アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
01話 ボストンバッグ抱え、くしゃみ一発
-
寒さでぶるりと体が震え、目が覚める。
まだ上手く働かない頭を少しずつ覚醒させていき今の自分の現状を一つ一つ確認して、俺は呆れと疲労が混じったため息を口から思いっきり吐き出した。
「義弟の野郎。人がシャワー浴びてる途中でガス切って閉じ込めるとか、拗ねてやっていいレベルじゃないぞ。――ぶえっくしょいっ!」
場所は浴室。格好は全裸。抱えているのは防水性抜群なボストンバッグ一個。
裸に鞄とか、変態度が凄まじいな、俺。
今日は、小、中、高、大とエスカレーター式になっている学園の、待ちに待った高等部入学者の入寮日。
昨日から、今日と言う大事な日の為に必要な物をこのボストンバッグに入れて肌見離さないようにしていたが、如何せんたった一つしかない履き潰したスニーカーが場所を取りすぎた。
何度試してもタオルと着替えが入らず、仕方無しに脱衣所にその二つを置いてしまった事が、今回最大の不幸だ。
春とは言えまだまだ冷たい空気に、当たり前の事ながら俺の体はガックガクのブルっブルに震えてしまう。
全裸のまま盛大なくしゃみを一発ぶちかまし鼻を啜ったあと、空っぽな浴槽の隅で丸めていた体を解き鞄片手にゆっくりと立ち上がる。
窓を見れば外がほんのりと明るくなっている事が確認でき、これはちょっとまずいかな。と内心で微かに焦りが生じた。
試しに浴室の引き戸に手を掛けると、昨晩ハメられていたはずのつっかえ棒らしき物は無くなっていてすんなりとドアが開く。
まだ少し濡れている髪をバスタオルで拭きながら俯けば、ある一時期以外、幼い頃からずっとこの体で作られている醜い痣がそこかしこに散らばっており、無意識の内に本日二度目のため息が早くも口からこぼれ落ちた。
俺が小学六年生に丁度なった頃、血を分けた実の父親と思いたくもない糞野郎が二度目の再婚をした。
相手は有名な会社の社長が溺愛する一人娘。
……まぁ、いくら見た目が良くても中身が醜いうえいい歳したババァ相手に娘もなにもないんだけど。
そのババァもとい一応今の俺の義母になっている人はバツイチ子持ちで、俺より五つ年上の息子と同い年の子供がいる。
そしてとにかく義母も五つ年上の義兄も糞な父親も、誕生日的に俺の義弟になるこの同い年の弟君が大好きだ。
俺にはただの我侭な自己中公害人間としか思えないが、義母達三人はそりゃもう義弟信者と言ってもいい程この自己中公害人間を溺愛している。
義弟の欲求を全て叶えてやる事こそが自分達の使命だと、義母達三人は本気で思っているんじゃないだろうか。
なんせ俺自身、義弟が同い年の兄弟が欲しいと言ったから糞な父親にあの人達と引き離され無理矢理連れて来させられた与え物の一つだ。
自分はちっぽけな子供で、幼い頃は簡単に折る事が出来る棒っきれみたいな細い手足しか持っていなかった。だから、父親や、この家に来てからは義兄からも、絶えず振るわれる暴力から逃げる事も立ち向かう事も出来ないんだと、昔はそう思っていた。
でも、それは違うと言う事を、この家で四年間過ごす内に俺は嫌でも実感させられた。
自主的に筋トレをしていくら筋力を付けようが、族潰しをするんだと夜の街に飛び出して行った義弟に巻き込まれ自然と身についてしまった喧嘩の腕がいくら強くなろうが、権力と言う力の前ではちっぽけなものだ。
実際、そこそこ身長もあるし筋力も付いている今の俺なら、この家にいる誰かから暴力を振るわれそうになっても返り討ちに出来る確信がある。
でも、それが出来ない理由がただ一つ。
俺がもし少しでも反抗したりこの家の連中の言う事を聞かなければ、数少ない友達の中でも特に親しい友人達の家庭を壊すと脅されたからだ。
父親の実家もそれなりに有名な会社を経営しているのは知っていた。義母のところは言わずもがな。
最初にそれを言われた時はどうせ口先だけだろうと思っていた。
こっちからしてみれば不可抗力で、なりたくもない義弟のお気に入りになっているわけだが、そんな俺がいくら気に食わないと言っても、それなりの地位を持っている大人が本気でそこまではしないだろうと、俺は父親達を甘く見ていたのだ。
そしてそんな稚拙な俺の考えを、まだこの家に来て間もない頃に父親達は見事に裏切ってくれた。
たった一度、小学六年生だった俺が高熱を出し、義弟のお願い……もとい我侭を無理だと断った。
そのたった一度で、当時よく一緒に遊んでいた友人一人の家庭が言葉通り壊れたのだ。
友人だったその子が小学校を去る時、最後に見せた怒りと悲しみ、恨みや遣る瀬無さと言った様々な激情が渦巻く目と泣き顔が、四年経った今でもふとした瞬間脳裏を過ぎる。
「あーっ! くそっ!」
落ち出したら底が見えない暗い気分を頭を振って無理矢理切り替え、俺はさっさと着替えを済ませ脱衣所を後に玄関へ向かう。
まだ誰も起きてきてはいないようだが、慎重に、抜き足差し足忍び足ぃと心の中で呟きながら、足音を立てないように廊下を進んでいく。
すると、目的場所である玄関近くに、見たくなかった人影を見つけてしまった。
「ふん。お前はそう言ったこそ泥みたいな行動がよく似合うな」
「……それはどうも。俺はあんたの言い付け通り、誰にも見つからないよう早朝に家を出て行こうとしてるだけなんだけど」
「間抜けが。私に見つかっているじゃないか」
「は? それ言う? それ言っちゃう? ……あー、はいはい。生意気言ってすみませんね」
腕を組み偉そうに仁王立ちをしている父親が眉間に皺を寄せこっちを睨んできたので、一応口先だけの謝罪を言っておく。
不機嫌なその顔を一瞥し、ボストンバッグからスニーカーを引っ張り出すと俺は無表情のまま横を通り過ぎ、二つある玄関の扉の鍵を解除してドアノブに手を掛ける。
なるべく声は小さくしていたが、この糞な父親が普通の声量で喋っているので他の連中。……特に義弟が起きてきてぎゃーぎゃーと騒ぎ立てるのは簡単に想像が出来るので、本当なら俺は今すぐこの家から出て行くべきだ。
出て行くべきなんだけど、最後に一つ。機会があればこの父親に聞いておきたいことが、俺にはあった。
「なぁ、あんたは何で、あの女を説得してまで俺の学園行きを許可した?」
玄関の扉を少し開けた状態のまま、俺は振り返る事なく質問を口にする。
ゲーム、漫画、人を含むその他諸々、いくつかある義弟のお気に入りを一つでもその義弟本人から遠ざける事は、この家にとってやってはいけない行動の一つだ。
それを、なぜ、この義弟信者の一人である父親が犯したのか。
「俺の為……なんて、鳥肌がたつぐらい気色悪くて腸が煮えくり返る理由は無しだぜ」
「はっ、そんな理由なわけがないだろう」
「じゃあ、どうして?」
「…………保身の為だ」
「保身?」
それは一体誰から、自分を守る為の?
後ろを振り向き、再度疑問を口にしようとした時だった。
俺の行動よりも早く、いつの間にか背後にまで迫っていた父親に肩越しから一通の手紙を突き付けられる。
今まで散々人を痛め付けてきたこの父親が俺に何かを手渡すなんて事は初めてで、もろに虚を突かれ一瞬硬直してしまう。
疑い九割、興味一割の気持ちで受け取った手紙は高級品だとすぐにわかる程触り心地が良く、白地に縁が淡い金色と翡翠色の二色でグラデーションされているシンプルなデザインで、かなり俺好みの物だった。
「この前参加したパーティでお前に必ず手渡すよう強制的に押し付けられた。中身は知らん。時雨(しぐれ)からだ」
「っ!? 礼は、言わねぇぞ」
「必要ない。お前に言われても気色悪いだけだ。……さっさと出て行け」
「はっ、言われなくても」
父親が奥に引っ込んで行くのを気配で感じながら、俺は玄関の扉を全開にして外へ足を踏み出す。
扉が閉まる瞬間、二階へ続く階段から騒がしい足音と共に「おい! 待てよ!」と義弟のキンキン声が聞こえた気がしたが、もちろん無視を決め込んだ。
周りはいつもと何ら変わりない見慣れた高級住宅街の風景だが、今日は普段の何十倍にも輝いて見える気がする。
「しぃ兄、約束、覚えててくれたんだ。ははっ、あははははっ! ーーげほっ」
ボストンバッグを肩にかけ、大事な手紙は右手でしっかりと握り締め、冷たい空気が身を引き締める中駅へ向かう為走りだす。
そして俺は数年ぶりに心の底から笑い声を上げ、秒殺の早さで思いっ切り噎せた。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
1 / 32