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Could not believe.
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最後の一人がドサリと音を立てて地面に伏したかと思うと、よろめきながら走り去っていった。傘の先端を伝って落ちる水滴を何度か振って辺りにもう敵はいない事を確認する。雨は先ほどよりもだいぶ強くなって雨粒も大きい。
結局のところ、傘を振り回して抵抗したら男たちは喧嘩もそこそこに八方へ散っていった。
早く五條を探さないと…。
空き地から出ようと後ろを向いた時、前方から濡れたアスファルトをザっザっと擦るような足音が聞こえた。
——誰か、来る。
激しい雨と曇天のせいで周辺は薄暗く足元から霧のようなものが立ち込めている。更に眼鏡のレンズに水滴が伝って視界が悪い。こんな雨の中、不良達と同じように傘をささないで近付いてきた男は記憶の中、確か1週間前見た人物だった。
「お前は…」
俺と5メートル程距離を取った千林は「よぅ」と呟いた。驚く俺にかまわず彼はふん、と鼻を鳴らす。
「成程なァ…武器がありゃァなんとかなるわけか。でもそれがねーと全く駄目って事だな」
いきなり現れて何を言うかと思えば。
彼の言葉にズキ、と痛みが走る。けれど何も言い返せない。間違ったことは言っていない。
「よくもまあそんな生温ィくせにアイツの隣にいれたもんだな」
表情を一切変えずこちらを捉える視線に足元が竦んだ。そういえば、こいつは俺の事をよく思っていない。だから近付いてきたのだ。挑発されていると分かっていてもピリピリと心や頭が痛くなる。
ここにいて千林の気が済むまで文句を聴いてやる筋合いは無い。
もしかしたらあの不良達を嗾けたのはこの男じゃないのかと憶測がよぎる。今は全く聞こえないのに、あの日の蝉の鳴き声が耳鳴りのように聞こえた気がした。
俺は押し黙ったまま傘を握り直して一歩を踏み出す。千林の横を通り過ぎようとしたら、力強く腕を掴まれた。咄嗟に身動きが出来ないまま足を止めて首だけを相手へ向ける。彼は眉間に皺を寄せたまま苦々しげに笑った。
「待てよどこいく気だ?せっかく二人きりになれたんだから話くらい聞いてくれよ。あの時の続きだ」
あの時よりも幾分か落ち着いた口調だが、それでもたっぷりと重みがあって刺々しかった。千林から視線を逸らさないで腕を放してもらおうと引っ張る。
「五條を、探しに行く」
「ああ?ああ…今頃逃げ回ってるだろーなァ」
捕まえる手に更に力を込めて動きを制する千林は、楽しそうに空に視線を泳がせて笑う。けれど目は微塵も笑んでいない。彼の言動に冷や汗か雨か、良く分からない滴が額を滑る。
言葉通りなら、余計に探しに行かなければならないじゃないか。
焦って唇を噛みしめたら俺の言いたい事を察した相手は声を低く唸らせた。
「アイツはテメーが思ってるほどやわじゃねぇよッ」
それと同時に思い切り腕を押し返され、元いた位置へと突き飛ばされた。呆気なくよろめいた俺は、数歩足踏みをして後退する。何を、と前を見たら丁度千林が殴りかかってきた所だった。慌てて傘で弾いて次から次へと向かってくる攻撃を身をかわしながら防ぐ。
電光石火の如く凄まじい威力の拳に、バシンバシンと傘が鈍い音を立てて悲鳴を上げた。
——話し合いをするんじゃ無かったのか…!
まったく読めない相手の心情に戸惑って上手く手元が動かない。重々しい蹴りが飛んできて傘を相手の脛へ当てた時、堪え切れなくなった傘が嫌な音を立てて折れた。ヤバい。
咄嗟にそれを捨てて片腕で払うがダメージは意外にも大きかった。痛む腕に気を取られていたら、左胸を狙った突きに対応出来なかった。
「ッ!」
肋骨に響く鈍痛を右腕で庇う。完全に不利になった俺は簡単に後ろへ飛ばされてコンクリートの壁に激突した。そのまま地面へ崩れることも許されず首を鷲掴みにされ、濡れて冷たい無機質の表面へ縫いつけられる。
何とか呼吸の出来る範囲の圧迫力だが、苦しい事に変わりない。激突した反動でずり落ちた眼鏡が、首を絞められた衝撃で地面へと落下した。そして踏み込んできた千林の足元からバリッとプラスチックが砕ける音。
「何だ、こんなもんか。大したことねぇーじゃねぇか」
「…ハ、ッ」
飄々と言ってのけた千林の顔はぐらぐらと頭が揺れるせいでピントが合わない。何でこんな事になってるんだと、相手の腕に爪を立て反抗するがビクともしなかった。引っ切り無しに降り注ぐ雨が酷く鬱陶しい。
「アイツも物好きだよなァー…お前のどこがいいんだか」
「っぐッ!」
言葉と同時に喉を締める力が強まった。呼吸をするので精一杯で、声が出ない。眉間に皺を寄せたまま闇の様な瞳に苦しむ俺を写して、千林は独り言のように喋り続けた。
「龍牙があんなに弱くなっちまったのはテメーのせいじゃないのか?あ?兵藤…。今のアイツは見る影もねぇ…馬鹿みてぇに」
「…ッちが、う」
何が違うんだろう。
朦朧としてきた意識の中でただ本能が唇を震わせた。堪え切れず千林から視線を逸らしたら、頭を壁に叩き付けられて強制的に目を合わせる事を強いられた。
「どういうつもりでアイツの隣にいるのか知らねェーが、それで龍牙の友達にでもなったつもりか?喧嘩に混ぜてもらって普段から隣にいて特別扱いされて浮かれてんのか?テメェはアイツの事どれだけ知ってるのかいってみろよコルァ!…何にも知らねェくせに…知ったつもりでいるんじゃねーぞッッ」
必死で紡がれた声は俺の呼吸を詰まらせた。苦痛に歪められた眼前の男の表情と言葉が頬に平手を打っていく。心臓を何かで貫らぬかれるような。痛い。苦しい。脳がキンキンと悲鳴を上げる。
千林は俺を恨めしく疎ましく思っていて、俺が五條の事を何も知らないことを彼は知っている。ただの独りよがりをしていたことを千林は突きつける。現実を。全部暴かれる。俺と五條の隙間を。
「俺は…物心ついた時から龍牙と一緒にいた。そして敦もだ…俺たちは一つのチームだった、」
この時、千林と五條を繋いでいた謎がスルリと解けた。
ああそうか、俺が五條の事を何も知らない?そうだ何も知らない。ただ知りあって半年間。たった半年。…その短期間で知った事はたくさんある。けれどそんなこと、幼馴染である千林にとって長い年月のほんの一部にしかならない。
臆病だったから、俺自身と五條の距離をお互い確認しないまま逃げた。怖くて。ただ一方的に傍にいたいという理由で。俺だって知りたい、彼のことをもっと知りたいから傍にいたい。なのに。
「目障りなんだよ…最近会ったばっかのクセに当たり前の面してアイツの隣にいるテメェが。その程度でアイツを守れるだと…?ッざけんなよッ!」
首を締める手が離れたかと思うと代わりに鳩尾へ衝撃が走った。激痛が気管を締めて思い切り咳込む。崩れないように脚に力を入れて何とかその場に体を立たせた。彼が何か言った気がしたが何も耳に入らない。
痛みに震える体も心も腹立たしくて悔しくて情けなくて、何も言い返せなくて、かといって相手を殴る力もない。何もできない。
俺は、弱いのか。
———弱いよ。
「消えろ」
吐き捨てられた言葉は大して俺の胸を抉らなかった。そう言われるのだとどこかで分かっていたから。
「消えろよ…失せろッ、あいつの前からッ…俺たちの前から」
ガンッと足元から鈍い音が響いた。ゆっくりと目線を下ろしたら、俺の脚のすぐ横の壁を千林が蹴った音だった。
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