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No way.
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憎悪のような嫉妬深い表情が俺を蔑むように見ている。鴉の濡れ羽ような、深い闇夜の瞳に映る激情はいつか見た五條の瞳に似ていると思った。
相手に気づかれないように小さく自嘲して、まだ何かつっかかってくる千林の体を突き飛ばした。ほんの僅かな間固まった彼の側をよろよろとふらつきながら通りすぎてこの場所の出口へと向かう。
「っオイ、逃げる気か」
すぐ後ろから掛ってきた怒鳴り声に足を止めた。もう何も聞きたくない。この場所には、この男の前にはもう居たくない。振り返らず精一杯の声を絞り出した。
「まだ…言い足りないのか」
「…ッ」
千林の返事が途切れたのをいいことに、俺は早足で歩く。不格好な逃げ様など見せたくなかったけれど俺には堪え切れる強さなんか無いんだ。早足が駆け足になって、そのまま無様にも走った。
早くここから逃げたい。思い出したように雨が顔面を打ってきて、全身が、服が吸った水分で重い。
悪くなった視界も気にしないで、悔しいと奥歯を噛み締めて大通りに出る。日が落ちかけて辺りにはもう人気は少ない。傘をささずに走る俺を時たますれ違う通行人に驚いたような眼差しを向けられる。頬を伝う雨粒に紛れて泣いてしまおうかと思った。
思うより先に目頭が熱くなった。馬鹿みたいだ、こんな。良く分からない男に干渉されて、男は五條と幼馴染で俺が隣にいるのが気に入らないから消えろという。
なんの権限をもってか、それは五條を良く知る「幼馴染」という立場から。
——そんなの、そんなの…ズルい。
いきなり、目の前を誰かが通過して思い切り肩がぶつかった。衝撃で数歩後ろへ退く。ぼやけた視界では判断がすぐに出来なくて、謝ろうと顔を男の方へ向けたと同時に凄い力で両腕を掴まれた。
「兵藤ッ!」
見慣れたオレンジは、今日ずっと探していた色だった。五條の頬は小さな擦り傷と泥が付いていて俺と同じく傘を持っておらず、ずぶ濡れだった。やはりどこかで喧嘩してたみたいだ。必死な彼の顔を見て安堵してしまう。良かった、無事で、大した怪我もしてなくて。
「…ご、じょう」
声が震えた。確かめるように二度呼んだ。いき成り立ち止まったせいで、上がっていた呼吸が肩を上下させる。俺の腕を捉える力は本当に力強くて、びっくりするぐらい手はあたたかい。その腕にあのテーピングはもう無かった。
じわじわと伝っていく体温は俺の冷えた心に充分すぎるほど熱を加えていく。
「…お前…ッ、」
五條が顔を覗きこんできて、鳶色の瞳が俺の目を引く。その色に焼き付けられて、やっぱりこの目が好きなんだと呑気に思ってしまった。謝ろうと唇を開いたら、脳内に残酷な音波がグワングワンと響いてきた。
(消えろ)
この言葉が、さっき言われたばかりのこの言葉が安堵で解けたばかりの全身を凍らせる。
(何も知らねえくせに)
(目障りなんだよ)
ああ煩い。分かってるのに。
喋ろうとした唇が空回りして閉じた。馬鹿だ俺。今一番情けない顔を五條に向けてる。混乱して安堵して怖くて冷たくて温かくて悔しくて情けなくて悲しくて、戸惑っているうちに堪え切れない涙が落ちた気がした。雨とは違う、五條の体温を奪ったような温度を持つ滴。あ、と声が漏れて思わず彼から顔を背けた。そうして駄目だ、とまた後ろへさがる。
「兵藤、おい、な」
「…ごめんッ」
今日ちゃんと待ち合わせの時間に来れなくてごめん。そうしたら、俺もお前もこんな目に合わなかったのに。掴まれていた腕を振り切って、今度は五條の側を通り抜けようと走りかけた。これ以上お前の隣にいたら、俺はもっと駄目になる。
「!…ッオイ!待てよッ」
逃がしてくれなくて五條が手首を握る。今は温かいその手が怖かった。もう一度「ごめん」と謝って腕を解いた。自然と足が前へ出る。
「兵藤!…ッ待って、待てって!」
「ごめんッ…五條…」
俺の背中を、雨に濡れたパーカーを掴んだ手がするりと滑って引きとめる力は無くなった。俺の名前を呼ぶ声は充分聞こえるのに、振り返る事が出来ない。一向に止む気配のない雨に打たれながら再び走った。
「武正ッ、テメェ!アイツに何しやがったァッ!!」
遠くでそんな怒声が響いた。忘れかけていた鈍痛が再び首と鳩尾に疼く。変に噎せながら何も耳に、視野に入れたく無くて叫んだ。
「馬鹿だ、俺はッ」
隣に居るための資格ってなんだろう。
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