦しそうだった。俺は何も言い返す事ができない。
「お前はいつも、大丈夫だったか?って、聞いてくるのに…いざ自分がされたら、何も言ってくんねーのか」
足元の砂利を踏んで五條が近づいてくる。怖くて、思わず一歩下がってしまった。
「確かに、今の俺は弱ぇーから、頼りにならねえかもしれねえけど。つーか、力があっても頼りになったか分からないけどさ、」
目の前で立ち止まった彼は俺の肩を掴んで一度大きく揺さぶった。
「あん時…初めて喧嘩に巻き込んだ時、お前は俺が1人で抱え込まないように側にいてくれたんだろ…そうだろッ?悪いのは俺なのに、今みたいにしつこくアイツ等に付き回されて殴られてもお前、文句一つ言わねーじゃねえか!」
くしゃり、と彼の顔が歪んだ。反論したいのに、唇を開いても声が出ない。五條に押し付けられたギターと鞄を持つ手が震える。
俺はお前にそんな顔をさせたいわけじゃないのに。
「言えよ!お前が巻き込んだんだから責任とれって、どうにかしろって言えよ!頼れよ!自分の問題だって1人で抱え込むなよッ…お門違いだぞコラッ!兵藤だけの問題じゃねえんだよッ!」
「っ…れは、俺は、お前に余計な心配、かけたくなかった…」
「馬鹿!!」
叫び声は俺の心を貫いた。
目が覚めたような感覚で、ようやく彼の気持ちが分かった気がした。
ごめんな、五條。確かに俺は馬鹿だ。お前の気もしらないで、分かり合おうとせず一方的にただ守る事だけを考えていた。
五條が俺の事なんかで気に病む所を見たくなくて。自分を追い込むように悲しむところが見たくなくて。笑ってて、欲しいから。
もう一度「頼れよ…」と言った五條の声は掠れて肩を掴む手がズルリと下へ垂れ下がった。
沈黙の後、恐る恐る手を伸ばして彼の頭を撫でる。「ごめんな…」と囁いたら小さく五條の肩が震えた。
こういう時、饒舌になれたらどんなに良いだろう。俺は言葉で伝えるのが苦手だからよく誤解をされる。けど、五條になら伝えられる。一緒に過ごしてきて今までずっとそうだったじゃないか。
「助けてくれて、ありがとうな」
五條の眉間にもう皺は無かった。「当たり前じゃねえか」と遠慮がちに笑った顔に少しつられて口元が緩んでしまう。彼の柔らかい髪から手を離し、もう一度告げる。全ての想いを込めて「ありがとう」と。
「ばーか、」
口端をつり上げて笑いながら俺を小突く。しかしその直後、彼の体は時が止まったかのように急に動かなくなった。不審に思い顔を覗き込む。
「五條?」
「っ」
五條は表情を強ばらせて小さく手を痙攣させながら非常にゆっくりと腕を組むように自分の両腕を掴む。うっ、と顔をしかめて痛がる動作に全身の血の気が引いた。
「いッ…ッてぇぇ!!」
唸った五條は痛みに堪えきれずその場にしゃがみこもうとした。崩れ落ちないようにその体を受け止めて支える。
「どうしたッ」
「…ッーっ、腕が…超いてぇ……」
段々と苦痛の声が小さくなり、ぐったりと動かなくなる。やばい、きっと不良達を倒したときに何かあったのに違いない。弱くなったはずの五條がいきなり力を取り戻して、何か体に悪いことが…。
「少し堪えてくれッ」
迷っている暇は無い。ギターケースとリュックを乱暴に引っさげ、五條を背負うと元来た道を全力で引き返す。目指す場所は叔父の家。一つの背中に五條とギターケースと鞄2つを背負うなんて無茶だったけど走った。何だかよく分からないが手遅れになる前に早く。早く。連れて帰らないと。
*
「肉離れだねぇ…」
叔父さんはボールペンをカチカチとプッシュしながら回転いすをこちらに向けた。診察台に真っ青な顔で横たわる五條の両腕には包帯が巻かれ、そのうえから氷が当てられている。
「でも大丈夫。重傷じゃないから一週間でリハビリできるかなぁ…ま、完治は二週間見ておいたほうがいいねぇ…」
はぁ、と重々しい溜め息をつく五條とは違い俺はほっと胸を撫で下ろす。重傷じゃなくて良かった。
あれから急いで駆け込んできた俺達にまたか、と目を丸くしながらも涼子さんと叔父さんは事が事だけに真っ先に治療してくれた。本当に、この人達に助けて貰ってばっかりだと五條と2人で苦笑する。
叔父さんはカルテを机に置いて俺達に説明し始めた。
「肉離れはね、急な運動…急激な筋肉の伸縮によって起こることが多いんだ。筋膜や筋繊維の障害だから体中どこで起こっても不思議ではないけど…腕はまた、珍しいねぇ」
そこまで言って叔父さんは回転椅子を診察台まで近づけて五條の腕にそっと触れた。
「五條くん、力、戻ったの?」
叔父さんの質問に五條は首を小さく傾げた。
「戻ったっていう感じはなかった…怒りに任せて何も考えてなかったから…」
ふむ…と叔父さんは真剣な眼差しで五條を見たまま、考え込む。そして決意したように語りだした。
「あのねえ、五條くんの力の事なんだけど。僕の友人と話し合って仮説を立ててみたんだ」
側で立って聴いていた俺は部屋の隅にあった丸椅子を診察台の横に引っ張って、そこに座る。この不可解な謎の解き口が見つかるかもしれない。
「人はね、自分が持っている力を100パーセント出すことが出来ない。無意識に脳が力の加減を制御して鉛筆を持ったり、卵を持ったり、手を繋いだりすることができるようにしてくれる。そうしないと生活ができないし、常に100パーセントの力を出すと身体に物凄く負担がかかるからねぇ…」
叔父さんの視線が、壁に貼ってある人体模型図へと移った。俺もつられて皮膚一枚剥がされた筋肉だけの人体模型図を見ながら、五條はどこの筋肉を傷つけてしまったのだろうかと少し呑気に考えた。
「人それぞれなんだけど、普段の力は本来の力の約三分の一以下だと言われてる。火事場の馬鹿力なんて上手く言ったもので、ピンチの時には自分でも予期せぬ力を発揮できたりするよね。そういうケースにならないと一般人に限界に近い力は出ない。
…スポーツ選手や格闘家の人達は、常にその力が出せるように、自分の持つ力を最大限に引き出したり上手く制御するために体を鍛える。要は脳の力の切り替えスイッチを自分の意志で動かし易くする。そうして、力と筋肉のバランスの釣り合いを取るんだ。力を出すために筋力を補うのが一般的なんだけど、」
人体模型図から俺達へ視線を戻した叔父さんは、非常に興味深そうに声色を深めた。
「五條くんの場合は…生まれつき、その切り替えスイッチが上手く働かなかったんだろうねぇ…かなり極端なタイプだといえる。普通の人よりも制御が少ない分、当然並外れて力が強くなる訳だ。細かいコントロールが苦手だから、きっと繊細な作業は苦手なんじゃないかな?」
「苦手っスね…」
引きつった笑いを浮かべる五條に構わず叔父さんは続ける。胸ポケットに引っ掛けたボールペンを再び取り出して天ビスを押しながら説明する姿はどこか楽しそうだ。
「そのスイッチがある日を境にいきなり正常になった。コントロールが敏感になったと言うわけさ…つまり、今の君はその身体つきに相応しい普通の男の子に戻ったということだね。…いや、普通の男子高生よりは若干弱いかな…。
まあとりあえず、敏感になった原因が分かれば君の力は以前のように強くなると思うよ。あくまで仮説だけどねぇ。
今回の肉離れは制御されたまま長い期間運動不足で衰えた筋肉が、いきなり以前の様に馬鹿力を出したことによって起こったんだろう。怒りという感情が無理にでも力を引き出させたのかな。肉離れが治った後、力が本当に戻ったのか、それとも一時的なものだったのか…確かめなくちゃいけないね」
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