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「貴方と怜様が、恋人同士であることは存知ています」
岩清水は言った。
「ですから、わたくしの気持ちが横恋慕であることも、無茶なお願いであることも、承知の上です」
オレは何て答えたらいい?
「わたくしにも、他にプロポーズしてくださってる方がいるのです」
そんなことを言われて。
だったら、怜のことは放っといてくれ、って怒鳴ってもいーか?
岩清水の説明によると、その男は彼女の主治医だったらしい。
「早くに奥様を失くされて、わたくしを娘のように、妹のように、可愛がってくださって……」
それが今回、渡米することになったんだそうだ。そして、一緒に行こうと言われた。
「『キミの体はボクが必ず治すから』、そうおっしゃって頂きました」
うつむく岩清水の指に、指輪はねぇ。
返事は保留してるんだそうだ。明日、成田に行くことが、その返事になるんだと。
「いいお話なのは分かっております。その方は15も上で、再婚ということになりますが。わたくしの体のことも知ってくださっておりますし、穏やかでいい方です」
「じゃあ、なんで?」
短く訊くと、岩清水は自嘲するように唇を歪めた。
「だって、わたくし、恋を知りません。ずっと病院の個室か、自宅にいるかばかりで。唯一、TVでお見かけした怜様の雄姿だけが、密かなときめきの思い出なのです」
それなのに、突然のプロポーズ、突然の渡米。
今後の体調によっては、きっと帰国もままならない。
そんな中で、「いいお話だから」と決めてしまうのは、あまりにも不安で。後悔しそうで、踏ん切りがつかなかった。
だから、せめて恋した人と、仮初めの恋愛を体験してみたかった。その無茶な願いは、祖父同士のつながりによってあっさりと叶えられ――。
初めての恋人は期間限定で、でも、想像以上に優しくて、想像以上に温かかった。
岩清水は幸せそうに微笑みながら、怜のことをそう語った。
「約束が違うのは分かっております。抱いて頂けるとも思ってもおりません。わたくしのような骨と皮しかない女に魅力などないでしょう。怜様にも『ムリだ』とハッキリ言われました」
昨日の言い争いを思い出したのか、岩清水は指先でそっと目元をぬぐった。
敢えて彼女を傷つけた、怜の心も痛ぇだろうと思った。
けど、その上で。
「一晩だけでいいのです。最後に……」
最後に、一晩だけ、2人きりで過ごしたい。怜を借りたい。
白い顔を真っ赤に染めて、岩清水はオレに頭を下げた。一生のお願いです、と。
オレは――なんて答えりゃよかったんだ?
岩清水の気まずい見送りを受けながら家を出て、駅前の塾まで歩く。
事務所に入ったのは午前9時、そっから講義と小テストの準備をする。
雑居ビルにチャイムなんて鳴らねーから、時計をしっかり見て、時間きっかりに講義室に入る。9時30分。まずは小テストを配って、解いてる間に、出欠を取る。
1時間講義の後、10分休憩。そしてまた同じクラスで1時間講義。
昼は、11時半から1時まで休憩。でも、質問に来る生徒もいるから、外食に行くのは順番制だ。
質問があんなら相手してやるが、用もねーのにお喋りしに来る連中もいて、そういうのは大体女子数名の固まりで、今日ばかりはうんざりした。
「先生、今日のお昼なにー?」
「あれー、先生、元気ない?」
「疲れた時には、甘いものがいーよ」
「パフェ食べに行こうよ、先生の奢りで」
「行こう、行こう。奢りで、奢りで」
ふざけんなー、とか怒鳴りてーのを必死で堪えて、冷静に冷静に、心の中で繰り返し、誓う。
「オレは絶対に教職にゃー就かねぇ!」
ダン、と空のジョッキをテーブルに打ち付ける。
目の前に座る伊豆が、「おうおう」とか「ほうほう」とかスゲー適当に返事する。
オレの愚痴を聞けー、とか言って無理矢理呼び出したんだから、気のねー返事されたって、聞いてくれるだけいいのかも知んねー。
けど、いくら事情を知ってるっつったって、今朝のことはなんか話したくねーし。結局、イマドキの女子中生はどうだとか、男子はこうだとか、どうでもいいような話をぐだぐだ繰り返すしかできねぇ。
「実は、明日は月曜日なんだけど、知ってっか?」
伊豆は、そんな嫌味な事を言いつつ、一晩中付き合ってくれるつもりらしい。
オレはただ、「今夜はアパートに帰らねぇ」って、それだけしか言わなかったんだけどな。
岩清水には、小さな正方形のアルミパックを一つ、渡しておいた。
これを怜に見せろ、そしたら分かる。オレはあの女にそう言って、家を出た。
あの女は、それが「何か」も分からねぇ様子で、きょとんとして受け取った。
初めて見るんだろう。予備知識もねーんだろう。とんだ28歳がいたもんだ。やっぱり魔女だ。
そんで、そんな状態でいきなり、バツイチの男と結婚はねーよな。
でも……怜には、それが「何か」分かると思う。
オレ達がいつも使ってる、ゴムの小袋。
あいつが着けてくれることもあるんだから、多分一目見て、分かるだろう。
オレが渡したって、分かるだろう。
ケータイの電源は、切ったままだ。
明日、怜の顔を見るまでは、もう着歴も見ねぇ。
「伊豆、てめー、飲んでねーじゃん」
「明日も1時間目からだろ!」
喚かれながら手を挙げて、店員にお代わりを頼む。
「生チュー!」
けど、ちっとも酔いは訪れなかった。ビールは苦いだけだった。
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