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『みなさま、長らくのご乗車お疲れ様でございました』
目の前でバスガイドさんがマイクを手に言った。
『間もなく当バスは、今宵の宿である高原ホテルへと到着いたします。このホテルは昭和30年創業という、歴史のあるホテルでございまして……』
車内の教え子たちは、お喋りもしないでバスガイドさんをじっと見つめてる。写真は勿論、動画まで撮ってる生徒もいる。
「修学旅行の1番のメインは、バスガイドさんでしょー」
昼間誰かが言ってたけど、そんなものかな?
オレの席のすぐ前で、ホテル周辺についての案内を始めたバスガイドさんをちらっと見る。
ゆっくりとした口調、穏やかな声、にこやかな笑顔。マイクを口に当てる仕草もゆったりとして色っぽいし、確かに美人だ。男子高だから、余計に憧れは強いのかも。
「先生、いーな、バスの席近くて」
昼間の観光途中、教え子に羨ましそうに言われた。
ホテルには、バスガイドさんやバスの運転手さんも一緒に泊まるみたい。
「先生、バスガイドさんも夕食、一緒ですか?」
一部の生徒に訊かれたけど、残念ながら、そんなことはない。
多分、バスガイドさんは他のクラスのガイドさんたちと、固まって食事するか……或いは、バスの運転手さんと食事に行ったりするんだろう。
教え子たちには悪いけど、バスガイドさんは男子高校生たちなんか眼中にないみたい。
「長井さん、あと5分くらい?」
運転手さんに向ける目つきは、オレや生徒たちに向ける目つきと全く色が違ってて、結構露骨だ。
運転手さんが返事もしなくて、素っ気ないのは意外だけど――。
「先生、抜け駆けしてバスガイドさんを飲みに誘ったりしないでよ?」
と、教え子たちに邪推されるようなことは、残念ながら起こりそうになかった。
大きな老舗の高原ホテルに到着すると、まずはバスガイドさんが先に駐車場に降りた。
「忘れ物ないように!」
立ち上がって、生徒たちに降りるよう促す。
バスのお腹にある大きなトランクがガコンと開いたら、預けてある荷物を取り出して、生徒たちに渡す。
取り残しが無いようトランクを確認して、それからまたバスに戻り、座席の忘れ物をチェックして……オレがホテルに向かうのは、その後だ。
「お疲れさまでした。お世話になりました」
バスを降りる直前、運転手さんに挨拶をすると、運転手さんは「ああ」って爽やかに笑って、オレに右手を差し出してくれた。
「先生もお疲れさん。引率って大変だな」
わざわざ白い手袋を脱いで、握手してねぎらって貰えて、なんか嬉しい。
バスガイドさんには素っ気なかったけど、あれは運転中だったからかな?
紺色の制帽の下の顔はキリッと整ってて、なるほど、あのバスガイドさんが夢中になるのも無理ないなぁと思った。
運転席の横に貼ってる顔写真に目をやると、長井信って名前の人みたい。
生年月日を見るとオレと同い年みたいで、ちょっと親近感が沸いた。
ホテルに着いたからって、引率の仕事が終わる訳じゃない。
他のクラスと合流して、生徒たちを整列させて点呼、体調の確認、注意事項の周知、それから各部屋への案内……。やることは山積みだ。
生徒は入浴の時間まで自由行動になるけど、オレたちはその間、ミーティングがあるし。
特にオレは若手だから、あれこれ用事を言いつけられることも多い。
「野口先生、大浴場の事前チェックをお願いします」
とか。
「野口先生、9組の子が鼻血を出したようで……」
とか。
あちこち走り回されて、まったく旅行気分にはなれなかった。
せっかくの温泉だけど、勿論、ゆっくり堪能してもいられない。
生徒たちの入浴を見守りながら、一般のお客さんたちに迷惑にならないよう注意したり。
「女湯、覗けねーのかなぁ?」
なんて言う、バカな生徒たちをたしなめたり。
それが終わったら、また忘れ物のチェックや備品の片付けをして、生徒たちを追い立てるように大広間に移動。
集団で食事した後は、各班の班長を集めて明日の日程の確認と、注意事項の伝達。
各部屋に点呼に回る10時までの間に、さっさとお風呂に入んなきゃいけないし、ホントに落ち着かない。
ようやく一息つけたのは、11時も間際になってのことだった。
「野口先生、主任の部屋で一緒に、どうですか?」
「修学旅行の1番のメインは、大人の反省会ですよ」
反省会って、つまりは酒宴なんだけど。同僚の先生方のお誘いも、体調悪いフリして断った。
「すみません、腹具合がちょっと悪くて……」」
そしたら、それ以上は誘われない。昼間のバスガイドさんみたいな美女ならともかく、オレみたいな貧相な男なんて、酒宴の華やぎにもならないし。
「ああ、そう。お大事に。よく休んでくださいよ」
先生方はそう言って、学年主任の先生の部屋に、いそいそと集まってった。
その背中を見送って、はあーっ、と息をつく。
教師の部屋が、全部シングルで良かった。これで朝まで、ゆっくりできる。
夜中に何も問題が起きなければの話だけど……その辺は、もう運を天に任すしかなかった。
寝る前に、オレも何か飲もうかな。そう思って売店に向かうと、誰かに声を掛けられた。
「あれ、先生。お1人ですか?」
「あ……はい」
返事をしながら、相手の顔をじっと見る。
申し訳ないけど、とっさに誰か分かんなかった。短い黒い髪、キリッと濃い眉、くっきり二重の目に高い鼻……。かなり格好いい人だけど、誰だっけ?
内心首を傾げてると、「昼間はどうも」って苦笑されて、ああ、と思う。
「ああ、バスの……」
運転手さんだ。制服も制帽も脱いで、浴衣を着てるから分かんなかった。改めて見ると、すごく格好いい。
「先生、1人?」
もっかい同じことを訊かれて、「はい」とうなずく。
変なの。オレ今、1人になりたくて、同僚の先生方の誘いを断ったばっかなのに。
「じゃあ、一緒に飲みませんか?」
そのお誘いを、断ろうって気にはなれなかった。
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