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キスをこんなに気持ち悪く感じるとは思わなかった。
友則君からはまだ、濃いアルデヒド臭がぷんぷんしてて、気持ち悪くて吐きそうになる。口の中に差し込まれた肉厚の舌も、ぐにぐにと動くだけで不快だった。
「や、め……」
たまらず顔を背け、オレは多分初めて、彼からのキスを拒んだ。
キスだけじゃない。オレの意志を無視して体中を撫で回す手も、のしかかる体温も、イヤでイヤで仕方なかった。
友則君が呼吸するたびに、甘ったるい酒気がまき散らされる。よく見れば端正な目が真っ赤で、酔いが完全に醒めてないのが分かった。
この強引さは酔ってるせい? でも、だからって、我慢しようっていう気にはなれない。
こんなの遊びじゃ、ない。
「なに泣いてんだよ?」
友則君がぼそっと訊いて、べろっとオレの目元を舐めた。
「泣、いてない」
言い返したけど声が震えて、決まらなくて情けない。もうイヤだ。
滲んだ視界のすぐ前で、友則君の笑みが皮肉っぽく歪む。
「今頃カンチガイって分かったか? 遅ェんだよ」
嘲るように言われて、また1つグサッと傷がついた。首を振って言い返そうとしたけど、舌がこごって何も言えない。
泣いてないけど泣くのもしんどいし、傷付くのも疲れる。人を嫌うのも、好きだと思うのも、嫉妬も、絶望も、諦めも、割り切ろうと自分に言い聞かせるのも、疲れる。
嫉妬でどんどん自分が醜くなっていくのも、黒く濁って行くのもイヤで、でもそれがどうしようもなくて辛い。
最近、鏡を見るのもしんどいんだ。鏡から目を逸らすのもしんどい。
友則君の言葉に一喜一憂して、メールひとつで落ち込んで。そんな軽薄な自分がイヤだ。抱いて欲しくて、こっちを見て欲しくて、媚を売ってるのもイヤだ。
恋ってこんなに辛いもの?
昔、落ち込んでる時に、「お前、頑張ってんじゃん」って言って貰えて。キミに努力を認めて貰えて、励まして貰えて、それから少しずつキミのコト好きになっていったけど。
友則君、今はオレ、自分のコト好きになれなくて辛いよ。
「オレ、ともっのり君のこと、ずっと好きだ、ったんだ、よ?」
震え声での告白に、返事はなかった。
友則君がどんな顔してるのか、視界がぼやけて何も見えない。
もう何も考えたくなかった。
しんどくて、疲れてて、これ以上は頑張れない。見たくない。
好きだった、けど。
「でも、もうやめたい」
おしまいの言葉が、ぽろりと口からこぼれて落ちた。
それを拾う気力もなくて、訂正する気にもなれなくて、落とした言葉だけを呆然と見下ろす。
「ふうん」
友則君が鼻を鳴らして、ゆっくりと起き上った。
ゆっくりとオレから離れ、ベッドから降りて、無感情な目でオレを見下ろしてる。
友則君は自由だ。自由気ままで誰の手も取らず、誰にも束縛されない人だ。オレが「やめたい」って言ったところで、ダメージを受けない。
顔色一つ変えなかった。
まるで分かってたみたいな態度で、引き際もあっさりで、そんなもんなんだなぁと思い知る。
落ち着いた様子で服を整え、乱れた髪を掻き上げて、床に放置してたエナメルバッグを肩に掛ける友則君。
「カギ……あったの?」
こんな時だけど、気になって尋ねると、友則君はオレに背中を向けたまま、ぼそっと言った。
「ここにはねーだろ」
それが最後の会話だった。
よそで失くしたカギが、ここに落ちてるハズもない。
そうだね、とも言えないまま、靴を履く友則君をぼうっと見送る。
扉がパタンと閉められ、足音が遠ざかり、やがて何も聞こえなくなるまで――オレはベッドから動けなかった。
それから1週間が過ぎ、2週間が過ぎても、3週間が過ぎても、オレの生活に変化はなかった。
友則君がいてもいなくても、何も変わらない。大学行って、勉強して、サークル行って、ご飯食べて、寝て、1日が終わる。
「最近、達川、付き合いいーじゃん」
「そういや最近、ケータイあんま気にしてねーな」
せいぜい、サークルの仲間からそんな風に言われたくらいで、それもホントに最初の内だけだった。意識して気にしないようにしたお陰で、女子の集団を見たって、聞き耳を立てる癖もなくなった。
鏡を見るのも平気になった。
元々、大学は別だったし。会わないようになれば自然と、友則君の影は薄れてく。
まだ時々体は疼くし、時々夢に見たりもするけど……それでも体の関係があった時より、なんでかな、辛くも寂しくもなかった。
何もかも消してしまおうかとも思ったけど、結局、友則君の連絡先は、ケータイに残したままだ。オレからアドレスを変えたり、着信拒否したりもしなかった。
友則君がどうしたかは知らない。オレの連絡先なんて、未練なく消しちゃっててもおかしくない。やっぱり友則君だって、オレなんていてもいなくても、生活に変化はないんだろうな、とは思う。
オレは、たくさんいた彼の「遊び相手」の1人で。
恋人でもなかったし、「特別」でもなかったし、いくらでも替えのきく存在だった。分かってる。もう友達に戻ることもできない。
けど、オレはやっぱり、忘れることはできないし。高校時代、確かにオレを救ってくれた――その事実は変わらない。
辛かったことも、嬉しかったことも、涙も、温もりも……全部なかったことになんて、できなかった。
……少なくとも、そんな風に思えるくらいには、穏やかな毎日が過ぎてった。
友則君の噂話を聞いたのは、そんなある日のことだった。学食で、サークルの仲間と一緒に、お昼ご飯を食べてた時だ。
「聞いてよ、もー、ホントにヒドイんだってー、トモノリくんー!」
女の子が甲高い声を上げながら、斜め後ろのテーブルに座った。「へぇー」っていう男子の相槌が聞こえて、ガタゴトとイスを引く音が響く。
トモノリと聞いて、ドキッとした。
下の名前だとしたら、そう珍しいモノじゃない。けど、もし苗字だったら? そんな可能性は低いと思うのに、やっぱ聞いちゃうと、気になって仕方なかった。
やめとけって思うのに、耳が勝手に音を拾う。
ドキドキしながら振り向くと、ふくれっ面でケータイを操作する、女の子の顔が見えた。
どこかで会ったようなその顔には、見覚えがあって、ああ、と思う。
それは1ヶ月くらい前、オレに友則君への紹介を頼んだ、大講義室のあの子だった。
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