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甘美な仮定法
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あの後、冬休み明けの始業式が終わった学校の廊下で、すれ違ったオレンジに「ああ!」と指を差された。随分と人懐こい笑みで、俺を探してたのだと言った。
俺はといえば、目立つこのオレンジの不良のことを半分忘れかけていた。彼は見た目によらず、意外に律儀な性格をしているのだとその時はとても驚いた。
そして、いい奴だと。素直にそう感じたのだ。
*
五條と出会った時のことを思い出し、感傷に浸りながらふと窓の外を眺める。
今日も雨だ。しとしとと降り続けて止まない雨。
朝からずっと思い出に耽っている。そのせいか、昨日の一件はまだ解決できていない。
今日が夏休みで本当に良かった。もし普通に学校へ行っていれば大変な事になっていただろう。
同じような事をもう何回も考えていて、無限ループから脱しようと諦めてシャーペンを握る手を離す。コロンと小さな音を立ててそれはワークの上へ転がった。
課題を処理する事を諦めて椅子から立ち上がり、すぐ側にあったベッドへ身を投げる。背中に冷たいシーツを感じながらポケットに挟んであった携帯を取り出した。
時折思い出したように震える携帯は、五條からの着信を知らせていた。けれど未だに通話ボタンを押せないでいる。話さなければいけない事は分かっているのに、それができないのだ。
今はメンタル的に受け付けない。
完全に痛めつけられたなあ、と他人事の様に昨日殴られた鳩尾を軽く擦った。
電話して五條の声を聞いたらうっかり弱音を吐いてしまうだろう。話したら絶対に頼ってしまう。それも必要以上に。
彼の事が好きだから甘えて、千林の言った事を無視して側にいてしまう。そうなれば彼の逆鱗に触れ、五條にも迷惑がかかる。
五條の力が戻りかけた時、俺に向かって言ってくれた。
「頼れよ!」と。
でも、どこまで頼っていいのか分からない。そんなあやふやな境界線。あやふやだから、千林に付け込まれるのだ。事情を話したら「あいつなんかに構わないで俺の側にいろ」とか言ってくれそうな気もするけど。そんなの俺の仮定でしかない。
あの強さに頼ったらどれだけ楽になれるんだろう。消えろって言われても、そんなこと出来ない…。
——出来ないよ。
手に持っていた携帯がブルブルと振動し始めた。まただ。俺は携帯を開かないで躊躇う。取るべきか、取らざるべきか。取っても、声を出す勇気がない。なんてヘタレなんだ、と自嘲してから携帯を開いた。
すると画面には想像していたのと全く違う名前が表示されていた。
「…中島……」
ケーキバイキングに行った時に無理矢理アドレスを交換させられていたので、おかしい話ではないが一体何でこんな時に。何の用だろう。
五條限定で発動していた躊躇いは無く、それよりも先に興味が通話ボタンを押していた。
「はい、」
『はろー、直人くん』
「中島…」
分かっていた名前をもう一度呼んで確認する。電話の向こうで相手が頷いたような気がした。
「何の…」
『…千林に会ったんだろ?』
用だ、と続ける前に中島が核心に触れる。その言葉に肯定するが、ぬぅとへんな呻き声しか出なかった。
『教えてあげようか』
「何を…」
『知りたいだろ?…五條の事』
中島の特徴的な柔らかい声が耳を撫でる。「五條の事」…それは余りにも甘美な誘いだった。俺が知りたいと思っていた事を?何でもいい。
「五條の事」を知れる。
もう一度念を押すように中島が囁く。
『教えてやるよ?』
「…え、」
戸惑う俺に、彼は一方的に待ち合わせ場所と時間を押しつけて『待ってるよ』と告げた後、通話は途切れた。
ツー、ツーと無機質な音を聞きながら呆然と耳に押し付けていた携帯を離す。
…中島が事情を知っているのはおかしくない。
いつだったか「俺の情報網すごいの」という言葉がよぎる。凄いどころじゃないだろ、と突っ込んでから己の顔を両手で覆った。
中島と五條は幼馴染、五條と千林も幼馴染。千林と中島も幼馴染。
なんてもの凄い組み合わせだろうか…。
五條と千林に聞けない以上、最後の手段は中島…なのだ。手段が向こうからやってきた。
(何にも知らねェくせに)
そうだ、知らない。けど中島は言う。「教えてあげるよ」と。
知らないから、知りにいきたい。分からないなら分かりに行けばいい。隣に居るべきか、離れるべきか、消えるべきか消えないべきか…知ってからでも遅くないはずだ。
幼馴染という長い年月を越えられなくても、それでも知れる事はある。
突然の誘いに荒びれていた心が恥ずかしげもなく喜んでいた。
俺は、まだ五條の傍にいたい。これは正直な本音だ。
傍にいるための資格をほんの少しでも見つけたい…遠慮し合う関係が隙間を生むから。
ほぼ無意識に左耳のピアスに触れた。その行動が最近癖になりかけていて、固いそれを指先でそっとなぞりながら心を落ち着かせると、迷わずにポケットに貴重品を詰めた。
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